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吾が輩に肩書きはいらぬのだ

ただの「なにがし」として暮らしたい

1911年―明治44年。

時の文部省が、夏目漱石に文学博士の称号を授与したいと伝えたところ、「自分には肩書きは必要ない」という辞退する旨の手紙を文部省に送ったと言われている。


こんな逸話がある、2月21日は漱石の日と言われています。偉人というのはちょっとしたエピソードでも記念日として取り上げられるということが偉人たる証なんでしょうね。


すごいことなんですけど、ざっくりいえば、
称号あげます→いらないという流れの話なんですが、それが夏目漱石であることで、これだけのことになってしまうというのが夏目漱石がいかにスーパースターなのか。ということですよね。


夏目漱石がどんなすごい人なのか、どんな優秀な作家であるかは、宗田が書くことがないほど、日本人であればわかると思いますので、今回は少し違うことを書いていきます。


突然ですが、皆さんは肩こりですか?
仕事でパソコンを使っていたり、日頃からスマホを使っていると、肩って凝りますよね。


はい、これです!
肩こり」という言葉。これが流行るきっかけが実は夏目漱石なんです!


夏目漱石には前期三部作、後期三部作などなどの有名な作品がありますが、その中のひとつの作品に「肩こり」について書いているんです。


それは前期三部作のひとつである、「」です。
その一文が現代に渡るまで「肩が凝る」という言葉として超ロングランしているのです。


「首と肩の継ぎ目の少し背中に

寄った

局部が石のように

凝っていた」

この言葉が新聞連載されていた「門」に出てきたことにより、多くの日本人が今まで言葉に出来なかった苦しみを表現する言葉を得たのです。


肩が重たいとか肩が張るとか色々と工夫を凝らしていたわけですが、「肩が凝る」といえば、
「あぁ~、そんな感じね!」と通じるようになるわけです。

すごいですね~!


話は最初に戻るんですが、
文学博士の称号を辞退したときの手紙がまた、
夏目漱石の人柄を表しているんですよね。

「拝啓、昨20日夜10時頃、私留守宅へ(私は目下表記の処に入院中)本日午前10時頃学位を授与するから出頭しろという御通知が参ったそうであります。留守宅のものは今朝電話で主人は病気で出頭しかねる旨を御答えして置いたと申して参りました。学位授与と申すと、2、3日前の新聞で承知した通り、博士会に推薦されたに就(つい)て、右博士の称号を小生に授与になる事かと存じます。然(しか)る処、 小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております。従って私は博士の学位を頂きたくないのであります。 この際御迷感を掛けたり御面倒を願ったりするのは不本意でありますが、右の次第故(ゆえ)学位授与の儀は御辞退致したいと思います。 宜しく御取計を願います。敬具」

と文部省に返事をするわけですが、
宗田的には「小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております。従って私は博士の学位を頂きたくないのであります。」の部分が特にそう感じるんですよね。


漱石というペンネームが体を表していると感じるんですが。


夏目漱石は神経衰弱を患ったり、再三の胃潰瘍に苦しめられた人生を考えるとすごく繊細な人だったという一面もあるので、肩書きという重しにしかなり得ないものに縛られて生きたくないということもあったかもしれないですね。


夏目漱石のデビュー作であり、有名な作品。
「吾が輩は猫である」の猫に名前がないのも、
もしかしたら、名前というものに縛られて生きなくてもよいのだ!ということなのかもしれませんね。


というわけで、本日2月21日漱石の日です。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
それではまた。








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