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デジタル言語学者の人に、聞いてみた

前回の通常無名人インタビューがめちゃくちゃ面白かったので、引き続きお話を、お伺いしました!
前回のインタビューはこちら。

言語学のお話ではありますが、学ぶこと、研究することのすごみを感じられるインタビューです!!!!! お楽しみに!
【まえがき:qbc】

今回ご参加いただいのたは 得丸久文(とくまる くもん) さんです!


デジタル言語学とは何なのか?

qbc:
まずは、デジタル言語学とはどういったものかっていうのを、お教えいただけたらと思います。

得丸先生:
デジタルっていうと、例えば炊飯器がデジタル化したとかですね、テレビがデジタル化したとか、今ビットの世界のデジタル化の話が多いです。だから生命情報がデジタルっていうことをみんな忘れていますね。
生命情報、つまりアデニン・グアニン・ウラシル・シトシンという、A・G・U・Cという4つの核酸(RNA)を使って、生命情報ができている。これが一番古いデジタルだと思います。だからそこにまず戻るのが、第一歩なんですね。デジタルというと、電気信号の0101を使うというふうに考えるのではなくて、まず生命情報の4つの核酸でつくるというのが基本。そっちがオリジナルであるというふうにまず考えていただきたいと思います。

3、4年前かな、デジタルの日っていうのが日本でできたんです。10月10日と11日にするっていうんで、私はそれはマズイと思って、情報処理学会とかいろんなとこにメールを送って抗議して、「違う」と。生命情報がデジタルの基本だから、10月11日にすると、みんながますますデジタルを電気信号のビットだと固定的に考えるのでやめてくださいっていうことを強く言いました。それが功を奏したのか分かりませんけれども、10月10日、11日にはならなかった。デジタルの日は10月の第1日曜日と月曜日になりました。10101011にならなくて本当に良かったと思ってます。

だから、デジタル言語学ってのは生命情報のほうのデジタルで、生命情報の複雑な進化の延長に言語がある。言語は生命の複雑進化の最終局面にある。地球上で約40億年の歴史の中で、最初はウイルスみたいなものしかなかった。それが細胞膜で包まれたバクテリアになったのが38億年前ですね。それが20億年前に核を持つ真核生物になった。核を持った結果、真核生物はバクテリアを家畜のように飼育するようになった。細胞質の中でミトコンドリアや葉緑体を飼う。そういう進化が20億年前に起きるんです。
そして、5億4000万年前のカンブリア大爆発とよばれる大進化がおきて、ようやく多細胞生物が生まれて、そして脊椎動物が生まれる。脳などの神経系を持つ生物が生まれたのは、やっと5億年前なんですね。その後、大きな進化が来るのは6600万年前で、哺乳類が生まれるんです。哺乳類が決定的に違うのは、赤ちゃんをお腹の中で卵からかえして、1人立ちできるまでお腹の中で大きくするところです。哺乳類が生まれるのが6600万年前です。
哺乳類は鳴き声による音声コミュニケーションをします。その延長に我々の言語がある。ヒトは約300万年前に直立二足歩行になって、あいた両手で道具を使うようになる。そして7万年前にデジタル信号である音節を獲得した。音節っていうのは、母音を一つ持つ単位ですね。日本語は母音が必ず終わりますから、数えやすいんです。

qbc:
はい。

得丸先生:
その音節とよばれるものが、約7万年前に生まれる。それが第2のデジタル進化の始まりなんです。つまり、最初は4つの核酸による進化がずっとあって、今も続いているんですけど、人類は約7万年前に、音節というデジタル信号を獲得して、言語を獲得して、知能のデジタル進化が始まった。

最初の質問に戻れば、デジタルとは何か。信号が離散・有限・一次元なんですね。4つの核酸(RNA)は、アデニン・グアニン・ウラシル・シトシンですね。4種類の核酸のうち、アデニンとグアニンはプリン基で、ウラシルとシトシンはピリミジン基という2種の塩基にわかれます。プリン基のグアニン(G)とピリミジン基のシトシン(C)が結合するのですが、どちらも水素結合が3本で、必ずグアニンはシトシンと結合します。そういう構造になっているんです。最初はこの2つの核酸しか存在していなかった。
グアニンの水素結合が2本になったのがアデニンです。アデニンは、DNAのときはチミンとくっつき、RNAのときはウラシルとくっつく。そういう曲芸的な結合をすることによって、それまで核酸は2種類だったのが、4種類になって、生命情報は4元デジタルになったんです。

離散性というのは、それぞれがはっきりと別の構造を持っていて、必ず決まった相手としかくっつかない。これを離散性を持ってるというわけです。
我々の音節の場合は、日本語の場合はこうやって今喋っていても、皆さんは日本語の音素マップを生まれてすぐに刷り込んでいるから、自分の脳の中に日本語音素を受け入れる受け皿があるんですね。音素マップが共有されているわけです、僕たちの間で。

だから、これが例えばイタリア人とかだったら、「きて」と「きいて」と「きって」が聞き分けられなかったりするんですね。日本語の音素マップをもっていたら、それらは別々のものとして聞こえる。英語には”ア”が、5種類(cat, arm, ago, her, runの母音)あるわけです。イギリス人にとっては別々の音として離散的に聞こえるものが、僕らは聞き分けられなくて、全部同じ”ア”に聞こえてしまうのです。だから離散性というのは言語によって違う。
有限というのは、共有しているということなんです。使っている信号が、送り手と受け手で同じだけの数あるってことが共有なんですね。だから核酸の場合は、4種類で共有されてますけども、日本語の音節の場合、111ぐらいあるものが全部共有されてます。

中国語だと1700とか、英語だと3000とか4000とかたくさんたくさんあるわけですけれども、これは母音の前後に子音がくっついてもいいから数が増えるわけです。離散・有限。ここが、まずとても大事なことで、それによって送り手と受け手が、ひとつの音節の間違いなく信号を送ることができるんです。

最後の一次元というのに母音が重要な役割を果たします。母音があることによって、こうやってダラダラダラダラと文法的に連接して一次元状に喋り続けることができる。母音がなかったらそれができないんですね。母音がない時代があったんです、人類には。それはブッシュマンのコイサン語だけが持っている、クリック子音です。舌打ち音を口腔内で反響させるもので、100種類ぐらいあるんですけど、クリックには文法語がないから続けて喋れない。夜間、囲炉裏を囲んで、二語文か三語文をしゃべっていたと思われます。

約7万年前に喉頭降下がおきて母音が獲得されます。喉頭降下ってのは、下あごの先が伸びて、喉の部分に空間がつくりだされたから、肺の空気の出口がここ(と、首の真ん中より少し下を指さす)にあるんですね。ここから肺からの呼気が、縦と横、垂直と水平が同じ長さで直交する声道を通ることで、母音の共鳴が生まれるんです。
喉頭降下を引き起こした発達したオトガイの最古の化石は、南アフリカのクラシーズリバーマウス洞窟で発掘されました。6万6000年前というのは、ホイスンズプールト文化という新石器文化が生まれた時期です。突如出現した石器の細石器化は、母音の獲得によって可能になったと考えるからです。
ホイスンズプールト文化より6000年前の7万2000年前に、スティルベイ文化という前段階の新石器文化が誕生しています。おそらくその時期(7万2000年前)に離散・有限な信号であるクリック子音が生まれたのです。クリック子音を発声しているうちに、オトガイが発達して喉頭が下がり、母音共鳴を生み出す声道を獲得して、離散・有限・一次元のデジタル信号である音節を獲得した。それが6万6000年前。デジタル信号を獲得することがデジタルの第1条件です。

ついでに第2条件を言うと、第2条件は、信号の部分ではなくて、「信号処理」の部分なんです。信号処理とか信号の保存とか、そういうところで進化が起きるわけです。これは、目に見えない部分でうまく言いにくいんですけども、低雑音環境のなかで生まれます。
今、私と本州さんや栗林さんとの間には、何百キロも距離があって、その間を携帯電話回線による通信回線や光ケーブルが繋がってるわけです。デジタル信号は、その回線上を1信号の誤りなく乗り越えて相手に伝わることが重要です。それから今度は受け取った皆さんの脳の中で、それをどういうふうに意味に変えていくのかっていう、これが処理回路の部分です。その処理回路はひとりひとりの脳内でつくられていくんです。

例えば、生まれたばかりの赤ちゃんは文法が使えないです。1歳でも使えないですね。2歳でも。3歳ぐらいからやっと使えるようになるわけですね。それが極めてゆっくり獲得していくわけですけれども。これは文法処理回路が脳の中にできていくからなんです。

これは私の仮説ですけども、母語に関しては、3歳になると片耳で聴き取るようになります。母語は最初に入った耳でしか聞かないんです。反対側はシャットダウンして、音が入らないようにします。母語を片耳でモノラル聴覚して、そこから文法処理の回路を作っていく。デジタルの第2の条件は、「低雑音環境において、新たにダイナミックな信号処理回路を作る」ことで、これがデジタルの大事な2番目の定義です。

デジタルの定義はこの2つです。

「通信回線上では、離散・有限・一次元の信号を使い、送り手あるいは受け手の中にある低雑音環境で、新たに複雑な処理回路を作る。」これがデジタルの定義であり、デジタル言語あるいはデジタルな生命というのは、これをどんどんどんどん繰り返すことによって、複雑に複雑に進化していく。これがデジタル言語学。

デジタル言語学っていうのは、「デジタルな生命進化の最終局面にある言語の進化」というふうに言ってもいいと思います。ちょっと難しいかな? 一気にまとめて言ってるから、頭痛くなるかもしれない。無理しなくていいよ。(笑)

qbc:
本州さんはどんな印象を受けたとか、どこが分からなかったとかありますか?

本州:
インタビュー編集していたとき、離散・有限・一次元っていうのが、ちょっと分からなかったんですけど、それが今ちょっと解決されたので、良かったです。ただ2つ目の定義の、信号処理の方が分からなくて、今ちょっと混乱してますね。

得丸先生:
これはね、本当は進化学とか生物学が、解明しなくてはいけない部分なんですよ。例えば原核生物のバクテリアとね、アメーバ。アメーバっていうのは核があるから、真核生物ですね。原核生物が真核生物にどうやって進化したのかっていう研究が、まだできてないんです。
リン・マーギュリスっていうのは、カール・セーガンの最初の奥さんだった。リン・マーギュリスっていう女性生物学者がいて。細胞質の中にいるバクテリアの観察研究をやってらしたのね。そしてミトコンドリアとか葉緑体が、元々は独立して生きていた生物なんだけど、ある時から真核生物の中に取り込まれて、家畜のようにして飼われるようになったっていうことを、言っているんですよ。もうだいぶ前にね、4、50年前に言ってる。
でもじゃあそれが一体どういう仕組みなのか、どうして可能だったのか、みたいなところを、もっともっと研究しなくちゃいけないんですけど、それがまだできてないんです、生物学で。だから言語学の人ができてないのもしょうがないんです。

ただ、僕は人工衛星を使った衛星通信の仕事をちょっとやってたんです。それで信号雑音比(S/N, Signal- to-Noise ratio)という指標になじんでいます。
まず雑音について考えると、電車の中だと音がうるさいでしょ。70デシベル(停車時)から80デシベル(走行中)以上ある。図書館だとね、40デシベルぐらいだね。夜中の部屋だと20デシベル。これはね、雑音の大きさを言ってます。ベルっていうのは常用対数なんですね。デシは10倍しているということ。だから20デシベルっていうのは、2ベルだから10の2乗で100。40デシベルってのは4乗で1万。70デシベルって言ったら、7乗で1000万とか、そういう大きな数字を短く言うのに対数は便利なんです。つまり桁が2桁なのか4桁なのか7桁なのかっていうんで、20デシベル、40デシベル、70デシベルっていうことを言うんです。
雑音(N)はS/Nの分母にくるから、Nが小さいほどS/Nは大きくなる。大事なことは、静かになってくると、例えば図書館で本を読むのと、夜中に自分の部屋で本を読むのでは、自宅で夜中に読むほうが20デシベルぐらいS/Nが大きいという計算になる。静かさの分だけ、効率性の余剰、あるいは潜在能力をもってるということになります。

つまり、図書館で1時間読むよりは、家で深夜に1分読んだ方が、読書の効果は大きい。理論的にはそういえるんですよ。有効に読めると。
通信理論の世界では回線設計、Link Analysisっていうんですけど。例えば、小型で深宇宙にいる人工衛星はやぶさと通信するときは、直径が30メートルぐらいあるパラボラアンテナ使うんです。それも夜ね。つまり夜は雑音が低くて、アンテナが大きいとゲインが大きいと。そうすると遠くにあるアンテナの小さい衛星と通信ができるんです。回線設計というのは、デシベルを足したり引いたりすることで帳尻を合わせられるということです。

何が言いたいかっていうと、回路がどこでどうやって生まれるのかという話に戻るのです。原核生物で細胞膜しかないときは、外の雑音がある程度細胞質の中に伝わります。だけど、核をもつ真核生物になると、二重に膜ができるから、外部の雑音は核の中に伝わってこない。細胞質に比べてより静かな環境をもつようになるわけです。その細胞膜のなかの核の中では、処理能力が多分1億倍ぐらい上がるわけです。生命情報処理の能力が1億倍ぐらい、80デシベル上がる。どうして80デシベル(1億倍)っていうかというと、大量絶滅期に死に至る外部雑音から情報処理過程を保護するために核膜ができたと考えると、スマホの圏外とアンテナピクト5本の差が80デシベルだから、核膜の効果はそれに相当するので80デシベルというわけです。
で、外部の生息環境が元の静かな状態に戻ると、その80デシベルが余っちゃうわけですよ。能力余剰が生まれるわけ。それをどう有効利用するかということを、生命体は考えた。正確にいうと、生命のよりよく生きようとする本能が、能力余剰を利用した。例えばバクテリアだとDNAは、環状構造をしていて、輪っかになってるんで、一重なんですね。ところが、真核生物だとDNAは二重らせん構造になっている。バクテリアはDNAを2万塩基しか持てない。ところが、真核生物だと十億単位で持っているわけです。DNAの情報量が50デシベルぐらい、5桁ぐらい増えるんです。こういう桁違いの進化が起きてるんです、目に見えないところで

本州さんはさっき、処理回路がよくわからないとおっしゃったけど、これは本当に、ぱっと目に見えない。だから、どうして真核生物になったら大きな進化がおきたのかっていうと、核という低雑音環境を持ったからだといえる。
5桁も桁違いにたくさんDNAを持てるようになったということもあるけど、これ聞いたことあるかな、転写後修飾って言うメッセンジャーRNAのつなぎ変え。知らない? 転写後修飾なんて聞かないよね。テレビ見てても出てこないしね。転写後修飾、post-transcriptional modulationって言うんだ。
DNAがRNAに転写されたときに、核をもたないバクテリアの場合は、転写されたらそれがすぐアミノ酸に翻訳、トランスレートされてタンパク質に変わるんです。だから単純なタンパク質しか作り出せない。ところが核の中では、DNAがRNAに転写されると、それはエキソンとイントロンと言う、ゲノム部分と非ゲノム部分(ノンコーディング部分)を含んでいて、それが核内で分裂して、繋ぎ替えが起きているんです。
こうして真核生物のDNAはRNAに転写された後に、スプライシング(分裂)がおきて、メチル化やアセチル化やリン酸化などのヒストン修飾とかが起きて、複雑な情報に繋ぎ替えて、それから核膜を通って細胞質に送って、複雑なタンパク質にすることができるんですね。低雑音環境を獲得したおかげで、複雑なタンパク質を生み出すための情報を紡げるようになった。だからバクテリアとか原核生物が熱に強いっていうのは、シンプルなタンパク質しか作らないからなんです。一方、真核生物は熱とか過酷な環境に弱い。なぜなら核の中でものすごく繊細な仕事をしてるから、静かなとこでしか生きていけないわけですね。

それから、さっき言ったように、真核生物はバクテリアを細胞質のなかで家畜のように飼うようになった。細胞内共生といいます。ミトコンドリアとか葉緑体のDNAの一部は、真核生物の核内のDNAに取り込んで、そこで増やしたり減らしたり、指令を送ってるわけ。
処理回路を作るっていうことが分からないとおっしゃったけど、そういうふうに実に複雑かつ繊細なメカニズムがあるのだけど、目には見えないんです。

qbc:
最初に原核生物でRNAやDNAっていう物質が獲得されて、その後に真核生物が生まれて、より複雑な通信ができるようになったってことですよね。複雑な情報をやりとりできるようになったってことですよね。

得丸先生:
そうそう。それでね、RNAやDNAは自然界にはないんですよ。細胞の中にしかないの。それはなぜかって言うと、やっぱり原核生物が細胞膜を獲得したあとで、その中の低雑音環境でだけ存在する信号としてDNAとRNAが生まれたわけですね。それが38億年前。
20億年前に核をもつ真核生物がうまれて、複雑な情報をつくってやりとりできるようになった。真核生物になったとき、生命体はデジタル化したといえます。

この図を使って説明いただきました!

qbc:
暗黙の前提として、本来はデジタル生物学っていうのが前身にあるべきってことですよね。

得丸先生:
いいこと言ってくれますね。そういうことです。生命のデジタル進化がわかってないと、言語のデジタル進化は理解しづらい。言語は生命のデジタル進化の最終段階なんだよ。
これは2年前に焼津で行われた日本進化学会年大会のシンポジウム「進化の情報理論 ー 低雑音環境のS/N利得が共生進化を生み出す」でつかった資料だけど、真核生物が生まれた20億年前に何が起きたかっていうと、南アフリカに、大きな隕石というか小惑星がぶつかって、世界中が大変な状況になるわけですね。マグニチュード14だったというから、東日本大震災(マグニチュード7)の1000万倍の威力。これが死に至る環境ストレスを生み出し、大量絶滅を引き起こしたのです。

そうすると、核ができてくるわけ、突然変異で。核膜ってのは、実は細胞膜と同じ構造で、細胞膜が中にくびれて入って、それが独立したものが核膜なんですね。だから、何とかして生き延びなきゃいけないっていう中で、ああやったりこうやったりする中で、突然変異で細胞膜を二重にしたわけですね。「寒いから毛布2枚着た方が温かい」みたいなもんでね。
そうすると今度は、ストレスがなくなったときに、ものすごい進化が生まれる。どんなひどいストレスも、100万年ぐらいすればなくなるわけですね。そうすると、真核生物は核を持っちゃったから、クリーンルームというか、細胞の中に特別なコンピュータルームを持ったようなもんですね。クーラーの効いた、コンピュータルームをもつ生物に変わるわけです。すると、この黄色の矢印は、ダイナミックレンジっていうふうに呼んでもいいんだけど、要するに処理能力が、80デシベル、1億倍ぐらい上がるわけですよ。

そういうことが、地球の歴史の中で繰り返し起きてるわけです。5億4000万年前のカンブリア爆発のときも、同じようなことが起きて、生き延びるために神経系とか脳室ができて、脊椎動物が生まれていくわけですね。これが5億4000万年前。6600万年前はメキシコ湾に、隕石がぶつかって、チチュルブ隕石衝突って言われてますけど、その影響で大量絶滅がおきた。
それまではカンガルーとかコアラのように、卵で産んでおっぱいをあげてたのね。卵で産んで、赤ちゃんがおっぱいのとこまでヨタヨタ移動して、おっぱいを吸ってたんです。

ところが、6600万年前に哺乳類が生まれて、いやそんなことしなくていいよと。私のお腹の中で栄養を全部あげるからって。十月十日、あるいは長めの妊娠期間で赤ちゃんになって生まれてくるから、栄養とか老廃物とかの代謝も良くなるし、外敵に襲われることがなくなってより生き延びるようなったし、脳が大きくなるもんね。卵だとどうしても脳が大きくならない。子宮のなかで育ったヒトの脳は生まれたときすでに400CCあるわけです。

そういう脳室や子宮のような低雑音環境が大量絶滅期に生まれるわけです。それは物理的な器官の突然変異的発生ですから、物理進化です。そして、時間が経過して、環境ストレスがなくなったときに、予想もしなかった処理回路が生まれてくるわけなんです。これが論理進化です。論理進化と物理進化を表にしたものがあります。生物に関して言うと、核ができるとか、中枢神経ができて脳室ができるとか、子宮ができるっていうのは、低雑音環境を提供する器官の誕生で物理進化なんです。

大量絶滅期に、体の中に低雑音環境を作ることで生き延びようとする。でも、環境が回復すると、低雑音環境がもつ情報処理能力の余剰を利用して、DNAは一重の輪っかだったものが二重らせんで桁違いにたくさん情報持てるようになった。制限酵素(restriction enzyme)っていうのができて、DNAはどこから転写するかを指示するようになった。転写後修飾するようになって、メッセンジャーRNAという複雑な情報にしてから、アミノ酸に翻訳するようになった。

この図を使って説明いただきました!

さらに、細胞内でバクテリアとの共生が始まった。共生が、進化の最終的なものじゃないかって思います。ミトコンドリアや葉緑体のDNAを核の中に取り込んで、飼育するわけですね。こういうことが20億年前に始まってるわけです。カンブリア大爆発の後も同じようなことで、脳室とか中枢神経ができたら、多細胞ネットワークが始まる。多細胞生物が生まれたのもわずか数億年前の話なんですね。感覚器官ができる。匂いとか、味とかが最初だけど、あとになって視聴覚というリモートセンシングができるようになる。

視聴覚できてから、反射ができるようになる。それは感覚と運動細胞が共生して、脊髄反射というか、ぱっと動けるようになる。そういう回路が脳の中にできていく。これが新たな処理回路ですね。それで生命は、餌に向かうときとかあるいは敵から逃げたりするときに、パッと動けるようになって、より有効に生命を維持できるようになっていくわけですね。

哺乳類の場合も同じで、子宮のおかげで大きな脳を持って生まれる。おっぱいを吸うから、それでチュッチュッとかやってる中で声が出るようになって、「危ないよ」とか「愛してるよ」とか「おい、こらー」とか、それぐらいの10や20の記号でコミュニケーションできるようになる。その先の共生というのは、群れなんですね。カエルとかはたくさんいるけど、親分なんていないわけですよ。リーダーがいない。でも狼とかライオンとかは親分(ボス)がいて、みんなの面倒を見たりするわけですね。群れとしての共生。そういうものが哺乳類では生まれるわけですね。助け合いとか、あるいは自分を犠牲にして敵と戦ったりとか。サルはそういうことやってますからね。

このあたりの、目に見えない共生進化が、新たな処理回路として生まれてくる。全ての生命はよりよく生きようとしている。よりよく生きようっていうのは、単に大きくとか強くとかだけじゃなくて、仲間と一緒になって群れをつくることで生き延びようとか、そういうことを目指してるわけですね。

その延長に我々がいるっていうのがデジタル言語学です。音節という物理信号を獲得した後に、様々な論理進化があるはずであり、そのメカニズムを解明しようとしているのがデジタル言語学なんです。
生命体がだんだん複雑な共生進化に向かったように、ヒトも音節・文字・ビットという物理的な信号進化のあと、音節・文字・ビットそれぞれに対応した論理進化が生まれるだろうということを、自分で表を作っていろいろ考えてるわけ。

文字は「消えない音節」、ビットは「対話する音節」

qbc:
整理させていただくと、20億年前の段階っていうのが、DNAが生まれる段階。

得丸先生:
ちょっと違います。DNAが生まれたのは、38億年前。細胞膜ができてから。細胞膜ができて原核生物になって、RNAやDNAという核酸が生まれた。
20億年前というのは、核が生まれたとき。生命体のデジタル進化はこのとき始まった。

qbc:
核膜ができたんで、扱える情報量が増えたよっていう状態ですよね。

得丸先生:
そのときに、例えば普通のバクテリアだと2万ぐらいのDNA量なんだけど、真核生物だと二重らせんになっているからDNA量はBP(Base Pair)っていうね、ベースペア。塩基対っていう。
原核生物は一重で塩基対になっていない、2万ぐらいのDNA量だったのが、真核生物になると、十億単位のDNAを持つんですね。で、DNAがRNAになってタンパク質になるっていうのは、これはバクテリアも真核生物も同じですよ。ただ、そのタンパク質がシンプルか複雑かが違います。

qbc:
その後で、CNS=中央神経系、脳室っていう段階がさらに個体の中の細胞間で、ネットワーク量を増やすみたいな感じのイメージですかね?

得丸先生:
そうです。多細胞生物がいつできたかっていうのも、大体8億とか6億年ぐらい前なんですよね。10億年前にはいなかったんだよね。それまでは単細胞だったわけ、アメーバみたいに。だから、細胞間ネットワークっていうのが、やっぱりこのカンブリア大爆発の頃始まってるわけ。

qbc:
なるほど。「個体の中」の細胞間のネットワークの話ですよね、ここは。で、現代の段階っていう言い方でいいと思うんですけれども、その時代が続いているのが、その「個体間での情報を声でやってるよ」っていう状態ですよね。

得丸先生:
哺乳類はね。猿の群れの中とかライオンの群れの中では、鳴き声で、「行くぞー」とか、「おい、こらー!」とか、「エサがあるぞ」とかそういうことを言ってるわけですね。それはアナログな喜怒哀楽を反映した信号であり、その感情の大きさが声の大きさに反映されているということです。

qbc:
最初の段階が、「1つの細胞の中での情報量が増えた状態」ですよね。で、次の段階が「細胞間のネットワークができたような状態」。で、次の段階が、「個体同士が音声を使ってコミュニケーションできるようになった状態」、という位置づけで大丈夫ですかね?

得丸先生:
そう。ざっくり言うとそう。その段階が哺乳類。

qbc:
文系的理解で言うと、個体だけじゃなくて、人と人とが、個体と個体とがちゃんとコミュニケーションできるようになった時代なんだな、っていうようなイメージができましたね。

得丸先生:
その延長にあるわけ、ヒトは。

qbc:
現段階における最終段階がヒトっていうことですね。

得丸先生:
単純な鳴き声を使っているのが哺乳類ですよね。これに対して、ヒトが離散・有限な音素を獲得したのが7万2000年前。その物理信号の進化のあとに論理進化がおきて、ヒトは段階的に進化しているところなんだ。トバ火山灰の冬って聞いたことありますか?

qbc・本州:
ちょっとないですね。

得丸先生:
これはね、大体7万4000年前とか言われてるんですけど、インドネシアにトバ火山っていう火山があるんです。インドネシアのスマトラにね。それが大噴火を起こして、世界中が火山灰の冬になった期間が、6年あるとか言われてて、すごい寒い時期があったっていうふうに言われています。
寒いっていうのは生きていくのは辛いんだけど、ノイズ的には低いんですよね。雑音は絶対温度に比例します。寒いということは、ノイズが低いということ。「頭寒足熱」ってよく言うくらいだから、勉強するときに頭は寒い方がいいわけですね。それから、文学作品も、やっぱりロシアとかで生まれてるわけですね。音楽もね、シンフォニーもね、やっぱり作曲家っていったらロシアが多い。やっぱ寒い方がね、文化にはいいわけですよ。
その寒いときにね、現生人類が生まれたって言ってる人がいるんだよね。聞いたことあるかな。ジョン・メイナード=スミスって生物学者。

この図を使って説明いただきました!

qbc:
名前だけは聞いたことありますね。

得丸先生:
有名人。ジョン・メイナード=スミスが、遺伝子の突然変異解析をやって、最初に言ったんだよ。7万年前に現生人類は生まれたって。もう少し正確にいうならば、7万年前に人類はデジタル言語を獲得したというべきかも。そうすれば直立二足歩行からの連続性が明確になる。トバ火山の後に現生人類が生まれた、っていうふうな研究をしている学者が何人かいます。それは多分やっぱり寒かったからです。寒いってことは、S/Nの、分子のS(シグナル=信号)が一定でも、分母のN(ノイズ=雑音)が下がれば、S/Nの値は大きくなるわけで、進化が起こりやすくなるわけですね。

たぶんこの頃、子音が生まれたんだと思います。それが南アフリカのスティルベイ(静かな湾、実際に遠浅な海岸です)というとこにある、ブロンボス洞窟という洞窟があるんですね。そこでスティルベイ文化という新石器文化が、7万2000年前に生まれているんです。

そのスティルベイ文化の時期につづいて、6万6000年前に、ブロンボス洞窟よりも東に350㎞のところにある、やはり海岸沿いの洞窟がクラシーズリバーマウスという洞窟です。そこで、顎が発達して、母音が出るようになった。そのときの文化がホイスンズプールト文化っていうんだけども、6万6000年前に母音を獲得して、音節が生まれる。肺からの呼気を使うから信号は強くなって、ダイナミックレンジが上がる。
そして安全な環境のなかで文法が生まれた。日常的な言語コミュニケーションはそれで十分なんだよね。普通例えば家族でね、自分の家族と書いたものでコミュニケーションしないでしょ。目の前にいる人と。人間っていうのは今だってそうだけどね、今僕たち喋ってれば文字はあんまりいらないよね。

文字が何故生まれたかっていうことについては、僕が自分の足でインダス平原を歩いて思いついた仮説があります。この文字というもののおかげで、大きな言語的なジャンプ(飛躍)があるわけです。

6万6000年前に母音が生まれた後、6万年間、人類は文字を持ってないわけ。6万年ですよ。文字は普通はいらないもんだ。奥さんに何かちょっとまずいことして、「あなた!今度私に指輪買ってね」とか「分かりました、約束します」とか、そういうときには書いたりするけどね。(笑)忘れないようにするために。そういうときしか書くことはしないよね。普通はね、「今度コーヒーおごって」とか「いいよ」ぐらいだったら、書いたものにしないですね。
書いたものにするっていうのは特別なときで、これはメソポタミアで最初に文字が生まれて始まったわけです。どうしてメソポタミアで最初に文字が生まれたかっていうのは、僕は2016年にインダス川平原に初めてじゃないけど行って、このとき分かりました。そこがどういうところか。メソポタミア平原とか、インダス川平原っていうのは、大陸と大陸がガーンってぶつかって、間の海だったところに土砂が埋まってできてるわけよ。

だからね、イラクとか行くとね、僕は行ったことないんだけどね、1000kmぐらいまっ平なんだ。1000km×400kmが平たいんですよ。なんでかって言ったら、元々海だったとこを土砂が埋め立ててできてるから。インダスも、僕はパキスタンのイスラマバードからラホールまで300kmドライブしたんだけど、途中に丘一つない。日本人から見るとびっくりだよ。何処を掘っても水がたくさん出てきて、平たくて、もうそこらじゅう田んぼや畑があって、ワーッスゴイと思うわけ。それが文明を生み出したわけです。

つまり非常に平たい土地がたくさんあって、水もたくさんある。そうすると農業が栄える。権力が生まれて王朝が生まれる。そうすると、王朝っていうのは税金の取り立てとか、土地の管理が必要だから、何とか記録できないかっていうんで、文字ができた。「おい、何とかしろよ。」「これを記録してくれ。」と、それで文字を作る。で、学校も同時にできますね。メソポタミアでは学校も同時に生まれる。読み・書きができたら、文字って何かっていうと、消えない音節なんですね。皆さんは、日本語で書いているものが、目に入ると、無意識のうちにそれを音として読んでるんですね。字は、その形や色を読んでるんじゃない。その字があらわした言葉の音を読んでいる。それが読み書き能力です。

文字は「消えない音節」。これですごい進化が起きるわけですよ。それまでは大事なことを知ってる人がいても、死んじゃったらもう聞けなかった。あるいは遠くに人がいても、会いに行かないと話を聞けなかった。ところが、文字ができたおかげで、死んだ人の言葉が読める。つまり聞こえる。あるいは遠くにいる、あるいは地球の反対側にいる人の言葉でも、それが日本語に翻訳されて出版されたりすると聞こえる。そういうのが文明なんです。

文明っていうのは、「時間や空間を超えて言語情報を共有し、世代を超えてそれを連続的に発展させる現象」です。「俺はここまでやった。あとは任せたよ」とかね。例えば今、僕が新しくお酒を作りたいと思ったら、今まで誰がどんなことをやっていったか全部調べて、「俺はこの人がやったことを真似しよう」とか、「これは誰もやってないからやってみよう」とか。そういうことで新しいものが生まれていくわけですね。これが文明なんですよ。文明っていうのは、文字が生んだんですよ、実は。

本州:
ちょっと一つ質問してもよろしいですか?文字は「発明」で、母音は「獲得」。文法は人間が「発明」したものですか、それとも「獲得」したものですか?

得丸先生:
はい。質問わかりますよ。あのね、文字はね、不自然なんだよね。日常生活では必要とされない。だからね、誰かが命令しないと作り出さないよ。誰かが命令して作って、それいいかな?悪いかな?といろいろテストして、やっぱり学校を作るしかないなとか、こうしたら覚えやすいとか、みんなで議論してやったと思います。だから「発明」なんですね。文字と正書法ね。英語でorthographyと言うけど、正書法というのは、言葉の音と文字表記がどう結びつくかの規則です。今喋ってる音節列を、どう文字にするかっていうルールね。それも文字と同時に発明してるわけ。
それに対して文法は「自然発生」であり、「自然獲得」だと思います。つまり、誰かが「文法を作りなさい」と言って作ったんではなくて、文法は自然に生まれて共有されて広まった。そして学校にいって習わなくても、自然に文法を使えるようになる。例えば「太郎と花子が」、「太郎が花子に」、「太郎も花子も」とかいうときに、頭のなかで、自然と太郎と花子の関係を思い浮かべることができるでしょ。分かるでしょ?

例えば主格は母音の「あ」がつく、太郎「が」とか、太郎「は」とか。主格は「あ」という母音がつく。目的語の場合は「に」とか母音の「い」とか「を」とかね。そういう形で、母音の持ってるベクトル性が自然に言葉にくっついて、何となくできていって、それが共有されていったのが文法だと思いますね。
たぶん文法は自然。だからなおさらその仕組みが分からないんだ。いまだに文法の学会ってぐちゃぐちゃだよね。文法の定義がないですからね、そもそも。ところが学校に行くと、文法の本があるわけ。文法の教科書があって、それには形容詞や動詞の活用とかね。強調するための係り結びとかね。受動態とか、いろいろあるでしょ。

文法というのは実はたくさんルールがあって、日本語には複数形がない。でも敬語はあるとかね。敬語は日本語はうるさいでしょ。特に古典の場合、古文の敬語なんてもう頭が痛いけど、何で主語が書かれてないのにこれが天皇陛下のやったことだと分かるんだ?とか、いろいろと複雑な規則がある。古文の文法というと、源氏物語を思いだすね。
文法ってのは、やっぱり全部きちんとしたルールがあるわけです。非常に繊細に。でもそれがそれぞれバラバラ。だから、一体文法ってのはいつどうやって覚えたんだろうって思う。だから自然なんですよね。自然に音の違いを意味の違いと結びつけていく。「する」と「なさる」の違いとかね。同じ動作でも、敬語を使いわけることで、主語の偉さのレベルが変わるわけです。

でもその自然さを、「なぜそれを自然に覚えたのか?」とか、「なぜそれをみんなで共有できているのか?」みたいなところは、まだ文法学は明らかにしていない。逆に混迷させてるよね。わけのわからんことをやって、それでいいよみたいな感じでやってる。生成文法とかね、syntax構造で、”the boy who has a red hat standing near the door”とかさ。だからいったい何が面白いの?みたいな感じのことをやってるじゃないですか。そんなことをやって、みんなが同じようなことを発表しているのが文法の学会。本質に行かないで、袋小路に行くような研究が多いんです。特に文法論はそうです。
文法って自然に生まれたみたいだけど、確かにあって、3歳くらいから文法を使える。では、「文法って何だろう?」っていうところをやったのが、デジタル言語学ですね。2010年から2014年ぐらいに、3、4年かけてね、やってんですよ。「文法とは何か」、「文節構造とは何か?」とね。日本語の文節構造と、フランスの文節(分節)構造は、どこが同じで、どう違うのかとかね。
フランス語の文節(分節)って、「ランガージュ・アルティキュレ(langage articulé)」っていうんだけど、聞いたことありますか?ランガージュ・アルティキュレって聞いたことない?ランガージュ・アルティキュレって、ちょっとやそっと調べても、何だか分かんないんだよ。

例えばフランスに行って、パン屋のおばちゃんとか、歩いてる人に「すいません。ランガージュ・アルティキュレって何ですか?」って聞いても誰も答えられないんだ。
僕の場合は、日本に長く住んだフランス人男性の友人が、奥さんが日本人で、娘はだからハーフだよね。彼が言ったんだ。「僕はね、娘が小さい頃、ランガージュ・アルティキュレができないからね、それを教えてたんだよ。」っていうわけ。「え?何それ?」って思うじゃない。
それは、日本には冠詞がないから、お嬢さんは冠詞をつけないで、”Je bois café.” と話してた。ところがフランス人は”Je bois du thé.”(私はお茶を飲みます)って言うんだ。”Je bois du café.”(私はコーヒーを飲みます)。必ず”du café”と冠詞のduがつく。冠詞がつくんですね。あるいは”une table”って言う。テーブルっていうとき、ただ”table”とは言わない。”une table”もしくは”des tables”(テーブルの複数形)。tableに必ず冠詞がつくんですよね。

自分の娘は、冠詞のない日本で育っちゃったから。tableとか言っててね。「そうじゃないよ、une tableって言うんだよ。des tableって言うんだよっていうことをね、教えてた」っていうのを聞いて、それで分かったんだ。
フランス語っていうのは必ず、名詞の前に冠詞とか前置詞が必ずつくんですよ。日本語は逆で、名詞の後に助詞とかついたり、あるいは動詞や形容詞は語尾が活用するんですよ。文法的なものが必ず前にくるのがフランス語、必ず後にくるのが日本語。
フランス語はワンパターンというかね。フランス人ってね、ワンパターンなんですね。例えば、「少々お待ちください」って電話で取り次ぐときとかも、”Ne quittez pas.”(ヌキテパ)。「切らないで」って意味。みんな”Ne quittez pas.”って言うんですね。

ものすごいワンパターン。日本語は逆のワンパターンなんですよ。後ろに常に文法がくるんですね。文法が常に後ろ。「太郎と花子が」とかね。そういうふうになってて。つまり、我々が今こうやって喋ってんのは、言葉+文法、言葉+文法という形で言葉を繋げるわけ。文法っていうのは、助詞や接続詞でもあるけど、動詞や形容詞の活用語尾も文法。その言葉+文法を文節構造っていうけど、常に僕らは文節構造を使って喋ってるわけ。で、フランス人も分節構造なんだけど、語頭に文法が来る。文法処理の謎は、文節(分節)構造にあるんじゃないかと気がついたわけ。
目つぶったって文法を使えるし、意味がわかるわけだから、文法っていうものは音の中にあるわけですよ。喋ってる音声の中に文法は隠れてる。それは文節構造のなかだ。日本語の「言葉+文法」あるいはフランス語の「文法+言葉」という構造にもとづいて文法を処理していることに気がついたんだ。
文法語の母音の音韻ベクトルが、意味の変化を示すスイッチの役割をはたしている。我々は3歳くらいで自然に母語を片耳でモノラル聴覚するように切り替わっていて、脳幹の聴覚神経核がもつ方向定位能力を、文法語の音韻ベクトル解析に転用している。という非常にダイナミックな仮説を思いついたわけ。(「母語のモノラル聴覚と文法処理 例外としてのピダハン」)

最終的にピダハン語っていう、ブラジルの少数言語の研究者のダニエル・エヴァレットに会いに行って質問をしたんだ。「僕の仮説では、文法は片耳聴覚することで処理をしている。あなたの本を読むと、ピダハン語には僕の言うところの文法がないから、ピダハンは大人も両耳聴覚してるんじゃないですか?」って。そしたら「その通りだ。彼らは、両耳で聞いてる。大人も両耳で聞いてて、まるで鳥がさえずるような喋り方をしてるんだよ」ってなことを教えてもらったんだけど。文法は奥が深いわけですよ。本当に目に見えない。ピダハンの例外を確認することで、仮説を検証できたわけ。あなたの言った「処理回路っていうのは何ですか?」っていうのは、それぐらい目に見えない話なんですよ。

qbc:
なるほど。ありがとうございます。ビットの発明について教えていただけたらと思います。

得丸先生:
ビットは何かっていうね。これ僕のオリジナルじゃないからね。これを言って死んでいったのがジョン・メイナード=スミスなんです。ジョン・メイナード=スミスの本の中に、『生命進化8つの謎』ってのがあって。朝日新聞から出てるんですけど。
『生命進化8つの謎』の最後の方で、人間の言語は生命のデジタルと似ている、人間の言語はデジタルじゃないかっていうことをパッと書いてて。音節が生まれた後、書き言葉と電気信号が生まれて、これがどれぐらいすごいかは、もうちょっと想像することもできないって言って死んでいくわけ。これは25年ぐらい前だけどね。それが頭の中にあったから、「音節・文字・ビット」「音節・文字・ビット」って常に僕は探してたんですね。このビットって一体どういうものかっていうのが、分かったのが大体7、8年前ですよね。

ビットとは「対話する音節」なんですよ。文字は「消えない音節」だったよね。だからシェアできた。でもビットっていうのは、「対話する音節」。それは何か。インタラクティブっていう言葉、聞いたことあります? インタラクティブっていうのは対話をするの。つまり、0101で表現してるものに対しては、例えば検索がかけられるわけですよ。
検索エンジンを使えるわけ。例えば、このデジタル言語学は、この間のインタビューでちょっとお話したように、Google検索で2回、human, digital, languageと、それから、CSF, neuronっていう2回の検索によって、全然知らなかった論文に出会えたんです。その論文から学びうけたことが非常に大きかった。なぜそれができたかっていうと、ビットはインタラクティブな音節だから、キーワードを入れると、既にそれについて研究している成果を手に入れることができるわけですね。ビットっていうのはだから、ものすごいパワーを持ってるわけ。

本というのは読まなきゃいけなかったからね。本っていうのは読まないと何書いてるかわかんない。何ページあるか、何文字あるかどうかは読まなくても分かるけど、そこに何が書いてあるかっていう中身は、しかるべき人が読まなきゃ分かんない。でも最終的には読むしかないんだけど、検索エンジンを使うと、どんな本を読めばいいかまで、どの論文を読めばいいかがわかる。これがビットのすごさなんですよ。
これが対話する音節で、これは人類共有知とでも呼ぶべき集合的知性を生み出すことにつながる。さっき言った、human, digital, languageっていうのを検索したとき、あるいはCSF, neuronって検索したとき、既にそれを研究してた人は死んでるわけですよ。ニールス・イェルネ(Niels K. Jerne)もヴィグ(B. Vigh)も。でも死んだ人の書いた論文を、読みにいけるわけです。ただで、その場でダウンロードできるんだよ。PDFになってれば。これはすごいことでしょ。
どんな田舎に住んでても、回線、ネット回線、今はこの安いワイモバイルでテザリングやってんだけど、スマホのテザリングでこんな検索ができて、論文がダウンロードできるんですよ。それで印刷したらもう、図書館行くのと同じじゃないですか。今はそういう時代なんですよ。だから、僕たちは人類共有知に、いつでも好きなときに、どこにいてもアクセスできる、ユビキタスな時代に今、生きてるんだね。これが我々の今ですよ。

qbc:
ありがとうございます。本州さん何か質問ありますか?

人間の言語とは何なのか

本州:
ちょっと今の話の流れから逸れてしまうんですけれども宜しいでしょうか。得丸先生は、「人間の言語とは何か」という問いに対して、今の時点でどのようにお答えになりますか?人間の言語はデジタル、というふうにお考えですか?

得丸先生:
良い質問だね。あのね、言語とは何かって言ったときに、犬の鳴き声や猫の鳴き声も言語っていう人もいるからね。そんな風に言ったらもう何が何だか分かんないですよ。あなたが言ったように、「人間の言語とは何か」っていうふうに、やっぱりまず問わなきゃいけないわけですよね。
「人間の言語とは何か」っていうふうに聞かれたら、「哺乳類の音声コミュニケーションがデジタル化したもの」が言語である。デジタル化ですよ。それは6万6000年前の音節の獲得、あるいは母音の獲得によって、離散・有限・一次元的な、音節という信号を獲得して進化が始まった。その進化は、文字という消えない音節、ビットという対話する音節、その獲得によって更なる進化が進んでいるわけですね。

さっき原核生物と真核生物の差を、ざっと80デシベル、1億倍ぐらい複雑になったと言った。それから脊椎動物でさらに1億倍。哺乳類でさらに1億倍ぐらい複雑になってるってふうに僕は思ってるんですけど。同じぐらい、つまり、音節だけの無文字社会が文字を持った社会になると、原爆だって通信衛星だってできるわけで。1億倍ぐらい複雑さが進んでいると思うんですね。
じゃあ、今の時代何かっていうと、文字からビット、これもさらに1億倍ぐらい複雑になるわけですよ。多分。それをまだ僕たちは使いこなせてないし、方法を確立してないだけで。例えば、かつて誰かがついた嘘とかも、全部わかるわけ。歴史の中で。この人はここでこう言ったけど、どこにもそれを裏付ける事実がないから、これは嘘ついたんだなとか。あるいは、ある人からの助言を無下にしたから、ここでこういう発言になったんだなとか。そこまでわかるわけ。関連する文献を丁寧に読んでいくと、わかるんだ。その成果を学会とか研究会で発表しても、みんなついてこないんだけど。この人のこの言葉は嘘だとか、この部分は弟子の研究成果の手柄を横取りしたんだとか、わかる。これはスゴイことだと思う。

あるいは間違いっていうのがある。「嘘」と「間違い」は違うからね。一生懸命やっても間違った場合があるわけね。そして、誠実な人の間違いは、後世に生きる僕たちが訂正できるわけ。「この人はここまでできてる。95点だったけどあと5点はここだよ。これで100点になった。」みたいな。そういう時代になってるわけ。
だから言語とは何かっていうと、やっぱり「哺乳類の音声コミュニケーションのデジタル化」であって、文字とビットによって、160デシベルだよね。だから、1億倍の1億倍の複雑さへ僕たちは今、入ろうとしている。やっとホモ・サピエンスになれる時代が来たという。ホモ・サピエンスに今なろうとしてるんだよ。言語が人類を生んだんだよ。言語のおかげでホモ・サピエンスになれる。

qbc:
ありがとうございます。大丈夫ですか、本州さん。

チョムスキーについて

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本州:
もうひとつ。インタビューの最後のほうで、「チョムスキーに幾度となく潰されてきた」っていうようなことをおっしゃってたと思うんですけど、それについてもちょっと詳しくお聞きしたいです。

得丸先生:
僕とチョムスキーの話?それとも、チョムスキーに潰された様々な人の話?

本州:
チョムスキーと得丸先生の話が聞きたいです。

得丸先生:
チョムスキーの難題、チョムスキーのコナンドラム(Chomsky’s Conundrum)って聞いたことある?ない?どっかに書いてあるけど、1962年の第9回世界言語学者会議っていうのがあってね。マサチューセッツ州ボストンで行われたのかな。その中でチョムスキーが言った言葉があるんですよ。チョムスキーはね、「僕たちは初めて使う言葉を交換しても、どうして意味がわかるんだろう?」みたいなことを言ったんですよ。
僕は2011年に、情報処理学会の自然言語処理研究会・音声言語処理研究会で発表したんです。チョムスキーの難題っていうのはね、
『成熟した話し手は、適当な機会に自分の言語の新しい文を作ることができ、また他の話し手たちは、その文が自分たちにとっても同じように新しいものであるにもかかわらず、その文を直ちに理解することができる。』これがチョムスキーの難題なんですよ。

チョムスキーがすごいのは、こういうふうに、確かに~そうだな~ぐらいな感じ、ちょっと言い方がふにゃふにゃしてるんだけど、確かに~そうだな~みたいなふうに言って、謎を解くかのように持っていきながら、実は迷路に落とし込むみたいな。それがチョムスキー。ハハハハ(笑)ふにゃふにゃしてんだよね。
だから僕は変えたんだよ。僕が直したのはこうだね。『人は状況に応じて新しい文を作ることができ、それをたった一度発話するだけで、聞き手が正確にただちに理解できるのはなぜか。』ちょっとスッキリしてる。ただね、そのときに知らないことは理解できない。例えば、食べたことがない料理とか言われても、ハギスとか言われてもさ、わかんないじゃん。食べたことない料理は理解できないよね、まあ「料理だろうな」ぐらいしか分からない。
つまり僕のデジタル言語学は、このチョムスキーの難題と取り組むところから入っていくわけですよ。それが2011年。
チョムスキーってのは、そうやって言語の謎を、文法だってそうじゃない。あの人、生成文法、generative grammarとか言って、確かにみんな説明できないから、生成なんて言われたらふ〜んって言って納得してしまう。その割にじゃあ「文法とは何か」ということは、はっきり定義しないし、脳の中で文法をどう処理してるかっていうところには行かない。
生成文法、生成文法って同じ言葉を繰り返してれば、みんなハッピーみたいな。syntax、syntaxってみんなで言えばオッケー。みんな玄関先で踊ってるだけで家の中に入らない。これがチョムスキー。

だからみんな潰されちゃうでしょ。チョムスキーとやると。ジャッケンドフもやめたし、ピンカーも言語学者やめたでしょ。チョムスキーの弟子になると、みんな途中で潰されるんだよ。酒井さんだってそうだよ。酒井邦嘉さんだって結局何もやってないわけだよ。もうチョムスキーの紹介をしてるだけで終わっちゃうわけですよ。自分らしいものを何にも研究できてないわけ。それがチョムスキーの怖いとこ。
でも僕は、それでもチョムスキーの難題から入っていくことによって、2013年のジュネーブで行われた、第19回国際言語学者学者会議に、文法論と概念論で2本論文が採られるわけ。珍しいですよ。こんないきなり、初心者がさ、1300人か1500人くらいくるわけ。5年に1回行われる、チョムスキー派の最大のイベントですよ。国際言語学者会議は。その後が2018年の、ケープタウン。次が2023年にロシアだったはずが、今年2024年の9月にポーランドでやるんですね。ポズナンで。
5年に一度の、もう超巨大イベントなの。でも、そのときは2本選ばれたけど、ケープタウンときと今年のポーランドはどっちも拒否された。僕の論文はね。それははっきりしてるわけですよ。チョムスキーのやってないことをやろうとしてるからね。みんなはチョムスキーがやったことだけ繰り返してればいいけど。「チョムスキーはこれをやってない」っていうことを出すから。そのときは、2013年はギリギリで選ばれたけど、18年、24年、今年はね、リジェクトされてますよ。今年は『生成文法の分子構造』というタイトルで発表を申し込んだ。でも拒否された。そうだよね。そしたらチョムスキーの嘘がばれるからね。

チョムスキーはね、去年、脳梗塞になって半身不随で、今ブラジルで寝てんだよ。チョムスキーは、飛行機にベッド積んで、去年アメリカからブラジルに引っ越してね。奥さんがブラジル人だからね。今は彼はブラジルにいて、もう言葉も喋れない状態らしいです。もういい年だけどね90いくつでしょ。だけど彼は非常に罪深いと思います。最初から。
でね、この間、玉置神社って知ってますか?熊野にあるんですよ。先週、ちょうど1週間前、熊野にね、お参りに行ったんです。玉置神社に。「何しに来たんですか?」って言うから、ちょっと今度9月の南アの学会と10月のインド言語学会での選考状況が思わしくないから、あまりにチョムスキー理論と違うからね、「悪霊退治をお願いに来ました。」と言って昇殿参拝をお願いしたんだ。そしたらね、受付の人が結構言語学に詳しくて、ミシェル・フーコーとチョムスキーの対談をYouTubeで見てたんだって。それ見てるだけでもすごいけど。そしたらミシェル・フーコーがチョムスキーを完全に馬鹿にしててね。チョムスキーはタジタジだった。反論できなかったっていうなことを教えてくれたんですけど。

ピアジェもそう。ジャン・ピアジェも、「チョムスキーはけしからん」って言ってる。「科学を宗教に戻してる」って言うわけ。なんか科学的なことを言っているようで、結局宗教に戻してるんだよね。1986年3月にマナグアで講義してるんですよね。デカルトの難題。デカルトの難題ってのは、文法はどうやって処理するのかっていうことなんだけど。それは人間の知的能力の範囲外にあって、神の介在なしにはあり得ない。”divine intervention”って言ったんだよ。神の介在っていう言葉を使うんですよ、講演の中で。
チョムスキーは、特にニカラグアみたいな途上国に行ってるから、ちょっと気が緩んだと思うけど。これはね、ものすごい。科学においてね、「これは神の介在である」なんていうのはね、もうおかしい。みんなね、本を読むときにね、「まずチョムスキー先生を何とか理解しよう。難しいな。」で終わっちゃうんですよね。だから批判までいかないわけだよ。やっぱり批判するためには、その人のことを100%理解できないと、批判できないからね。僕はそれをめざして、徹底的にチョムスキーを、その参考文献まで読んだわけ。
2018年10月にモスクワで学会があって、チョムスキー派の人が発表してたからね、僕は質問した。チョムスキーはね、フランス語のラング(langue)、ラングって言語ですよね。ラングとランガージュ(langage, 言い回し、表現)をどっちもランゲージ(language)に訳してます、英語で。さっきほら、ランガージュ・アルティキュレって話したけど、ランガージュとラングは別のもんですよ。私の質問はね、「チョムスキーは、フランス語のラングとランガージュをどっちもランゲージに訳してますけれども、これは良いことですか、悪いことですか、どうしてですか?」って質問したんです。そしたら、オランダ人の先生だけど、「確かに、それはちょっと、混乱を招くよね。」って言った。

ソシュールは別の概念として使ってますからね。ソシュールはラングとランガージュを別の言葉として使ってるから。でも、チョムスキーは、わざと、それも70年代からずっとだよ。もう40年以上、チョムスキーはラングとランガージュをランゲージに訳してるわけ。チョムスキー派において、ソシュールの概念はぐちゃぐちゃにされてるわけ。もうテロリズムですよ、こんなの。そういうことをやってて、でもみんなそれを気がつかないか、容認してる。
チョムスキーは2013年にジュネーブで学会やったんだけど。僕はそれに行ったんだけど。ジュネーブっていうのはソシュールの街であり、ピアジェの街なんですね。ピアジェが活躍したのもジュネーブだし、ソシュールが活躍したのもジュネーブ。チョムスキーって学会を開くのにね、わざとそこにね、殴り込みに行くような感じで行くわけ。ソシュール言語学に関しては、別室でやったんだよ。別室でやって、他の人を入れなくするんだよ。ぐじゃぐじゃなことやって、もうわけがわかんないことやって、何だかわかんないまま終わるんだよ。あれはもう混乱させるため、ソシュールの言語学を潰すためにやってるとしか思えない。

ピアジェもそう。ジュネーブ大学っていうのはピアジェがいたとこですけど、いきなり基調講演が「心理学と言語学」っていうタイトルで、心理学はどうでもいいっていうような講演をするんですよ。チョムスキー本人じゃないよ。チョムスキーも来たけどね。そのときに、発表者がそういうことやるから、僕質問したんですよ。「あなたはピアジェをどう評価するんですか」って言ったら、「いやもうピアジェなんか古いよ。使えないよ。」みたいなことを言うからさ。「私はそう思わないけど、あなたはピアジェの『知能の心理学』を読みましたか?」って聞いたのね。そしたらNoって言った。ひどいもんだよ。読みもしないでね、ピアジェを否定するなんてありえないと思うんだけど。
ピアジェっていうのはスペルの最後がTだから、ピアジェをサポートする・信じる人はピアジェチアンと言うんだけれど。「あなたピアジェチアンですね」とかコーヒーブレイクで声をかけられたけど。1000何百人もいて、みんなピアジェを読んでない。
ピアジェの墓があるんだよね。ジュネーブに。僕は墓参り3回行ったよ。墓参り行ったって言ったら、学会事務局の人が「家にも行っていいよ」って、住所を教えてくれたから、家にも2回行ったよ。それでなおかつ学会のプレナリーが行われている大教室のすぐ近く、上に、ピアジェ文庫、アルシーブ・ジャン・ピアジェ(Archive Jean Piaget)ってジュネーブ大学図書館のピアジェコーナーがあるんです。そこにも2回行ったの。

そしたらね、眠くなってね、床の上で寝たんですよ。ちょっとの間。目が覚めたらね、本棚の本があって、『ピアジェとチョムスキーの論争』っていう本が目に入ってきた。英語でもフランス語でも日本語でも出てますけど。1975年にピアジェと、チョムスキーがパリの郊外の修道院で、ピアジェ派対チョムスキー派で、何日間か、ディベートをやったんです。
その本があって、それがぱっと目に入る。「そうか俺はこれを読むのか」と思ってね。とにかく俺の敵をとってくれじゃないけど、ピアジェに頼まれたような感じで。
だからもうね、みんながねチョムスキーは問題だと思ってるわけ、科学者は。だけどチョムスキーやってると就職が良いとか、何か流行ってるからとか、テレビもマスコミも言うからみたいな感じで、チョムスキーやってる人多いわけ。でも何も成果は上がってないんだよ。やってる人はどんどん潰れていくんだよ。
もうどうしてみんなやるのかな。チョムスキーの話はそれぐらいかな。そうそう、エボラング(EVOLANG)っていう国際学会があるの知ってる?Evolution of Language。言語の起源っていう学会が2年に1回やってるんですよ。これもチョムスキー派がやってる。

僕は一応、責任上、毎回論文を提出してきたんだけど、とにかく絶対リジェクトするわけ。
クリックと音節という、2段階で音素が進化したとかね。南アフリカで生まれたとか、いろんなことを毎回毎回、2本からあるいは多いときは4、5本出してんだけど、全部リジェクトするんだ。議論しないんだよ。そういう本当のところを。
で、岡ノ谷一夫さんって知ってる?鳥の鳴き声に文法があるとか言う学者がいるんです、日本に。慶応から東大に行った人だけどね。岡ノ谷さんの鳥の鳴き声の文法とかは通るわけ。なんで鳥の鳴き声が通ってね、音素の起源が駄目なんだって思うけど。とにかく科学を歪めるための学会だからね。チョムスキーは。
京大の藤田耕司さんと、東大の岡ノ谷一夫さんがやってる共創言語学とかいうのがあって。2019年3月だったか。僕はそれにポスターが通ったから、わざわざ大分から東京まで行って、ポスター発表したけど。岡ノ谷さんも藤田先生も僕のポスターをみに来ないんだよね。それも、1週間だか3日ぐらい前に突然アクセプトが来てね。慌ててポスター作って、東京飛んだんだけど。
だからなんかね、真面目じゃないんですよ。科学者っていうのはやっぱりね、きちんと論文を読んで、内容を理解したうえで、良いか悪いかを、自分も批判するべきだし、他人も批判すべきですよ。ちゃんと読んで批判するというのが科学なのに、そういうことしないわけ。チョムスキー派は。syntaxだけやればいいみたいなことで「文法とはsyntaxだ」みたいなこと言うんだよね。

リリアン・ヘーゲマンって知ってる?カリフォルニア大学の。リリアン・ヘーゲマンって女性研究者がね、2013年の7月に、ジュネーブ大学で行われた国際言語学者会議で、syntaxの文法構造みたいなことで基調講演した。
でもsyntaxを文法というのと、僕のデジタル言語学の文法とではもう、全く接点がないわけ。接点がないっていうのはね、批判が難しいんですよ。接点がないからね。
僕はそれで悩んでね、質問したの。「私は、日本の情報理論家です。(information theoreticianです。) 私の文法の定義は、『主として単音節で、隣接する言葉の意味を変化させたり、あるいは接続を指示して、慣れると無意識・自動的に使える。』これが私の文法の定義です。」と。「私の定義ではsyntaxが文法に含まれないんです」というふうに言って、「あなたは、syntaxと普通の一般の文法をともに含む文法の定義をお持ちですか?」っていう質問をしたのね。

syntaxっていうのは語順だからね。語順でしかないから、音韻変化を問題にしないんです。「食べた」、「食べるな」とか「食べな」とかね。そういうふうに、活用とか助詞とか前置詞との関係を、問題にしない、音韻構造を問題にしない。synatxって単に繋がってますね、繋がってますねしかやらない。

質問の後、「すいません、もう1回言ってください」って言われたから今のこともう一回言ったんだけど。そしたらね、最初にお話したように、私はそういう細かい難しいことは喋れないって言って逃げた。質問に対して答えなかった。
その後僕のことは、もう手挙げても当ててくれなくなったんだけど。それがチョムスキー派との決別というかね。こいつはもうちょっと問題だってふうになったと思うんだけど。だから結局ね、ベクトルいうと、ねじれの位置って言ってね、接点がないわけですよね。ねじれの位置にあってね、ベクトルとベクトルがねじれの位置にあるから接点がないわけですよ。チョムスキー派と僕のデジタル言語学と接点がない。でも、何とかしてその接点がないことを言語化するために、私の定義はあなたのsyntaxを含まれないけど、あなたの文法の定義はどうですかっていうふうに聞いたんだ。結局、それによってお互いが相容れないものであることが明らかになった。で、来ないでくださいっていうことですね。リリアン・ヘーゲマンを焦らせてしまったから。

チョムスキーには『デカルト派言語学』という本があります。デカルト主義を標ぼうしている。それでデカルトを読んでみたのですが、デカルトがね、人間はどんな馬鹿でも文法を使えるけど、動物はどんなに賢くても文法を使えない、だから動物には理性はまったくないということを言ってるわけです。これは方法序説の第5章に出てくるんですけど。デカルトは人間が動物だっていうことを忘れてるよね。それから、「理性とは何か」の定義がないんだよね。人間は理性があって動物には理性がないから、何やってもいいって思うとしたら、ここはもうデカルトの完全な間違い。だから、デジタル言語学の母語をモノラル聴覚して文法を処理するという仮説はどこの学会に出してもリジェクトされる。間違っているデカルトのほうが神格化されているからです。
つまりそれぐらい、言語学とかいうのは人間中心主義なんですよ。人間が偉いと思ってるから、みんな。人間は動物じゃないと思ってる。動物じゃないってどういうことかわかる?「神様だ。神様が作った。」っていうことだよ。人間は神様が作ったから、動物をどんどん殺してもいいと思ってんだよね。キリスト教徒じゃない人は殺しても良いと思ってんだよ、本当に。広島と長崎には原爆を落としてもいいと思ってるわけ。

それぐらいの深刻な勘違いの問題に行くんだよ、デジタル言語学は。でもそれを正さないといけない、本当は。僕たちは、生命の進化の最終局面を乗り越えて、人類共有知を進化させていく責任がある。それがデジタル言語学の目指しているところ。
我々は共に生きて、人間をより美しくより素晴らしい存在に高めるために、言葉を正しく使い、間違った知識はどんどん後の世代の人が正していくことによって、科学も進歩するってことをやらなきゃいけない。なのに、チョムスキーは逆に混乱へと導いてるんだ。
周到なんだよ、もう。ぱっと見ても気がつかない。ラングとランガージュをどっちもランゲージに翻訳することがおかしいなんてことを、誰も指摘してないよね。でもね、チョムスキーは70年代からずっとそう訳してるわけ。だからチョムスキー派の英語訳したソシュールなんて、絶対に何が何だかわかんないよ。それをもとに議論してるから、もうぐちゃぐちゃなんですよ。ピアジェもフーコーも、チョムスキーに対して怒ってるっていうのはそういうことなんですよ。

qbc:
ありがとうございます。大丈夫ですか、本州さん。

本州:
はい。インタビューの最後の方でおっしゃってた、キリスト教の問題点とチョムスキーに潰されたっていう話が、ようやく今いろいろ繋がりました。

得丸先生
キリスト教はね、良いこともいっぱいやってるんだけど、やっぱり一番の核心の人間中心主義であるっていうね、人間は神様に理性をもらったから何やってもいいみたいな。あるいは、ラテンアメリカの土人、原住民はみんな殺してもいいとかさ。そういうことを考えちゃうっていうのね。
言語っていうのは、それぐらい複雑なことを可能にしてるし、言語っていうのは素晴らしいから、そうやって間違って思うこともしかたないことかもしれないけど、それじゃあダメなんだよ。僕たちは動物なんだ。音声コミュニケーションがデジタル化しただけでね、動物でありつづけてるんだよ。例えばアメーバがね、ミトコンドリアに対して「俺は偉い」とか言わないですよ。言わないよね。哺乳類がさ、トカゲに対して「俺のほうが偉いんだから」とか言わないよ。みんな同じ生き物として尊重しあってるわけですよね。複雑度が違っていても。

西欧による近代化、特に大航海時代以降この500年ぐらいの、ヨーロッパの世界の植民地化とか、あるいはこの100年ぐらいの、工業化による自然の伐採とか破壊とか、あるいは海洋汚染。この100年の現象ですよ。この100年で人口が15億から80億になってるんですよ。あり得ないよ。こんなね、もう人類は滅びてるってことをこの間話したけど、こんなありえないのは、やっぱりそこの勘違いがあるからですよ。
道元が引用してるけど、蜂は花の蜜を取るときに、花の香りを傷つけないって言うんだよね。
そうだよ。だから僕たちは家畜を飼ってもいいですよ。あるいは、植物を栽培して農業やってもいいですよ。でもそれは、感謝してね、自然に感謝して、生活に必要な最低限のものをいただくみたいな。野生動物なら見つけたもの勝ちで何でもかんでも獲って良いとかね、そんなのあり得ないですよね。
人間というものが何かを理解する。人間はやっぱり自然の一部であって、人間だけが偉い、人間だけが何してもいいっていうのは、やっぱり間違ってるなと思うんですよね。デジタル言語学っていうのは、地球の40億年の生命の進化の最終ポイントに、最終到達点に人類の言語、あるいは知能の進化を置くことによって、逆に人間っていうのはもっともっとまっすぐ生きなきゃいけない。嘘ついちゃいけない。みんなのことを考えなきゃいけない。自然を破壊しちゃいけない、汚染しちゃいけないっていうようなところを、理解するための学問だと思うんですよね。

qbc:
ありがとうございます。

あとがき

本にする、本になるっていうのは、やっぱり大変なことで、まちがってはいけない、変なことを書いてはいけない、っていうので、そこにはちょっとある種の堅苦しさがあるわけで。
そこには今回のような生々しさ、研究に傾ける情熱、感情というものはやはり消えてしまっている。
学会で認められるかどうかの前のそういったほとばしりが、こうやって記録に残せたことは、良きかな良きかな、と思った次第。
続き、ぜひ、またしましょう。

【まえがき・あとがき:qbc】

【編集:本州】

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