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11月8日の手紙 基本的愛敬

拝啓

夜になると、思った以上に冷え込みました。
こういうことがあるから、秋は気が抜けません。
夏に戻ったり、冬へ進んだり、
あがりになるためにぴったりのサイコロの出目がでないすごろくのようです。
いったりきたり、進みすぎたり、戻りすぎたりしています。
すごろくなら楽しめますが、生身の体にはなかなか酷ですね。
水分を取りつつも温かくしてお過ごしください。

長年の友達と仕事について話をしていたところ
「男だろうが、女だろうが、誰に取っても一生懸命さは大事なのでは」という話になり、
「愛敬は大事だ」という結論になりました。
「愛敬」、「愛嬌」ではないのかと思われると思いますが、調べてみると

あいぎょう(愛敬)2」が清音化し、キャウ・キョウの区別が失われたのち、意味対応して「嬌」の字が近世以降に当てられるようになった。

愛嬌/愛敬(あいきょう)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書

ということなので、よりしっくりくる漢字である「愛敬」のほうを使ってみました。
嬌声の嬌は、考えている「あいきょう」とはそぐわない気がしたのです。

ネットの情報を調べているともともとの「愛敬」は仏教用語だという情報を目にしました。
仏や菩薩の穏やかな表情を意味する言葉からの転用ではないかとのこと。
事実かどうかはわかりませんが、
そのほうがしっくりくるような気はします。
「愛敬」というのを可愛らしいさまの意味のみとは考えていないからです。

これは「いつでもにこにこしろ」とか「無理して、人当たり良くやれ」ということではありません。
どちらかというと、喧嘩上等なスタイルで人生を乗り越えてきた方なので
喧嘩をすること、
抗議の声をあげることの大切さやそれが必要な場面が存在することについては、十分わかっているつもりです。

それでも、人好きのする振る舞いがゼロでは
親しくなったり、
助け合ったりということは、正直なところ、難しいと思うのです。

どんな仕事であれ、完全に一人で完結する仕事というものは
この世にないことを考えると
摩擦が起きて、発火しない程度の人付き合いは必要でしょう。
自分のことを振り返ってみると、
持って生まれた愛敬がさほどあるわけでもなし
ひねた性格でもありましたが、
大人になって色々な経験をして、
愛敬を人並み程度には獲得して、振りまくことはできないまでも
そっと差し出すことはできるようになった気がします。
そうなると仕事で、ひどい失敗があっても、まあ何とか追い詰められずにすみます。

「自分には愛敬なんてない。そんなもの必要はない」とか
「自分はそういうタイプではない」と思っているひと程、
基本的愛敬を身に着けるとその効果に衝撃を受けると思います。
「あいつら、ずるい」と思っていたことがずるでも何でもないこと、
愛敬があるということがどれだけ身を守り、助けになるかを実感すると思います。
ちなみに、基本的愛敬というのは、造語です。
そういう言葉があってもいいのではないか、と思いついて、作ってみました。

基本的愛敬の1番は、「挨拶はしよう」ということです。
当たり前すぎるのですが、なかなかどうして効果のある行動です。
声が出ない場合、出すのが苦手な場合は、それでもよろしいです。
しっかり、頭を下げて会釈をしましょう。
「挨拶なんて無駄だ」と主張する方も稀にはいますが、
我々が動物である以上、挨拶を完全省略することは難しい、動物だって挨拶はするもんな、と思った方が、気が楽です。
ぱっと顔を合わせたら、ぺこりと頭を下げるという行動は基本的に持っておきたいスキルです。声が出るなら、はっきり声に出して挨拶をすると効果倍増です。
これはSNSなどのネット上でも同じだと思います。
いきなり突撃しない、いきなり本題に入らない、まずは挨拶から始めましょう。
しかし、しつこすぎる挨拶は怖いです。サッと挨拶したら離れるのが基本的愛敬です。
ひとつの行動に全ての想いを詰め込まず、基本的なところをしっかりやりましょう。

基本的愛敬の2つ目は、「相手の話は聞こう」ということです。
自分の話をしすぎると、愛敬というものは消えます。
語源が仏や菩薩の表情だとしたら、さもありなん、です。
あの方々は、自分の意見をいきなり振りかざしたりはしませんでしょう。
相手が一体何を話しているか、想像しながら聞くということが愛敬の一部のように思います。
よくあるのは、「自分のことをどう思っているか」など、自分の評価が気になりすぎて、相手の話を聞いていないということです。
これもひとつ目と同じで、SNS、ネット上でも必要なスキルですね。
相手の意見や主張を否定する前に一度じっくり聞いて考えてみて損はないと思います。

基本的愛敬の3つ目は、「一生懸命やる」ということです。
傷つきたくないあまり、すかした言動、自分を大きく見せる言動、
いいわけばかりしていると、
愛敬は消えてしまいます。
結果はどうあれ、何かに取り組んでいる様子に感心し、評価する人というのは
結構な数、存在しています。
一生懸命やることを茶化すような人のいうことを真に受けるより、一生懸命さに胸打たれる人と繋がりを作った方がよさそうです。素直に、何かに取り組むと、基本的愛敬は自然と醸し出されてきます。
何をやればいいかわからない人は、職場や学校で、挨拶をすれば良いのではないでしょうか。
見返りや反応を気にせず、きっぱりさっぱりした挨拶を続けていると、一生懸命さを感じる人はきっと出てくるでしょうから。

人間は結局群れの生物で、
完全に孤立していると、悪目立ちし、
危険な目にあうリスク、失敗するリスクも高まるように思います。
それは、仕事においても、人間関係においても、です。
誰かと非常に親しくならなくても、
挨拶する相手位、いたほうが安全です。



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