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犬だってキャットウォークを歩く

猫だってドッグランを走る

我が家にはポメラニアンがいた。
確かに小学1年生か2年生だったと思うんだけど、学校から帰ったらいたのだ。

突然の対面でビックリしたし、
なんで!?という気持ちがあったことを覚えている。

その理由は、幼稚園生の頃に捨てられていた犬を拾って帰り、買いたいとお願いしたときは、
ダメだと言われて、その犬は親戚の家に預けられたという前日談があったことから、なぜ家に犬がいるのか、理解するのに時間を要する事態だったからだ。

しかし、子供なので、そんなことより目の前に現れたポメラニアンの可愛さに遊び始める。
すると、母親が帰ってきて母親の友達から一時的に預かって欲しいと言われた犬であることがわかる。名前は「ポンタ」で、目の回りが黒く尻尾がふさふさだったことから、我が家ではそう呼ばれていた。それ以前の名前は忘れてしまった。


が、彼はその後も我が家に居続けてくれていた。数年後に友達から譲り受けたと母親から伝えられて、もっと早く言って欲しいわ~と思ったことを覚えてくる。


それから時は流れて、我が家に猫がやってきた。それは祖母が子供が生まれたので、もらってもらえないだろうか?と近所の人からのお願いにより、譲り受けた猫で、初めは祖母の家にいたが、人慣れしたころに我が家にきたのです。


雑種だといわれていたが、アメリカンショートヘアーのようなビジュアルで、とても綺麗なフォルムをしていたが、名前が「こっこ」だった。
小さめであったことと、子供だったからという安易な名付けられ方である。


彼はとても好奇心が旺盛で、自ら窓を開けて、外によく出掛けていた。
そのくせ、ビビリで他の猫との争いにはめっぽう弱く、ケンカになるといそいそと我が家に帰ってくるのです。


そんな彼がどこか拾ってきた(盗んできた)のかはわからないが、糠ニシンを持ってきたときには、すごくビックリをした記憶がある。


猫の本能なのか、獲物を捕らえるというのは生まれ持った能力なのか、猫は狩猟動物であることを教えてくれた。


とここまで、至極個人的なペットの思い出について書いてきたのだけど、彼らとのお別れというのはどちらも謎のものなのです。


ポンタは祖母が留守番をさせておくのは可哀想だとお出掛けに連れていき、車に乗せていたところで、行方がわからなくなった。
車の鍵を閉めていなかったので、何者かに連れ去られたことも考えて、捜索願も出したがみつからなかった。


こっこもある日突然姿を消した。
猫はそういう時期が来ると姿を消すというが、
こっこはそんなに歳をもらってもいなかったし、そうは考えづらい。
それでも、何かしらの事情があって、遠くにいったのかもしれない。


やはり、出会いがあれば別れがあるのは、人だけではなく、動物であっても寂しく感じるが、
いなくなっても、このように楽しかったことや
こんなことあったなぁ~と思い出すことが出来るので、動物と過ごすというのは、人と接することよりも何かを得られるような気がしている。


言葉を話すことがない彼らだからこそ、言葉以上に表示や行動、スキンシップなどで、多くのことを伝えてくれるのです。


ということわけで、今日11月22日
わんわんニャンニャンの日に因んで、宗田のペットとの思い出の一部を書いてみました。


request by alan smithee



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