「自分で選択をする」という生き方への覚悟
「まるで鳥かごの中にいる鳥の気分だ」
これは、私が幼少期からずっと
祖母に言われてきた言葉。
祖母は貧しい家庭で育ち、
戦中戦後の混乱の中で教育の機会を奪われ、
文字の読み書きすらできない
「未就学者」の一人だった。
たくさんの苦労をしてきた中で
私の父を女一人で育て上げ
しっかりと大学まで通わせてきた
本当に心から尊敬する存在。
その後、父の娘として私が誕生したのだが、
私の産みの母はどうやら
子供が好きではなかったらしく
私を産んで直ぐに家を飛び出し、
祖母が母親同然で私を育ててくれた。
しかし、当時の祖母は
「学問を学んでこれなかったから、
漢字が読めるようになりたい」と
ちょうど学校に通い始めていた頃だったそうで、
父から私を育ててほしいと強く頼まれ
仕方なく学校を辞めざるを得なくなってしまったという。
何度もこの話を聞く度に、
私と向き合い育ててくれたことへの感謝と
自分が生まれてしまったことで辛い決断を
させてしまった事への申し訳ない気持ちでいた。
次第に祖母は浴びるように
お酒を飲むのが習慣となり
「ずっとあんたを育てる為に犠牲になってきた」
「私だって学問を学びたかった」
「好きな人にプロポーズまでされたのに、
あんたを育てる為に断るしかなかった」
口を開けば、訴えてくる祖母の悲しそうな
あの顔を忘れることはできない。
自分の自由を奪われたのは
祖母だけではなく
継母や姉も家の事情で父の仕事を
手伝う事しか許されず
「この暮らしから抜け出して自立したい」と
お酒を飲んでは口論になる家族の姿が
日常茶飯事だった。
自分は望まれて生まれてきた存在ではなく、
むしろ生まれてしまったことで
こんなにも家族を苦しめてきたことに対して
どう償っていけばいいのか分かず
育ててくれた恩返しをしたい一心で
勉学に励むことにとにかく集中してきた。
その後、私が社会人となり働きに
出かけるようになってからは
祖母は一人で過ごすことが
当たり前の生活となり
働きにもいけず、どこかに行きたくても
一人ではいけない状況に
「まるで鳥かごの中にいる鳥の気分だ」
と言って、何度も何度も泣いて叫んでいた。
祖母の気持ちを想像したら、
どれだけ孤独で辛かったか...
祖母や継母達との暮らしの中で、
次第に自分の中で
「子供がもしできて、自分が言われてきたことを言ってしまうのでは」という恐怖心から、
子供を産む選択が出来なくなっていった。
これが永遠の選択となるかは
今はまだ分からないが
祖母たちが涙を流しながら
訴えてきた心の叫びから、
考えさせることは本当に多く
「自分の人生を自分で選択して生きていく」というのは、決して簡単なことではないと私は思う。
だからこそ、みな平等に与えられた一度きりの
この人生をどう生きていきたいか...
ずっと考え続けているこの問いに
「やれなかった」と言わない人生にしたいと思っている。
そして、「自分で選択をする」という
生き方をし続けていきたい。
今は、心からやりたいと思う「映像」に
出会うことができ
今そのやりたいことを仕事にして
生きてけているのは、本当に幸せなことだ。
最後はどんな死に方かは予想なんて
誰にも出来ないけれど、
「発揮しきった」という感情と
共にいれたらなと願う。
未だに家族に対して自分が生まれてきた事に
申し訳ない気持ちがあるのは事実なのだが
ああやって、気持ちを訴え続けてくれたからこそ
人生がどれだけ尊いものであるかを
教えてくれたのは、
間違いなく祖母たちの存在だ。
自分の存在が嫌で嫌で何度も
消えてしまいたいと思う事ばかりだったけど
自分の産みの母に対しても
顔もどんな人だったかも
何一つ分からないが
お腹を痛めても産んでくれた
限りある大切な命をもらったこと
無駄にしてはいけないと思ってる。
今のクライアントの方々にも
これから先出会うクライアントの方々にも
「発揮しきった」と思えるような人生を一緒に
過ごしていきたいと心から思っているし
そうあれるように、一つ一つのプロジェクトを
情熱の火を灯しあいながら、
一番の相棒となって一緒に取り組んでいきたい。
これが、私が一貫して仕事でも
生き方においても大事にしている想いだ。