9月9日の手紙 特急電車
拝啓
今日は重陽の節句でした。
だからと言って特別何をしたかということもないのですが、
1年がずいぶん過ぎたなあと思ってしまいます。
電車に乗るのが好きです。
普通電車ではなく、特急電車に乗るのが特に好きです。
たいてい、通路を挟んで、進行方向へ向いている座席の窓側を予約します。
発車時間よりかなりゆとりを持って、ホームで待っておきます。
落ち着いて、自分の座席を確認したいからです。たまに間違った席に座ってしまって、あとから来た人にそれを指摘されるといたたまれない気持ちになります。それは、回避したいのです。(つまり。よくやらかしているということです。)
特急電車に乗る時間は、移動ですが、個人的には、瞑想のような時間でもあります。
考えを整理したり、ぼーっとしたりする以外に、時にはレシートを整理したり、アイデアノートを書いたり、溜まっていたメールを返信したりします。
異動型オフィスのようなものです。家で寝転がっている時より頭が冴えてくることもあります。貴重な時間です。だから、できれば誰ともしゃべらず、自分の世界に沈みこんでいたいのです。
そのためにも、
1番座席に近い扉から乗り込んで、座席をしっかり確認してから座ります。
車窓から、風景を眺めます。速度を上げて、街並みの間を通り、川を越え、田んぼを突っ切り、山裾をなめらかに進んでいく気持ちよさといったら!
線路の隣を並走する車、川辺に立つ人、農作業をする誰か、もう少しちゃんと見ようと覗き込むと、もう見えなくなって、後ろに飛び退いています。
ハサミが布を断ち切る時のように、まっすぐに進む素晴らしさ。
乗っている人々の多くは、旅行客や外国人観光客です。帽子をかぶり、身軽な服装や大きなリュックです。駅で買い込んだのであろう弁当や飲み物を持っている人もいます。
非日常を楽しむわくわくした雰囲気が車内いっぱいに充満しています。
前の座席の背に、テーブルが収納されている車両の場合、テーブルを出し、飲み物などを置くと、さらに気持ちが高まります。
ペットボトルのロゼワインと生ハムのおつまみで一杯やっている人を見かけたこともあります。下戸ですが、不覚にも美味そうだなと思ってしまいました。
夜の特急もまた素晴らしいものです。
窓の外は暗く、街の明かりが見えています。明るい車内はその中を、滑るように進みます。
くっきりと明るい車内から、窓の外を眺めると己をはじめとする乗客の顔が写ることもあります。その淡さは、夢のようです。2度とない取り合わせ、2度と会わないかもしれない人々と考えると、夢と言っても間違いではない気がします。
先日、特急電車に乗って学生時代の友達に会いにいきました。
コロナ禍やお互いの事情があって、直接会うのは数年ぶりです。
近況報告から、はじまり、思いつく限りありとあらゆることについて話し合いました。言葉が絶えることはほとんどありませんでした。
性格も生き方も違うけれど、おかしいと思うところが似ているのは昔のままでした。
お互いの健闘を讃えあい、意見を交換し、また明日からも生きていこうと確認し合えたような再会でした。
帰りの、夜遅い特急電車の車両に、乗客は1人でした。
がらんとしていましたが、冷たくは感じません。
むしろ、友達との会話の余韻が深く、空っぽの車両にしんしんと何かが満ちていくようです。
特急列車の車両が滑るように進みます。
生命力がいっぱいに満ち、そのまま夜を切り裂くようなイメージがわいてきました。
実際に、車両に満ちているのは明るい電灯の光だけでしたが、
確かにその瞬間、銀河鉄道のように感じました。どこまででも遠くへ行けそうな、そんな気持ちになりました。
敬具
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