見出し画像

消毒革命がもたらした“気づき” 《令和消毒時代(4)》

なんだかんだ新型コロナウイルス感染症対策時代における『消毒時代』について連投していますが、別にコロナや感染症について述べたい思いがあるわけはないのです。おおまかなテーマとしては『商業主義社会』について、つまりは『ひとはなぜ流されるのか』などに興味があるのです。

死因型コロナ感染症については、様々な情報が飛び交い、どれが真実でどれが虚偽の情報なのか?もはや、誰にもわからないと言える時点まで来てしまったのだなぁと感じています。そんな中、本日2021年7月23日の夜には、東京オリンピック開会式が開幕されます。もう、グダグダ過ぎてしまっていますが、もう、天から『やめろ』と言われているようなものだよね。って正直感じています。

あのロゴ問題やスタジアム問題からはじまり、いまでもゴタゴタが続き、現実的にも現代の日本の気候としての酷暑も予測される中、猛威を振るうウイルスの蔓延下において、これだけの逆境や困難やトラブルが絶えず続いているのなら、本来の日本人の感性であれば、それこそ『やめたほうがいい』って感じるものです。

それでも決行するのですから、目に見える形か見えないものかはわかりませんが、その“反作用”は、かなり大きなものとなって返ってきても、今回の所業では、もはや受け入れるしかないと思わざるを得ないほどに、不思議なほどの愚行のオンパレードが続いています。(あくまでも個人的にそう思うだけです。)

しかしまぁ、決行を余儀なくされてしまっているのは、もしかしたら外部からの圧力なのかな?ということを感じさせるような表情をしていますよね。現首相は。。。


いかに我々は不潔だったか

それにしても、昨年あたりからずっと“消毒”が日常化しました。手洗い・うがい・衣服や食品、宅配便などによって届けられる荷物や手紙などでも、アルコール除菌を常にしている方も多いことでしょう。私もそうです。そしてそこにプラスして『マスクの着用』と『対人距離の確保など』も常識化しました。

そして、いまや日本中の人々が気がついたことだと思います。いかに『いままで我々は無知だったのか』そうです。つまりは『いかに我々はこれまで不潔だったのか』という事実を、しみじみと認識することに至りました。

もう、あれから全然、風邪すらひかなくなりましたからね。ほんと、これまでの生活が『消毒』というたったひとつのことで、こんなにも健康でいられるのですから。そんな消毒時代の到来は、もう謂わば革命的に、すごい“気づき”を与えてくれたと思っています。

かつて、ペストに対してのねずみや赤痢などでも、伝染病はほぼ不潔とも言える環境が原因でもあります。ほんと、これまで我々は風邪やバイ菌を、文字どおり“なめていた”のだと思います。マスクと手洗いとうがいだけでも、これほどに感染や発病を防げるのですから。

ここで、もうひとつ記すべきは、なによりも『他者への伝染を防げる』ということです。自分が感染しないだけではなく、他人にもうつさないことができる。


もう戻れないかもしれない

特に、私が個人的に思っているのは、すなわち意識が生まれてしまったということです。バイ菌に対しては、手洗いや消毒で今後も継続していこうと思っていますが、たとえ、ウイルスなどの蔓延や感染リスクが消え去った時が訪れたとしても、もう、私は元には戻れないって思うのです。あ、別に時代だとか人類だとかっていう話じゃなくて、あくまでも私個人のことですよ。

なにがって。それは『マスク』です。テレビなどでも多く映像化して報道されていましたが、人間の“飛沫”ってすごいんですよ。もちろん動物やペットだって同じでしょうけれど、やっぱり人間の中には、距離感の無い方や話したり笑ったりするたびに唾がいっぱい飛び散るような方もいらっしゃいますからね。

なんか、アメリカやイギリスでワクチン接種後に、マスク外してせまいクラブなどではしゃぎまくっている人々とか多いですけどね。無論、民族間や種族としての感性や文化的に、衛生的な意識は異なりますし、確かに日本人の潔癖性は海外でも逆に異状視されるほどでもありますから、意識過剰と言われてしまえば、もう黙って帰宅するしかないでしょうけれどね。

しかし、今回のことで、私は今後も、もしかしたらずっと外出時などは特に『マスク』を着用し続けていくかもしれません。というか、なんかもう知ってしまったら、もう戻れないっていう気持ちです。

細菌などに対しては、人体への影響に対しての有害性だけではなく、その『有益性』もあると、私は常々思っています。なので、自然発生した細菌などが嫌だとか怖いだとかということではないんです。あくまでも、人間同士のそういったマクロというかミクロというか、じつは交わされている密接な交流が、もはや意識的になってしまって、それがもう戻れないかもしれないなぁって思うんです。

まぁ、笑い話的にお流しいただければ!っていう、そんなお話として捉えていただければ嬉しいです。


消毒時代のオリンピック

『もう戻れない』生活全般というか仕事や人生やコミュニケーションや、価値観や社会構造についての観念などに対しても、コロナ禍により、大きく意識は変わったと言える人も多いと思います。

これまで常識や通例として行なっていた見方や行事や感覚などが、いかに意味のない架空のことだったかということに気が付いたり、または、人生や社会的なステイタスなんかにおいても価値観がひっくり返ったりと、有事にも値する世界的な危機の中で、ある意味でその恩恵ともよべる数々の変化があるのも事実です。


そうだとしても、感覚も価値観も人それぞれですので、未だに「コロナは風邪だ」「コロナは存在しない」と言う人もいますし、そんな人で謂わばそんな「反コロナ活動」をしていた方の中でも、結果は感染から発症して死に至った方々もいます。

あと、なぜか多いのが『はやく元どおりに戻れますように!』ということを当たり前のように言葉にしている人々。この層は多く、たぶん8割くらいの人間が、そういう思考回路を持っているのではないでしょうか。そして、私がそれに対して思うのは、「あぁ、だから多くの人は経済を回すだとか、経営補償がだとか、勉強が遅れないようにだとか、そういうことを平然と言っているのだろう」ということを思うのです。


そういう多くの方々は、つまりは新型コロナウイルスはとにかく“悪”とか“邪魔”とか“不都合”とか、まるで一過性の敵キャラが、自分たちの不変な平和を一時的に邪魔している。そう、まるでバイキンマンのようなものとして扱っているのかなって感じます。

だから、ウイルスに対して政策や行政の支援などの対策に対して文句は言うけど協力はしないとか、従うけどその意図は理解すらしていない人だとか、ウイルス自体が目にも見えないですからね。そりゃあ不満も溢れるかもしれませんが、結局はそういう方々がしているのは『アンパンマンが来るのをただ待っている』だけであって、アンパンマンが遅かったり途中で顔が濡れたりしてダウンしたら、こんどは『アンパンマンを責める』っていうスタンスなんだと思うんですよね。


そして、コロナ禍突入後、2年近く経とうとしているいまでも、結局、自分自身の人生を他人に任せては、文句だけ言ってるだけで、なにひとつ自分の責任で考えるだとか動き出すだとか、つまりは自分の人生なのに自分で動かしていない人々なんだと感じます。

戦後の高度成長期以降の市民として、いまの日本は先進的な都市になって、個人個人の人生の自由な選択が可能になって、多様性を誰もが許し認め合えるほどに、豊かになったのですからね。そんな豊かさの中ならば、そんなふうにもう自分の人生や起きている物事にさえも本質を見抜いたり考えることすらも放棄したって、生きていけるくらいに豊かになったのです。

そうして働いて税金などを納めていれば、平和な人生や生活が自由に与えられる。そんな中、訪れたのがこの殺人ウイルスです。そんな中で、やっぱり私は思うのです。結構、皆さん『早く平常に戻りたい』とかって思っているのだと思いますが、その『平常』って、いったいどういう設定になっているのだろう?って。

そういうことを軽々と言ってしまえる方の思考回路っていったいどうなのだろうって。『平常』だと思わされているその状態って、あなたはちゃんとあなたを生きているのかな?って。そういう風に思っちゃうんです。


私は思っているんです。ウイルスは消えても、世界はもう“戻らない”って。

そしてさらに思うんです。私の中の感覚が確かにそう思っているんです。それは『もう戻りたくない』って、はっきりとそう思っている自分が私の中にいることを感じているんです。コロナ禍によって炙り出されたり、または崩れ去ったり、メッキが剥がれたり、夢から覚めたり、ひっくり返ったり、そういうもろもろが、もう新しい時代だと、感じられる感覚なんですよね。

消毒時代の到来によって、せっかくそれまでの時代の“毒”がどんどん可視化されあぶり出されて、それらを『消毒』する自由をやっと手に入れられる時代になったのだと思うんです。だから、それを、やっと来た新時代をまた元に戻すだなんて、本当にみんなはそれでいいの?って思うんです。

なんていうか、わざわざ20世紀に戻すかのような、あの大人たちも号泣するほどのヒットしたアニメ映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』の世界観や『20世紀少年』のトモダチの世界観などのような、そして限られた選択肢の中で、まるで自由を自ら選んでいると思わされているかのような限定した世界を、保障だとか、権利だとかっていうものを掲げて、ちょうどよく不満を与えられながら、ずっと永遠に生きるのでしょうか。


皆さんはいかがですか?私はオリンピックやセレモニーやコンサートなんかでも、特にオープニングが好きなんです。オープニングフェチとかプロローグ主義者だとか、謂わば『開会式ファン』なんです。だから歴代のオリンピックの開会式をいっぱい見ています。

私史上、最低のオリンピック開会式を昨晩見ました。なにもかも時間的に準備が間に合わなかったのも確かによくわかる出来栄えでしたが、そのオリンピックはなにやら政治やら経済的な利益やら、人の欲や都合がたくさん絡み合って、殺人ウイルスが蔓延する中、国民や選手のことを一切無視してまで強行したそうです。

そんなオリンピックの開幕を見ていて本当に思いました。もうこんな偽物の茶番劇はたくさんだって、もう本心で全身全霊で願いました、もうこんな『古い時代には戻りたくない』って。…… 皆さんはどうですか。

20210724



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?