見出し画像

長引く内戦、イスラム国の台頭、各地に流れた大量の難民、ここ10年の国際情勢の中でも危険なイメージの代表格だった国シリアに旅行することになった。

今回はそんなシリアを実際に旅行してみた時の実情や雰囲気について書いていきたいと思う。

※シリアは外務省渡航情報でレベル4扱いとなっています。SNS上で大っぴらに渡航宣言をするとDM飛んできたり特定されて出国するタイミングで空港ゲートで待ち構えられたり家に電話かかってきたりするのであまりお勧めしません。

君もブラックリストの仲間入りだ!

ビザ申請

まず最初に必要なのがビザであった。シリアは日本の最強パスポートをもってしても入れない国の一つである。ただ長引くシリア内戦でビザ制度がどうなっているのかよく分からなくなっていた。

‪コロナが大流行する前の2020年1月時点でレバノン国境に突撃をかけてアライバルビザを手に入れて入った人は確認していたがその後がどうにもわからない。

イギリスにいた時にシリア大使館に行って確認をとったところ、どうやらビザ発行には何らかの識別番号が必要でその番号を取得していれば国境でビザが発行されるらしい。

そこまでは教えてくれたが、そこから先の説明がどうにもよくわからなかった。他の国にある在外シリア大使館にも掛け合ってみたがシリアの観光ビザを取得する人がそもそもほとんどいない為、制度自体をよく理解していない人もいた。おいお前大使館員だろ。

なんとか情報収集したところ一応個人でも観光ビザ自体の取得はできそうであった。だがしかし、この国はあくまで独裁国家であった。パルミラの遺跡にいくにも、都市間移動するのにも全部役所に回って許可証を手に入れて検問を通過しなければいけない規定になっていた。前は自由に旅行できていたようだが。

アフガニスタンやイラクは連行されはするこそ、手続き上のめんどくささはそこまでではない(アフガニスタンのビザの取得はかなりめんどくさかったが)のでこれは悩んだ。


最終的に不本意ではあったが、あまりにも手続きが煩雑そうであったので今回はツアーという形で旅行することにした。62カ国旅行してきたが北朝鮮以来のツアーである。

てなわけでツアー会社を調べてみたがかなりの会社が音信不通になっていた。コロナ中に入国要件がコロコロ変わって入れない時期にかなりのツアー会社が潰れたらしい。こう言うところは他の国と変わらないんだな。HPが更新した形跡があるところに片っ端から連絡を取ってみることにした。

結局返信があったのは3社であった。数十社存在していたのに残っているのはそれだけなのかと思いながら話を聞いていた。条件としては2022年度中に行きたい、なんならアフガニスタン渡航からあまり日を開けないタイミングで渡航できたらありがたいなと考えていた。ツアーは1~2ヶ月に一回しか催行されないのでタイミングが重要である。

アフガニスタンはタリバン政権誕生1周年の8/15に合わせていくつもりにしていたので8月28日か9月11日のツアーを考えていたがこの時点で8/28は満席とのことだった。しかし最終的にキャンセルが出てこちらにした。



渡航する前にVisa申請があり、そこで必要書類を揃えて欲しいということであった。聞いてみると英文の納税証明書や確定申告書類が必要とのこと。なんでそんな物いるんだ?アメリカビザみたいに不法移民になる可能性があると思われてるってことですかと聞き返した。するとジャーナリストかどうかを確認したいらしい。なるほどそういうことか。

とは言え、納税証明書などを取得したりするのはなにぶん海外にいる以上面倒である。しかも英訳となるとさらにめんどくさい。とりあえず普通に日本語で書いてある確定申告の控えを送ってみたらあっさり通った。ガバガバか。

日本語の確定申告控えなど読めるのか?絶対に読んでないだろ……!とツッコミを入れたいところであった。 申請代金などの諸々諸費用を聞いていてもどうやら日本人含むアジア人は安いしゆるふわだった。

どうやら事前手続きはそれだけである。都市間移動の許可証であったり遺跡の入場許可証の個別審査については一括してやってくれるらしいとのこと。これに関しては自分でやっていたらキリがないのでツアーを申し込んで正解であった。

あとは入国前日にレバノン入りしてブリーフィングを受け当日にツアーのバスに乗ると国境沿いでビザが発行される形になっているようである。多分アメリカ人やイギリス人などのいわゆるシリア内戦でアサド政権と敵として戦った国は手続きが煩雑なのであろう。

以前自分で調べた時に、シリア渡航をするとリビアに入国する際に入国拒否される可能性があるという記事を読んだので確認したところ、知らないとのことであった。

シリア入国へ

アフガニスタン旅行を無事終えてパキスタンに出国した私はペシャワールからUAE経由でレバノン入りした。10ヶ月ぶりに入国したが前使っていた通貨は半分ぐらいの価値になっていた。そして相変わらずの貧弱インフラっぷりである。以前書いた記事の時点より一部悪化していた。



この日はブリーフィングがあったがアフガニスタン行った後で疲れていたので早めに寝ることにした。流石にシリア旅行本体の方が大事なので断りを入れておいた。

当日、指定されたホテルの前に着いてみると10人ほど人がいた。中国人3人と残りは欧米人であった。欧米はすでにアフターコロナ気分であったが中国はまだ厳格な入国規制をしていたはずである。聞いてみたらずっと海外にいて本国に帰ってはいないらしい。やっぱ、このタイミングで旅行しているやつは一癖も二癖もある。

少しばかり自己紹介を兼ねて談笑していると出発の時間となった。ここから先はツアー専用バスでシリアまで行けるらしい。運転手はシリアのアラブ人であった。

バスが出発するとベイルート港湾爆発事故現場の真横を走っていく。私はすでにみていたが、他の人は初めてみる光景らしくツアーガイドの説明と共に一斉に写真を撮り始めた。シリア以前にレバノンへ来る人自体が珍しいと言うのを失念していた。

ベイルート港湾爆発事故現場

そこからはレバノン中部を縦断する山脈を越えていく。レバノンの道路は経済崩壊以降修復が追いついてないのかボコボコであった。港湾爆発事故を起こしたベイルート市内だけではなく国全体が貧しくなっていたように感じた。

途中給油しにガソリンスタンドに寄ったがインフレが進みすぎて桁が足りなくなっていた。なんせ1ドル3.5万レバノンポンドである。燃料を30L入れるだけで数字が100万を超えてしまう。ハイパーインフレも大変である。

そうこうしてバスは再出発し1時間ほど揺られているとレバノン側の国境に着いた。地図を見ると実際の国境よりはかなり手前にある。徒歩だとかなり歩く距離である。

我々ツアー一行の横を現地人と思しき人たちが大量に通過していく。彼らが提示していたのは在留許可証や通行許可証みたいなカードみたいな簡易的な物で我々のパスポートとは違った。シリアにしろアフガニスタンにしろ我々一般人が旅行しにくい場所も現地人の往来はこうやって簡素化されているのが多いようだ。

順番に列に並ぶとあっさりスタンプを押されレバノンでの出国審査を終えた。ここから待望のシリア旅行の始まりである。バスに乗り込んでいる間にUNと書かれた国連の人道支援車両と思しき車両が通過していった。我々のバスもゲートを超えシリア領土へとむかった。

レバノンからシリアまでの緩衝地帯の道路沿いにはいくつかのレストランと思われる店があったがこの区間内の店がどっちに属しているか分からなかった。免税店扱いなのだろうか。何なのか聞いたが知らないとのことだったのでとても気になった。

シリアの国境検問所につくのには割と時間がかかった。地図上で距離を見ると6.3kmほどである。陸路の国境でこれほど離れているのは珍しい。緩衝地帯にでも設定されているのだろうか。国境地帯はかなりの山間部で道路の両脇は山なのでちょうどいいと言えばちょうどよかった。

そしてようやくシリア側の国境検問所である。毎度この瞬間が1番ドキドキする。一回入ってしまえばこんなものかという気持ちになるが入る瞬間はワクワクドキドキという楽しみとリスクが頭の中を駆け巡って武者震いする。

とは言え検問所前の雰囲気は牧歌的である。インスタ映えだけではなく、ちゃんとアサド大統領の肖像画もありツイッター映えするような仕様である。ちゃんと独裁国家ではあるのだ。

国境検問所にあったアサド大統領の肖像画と記念撮影


検問所の建物内に行くとアサドパパ、ハーフェズの肖像画も掲げられている。こちらもまた30年間シリアに君臨した独裁者である。


国境審査官やその場にいた通行人のアラブ人の顔を見るとやはり目が青く白人っぽい見た目である。アラブ人と一括りにしているがやはりシリア人はかなり白人に似てるんだよなぁと実物を見て思った。

順番を待った後まず最初に別の部屋に行くことになった。そこでパスポートを見せて名前をリストと照合すると紙切れを引きちぎって名前の走り書きを渡された。

次はその紙切れを持ってCommercial Bank of Syria のレセプションに向かって支払うようである。ここも大混雑でアラブ人の強気のおばちゃんが怒鳴っていた。なんだかめんどくさい手続きを踏ませるんだな。他のめんどくさい国はあくまで承認手続きに時間かかるだけでこちらが右往左往させられるという感じではない。これでは住民票移した時に各部署に歩かせられてる時とおんなじだ。

カウンターの前に立っていて各々暇なので各人の旅路や自己紹介をし始めた。するとツアー客8人しかいないのに訪朝経験者が3人もいた。恐るべき母集団である。やはりシリア旅行に来るような人はだいぶ変わっている人の集まりである。

訪朝経験のある中国人はやはり限界旅行者で俺が日本人と知って福島第一原発にどうやったら入れるかを聞いてきた。入る方法がなくはないのだが色々手続きが煩雑なのと外国籍でどこまで可能なのか分からなかったので割と難しいと思うと答えた。それに比べたら新疆とかセミパラチンスク核実験場跡の方がよっぽど簡単だろうとも。

受付はガラスケースで覆われており、覗いてみると凄まじい量のシリア紙幣が積まれていた。日本円だったら数億円ぐらいはありそうな量である。が、しかしシリアポンドの価値が高いはずはない。国を一歩でたら紙屑だ。まぁお隣のレバノンポンドとかいう現在進行形でハイパーインフレしている貨幣に比べたらマシかもしれないが。。。。。。

国境検問所でオフィス裏に積まれたシリア紙幣の札束

ビザ代金支払う段階になり各々の国籍者のビザ代金が大幅に違うことが判明する。渡航前に現金でいくらいるか確認のメール送った際は日本人がツアーを利用したことないが多分そんな高くないと言われており、私自身この時初めて知った。ビザ代金は以下の通りである。

ロシア35ドル、ドイツ67ドル、60ドル、中国12ドル、イギリス140ドル、日本30ドル、ウクライナ85ドル、チェコスロヴァキア60ドル。

あれれ、ドイツ人二人のビザ代金が異なっていた。なんといい加減なことであろうか。ガバガバである。この具合だと本当にリスト管理出来ているのだろうか。普通にアライバルビザ狙いでごねても行けそうな感じがした。

日本人は安かった。こういう時無理に中東に西側諸国に乗っかって自衛隊派遣しなくて良かったなと思う。無駄なヘイトを買っていない。シリアと同盟国の方が高かったのはよく分からなかった。中国人だと12ドルでとても安い。非アラブ人でビザ必要な外国人の中で1番安いのではないか。中国のパスポートは西側では弱くてビザが必要だが、こういう限界旅行をする人からするとかなり便利なものである。

なんだかんだで全員の手続きを終えるまでに1.5時間を要した。昼を過ぎておりお腹が空いてきた。だがここからダマスカス市内まで更に1時間ほどかかった。

ダマスカス市に向かう途中に車内から見る光景はレバノンより断然綺麗だった。これはシリアが思ったより復興しているのか、それともここ最近のレバノンの経済が終わりすぎているのか。道路脇には整然としたマンション群が建設ラッシュと言わんばかりに増えており、大きめのショッピングモールと思しき建物も観測できた。

復興中と思われる新造建築群

ただシリアに入ってから検問が増えてきた。観光ツアーで入っているので止められることはないが、市内に入るまでに4箇所検問を通過した。ほとんど検問所の兵士は非武装であったが市内に入る手前の検問所にいた兵士だけは旧式のカラシニコフを装備していた。内戦後でいまだにたまに空爆があるからもっと厳戒態勢かと思っていたが想像よりかなり緩い。

ダマスカス市内に向かう途中の道路にある検問所

市内に着くとバスは直接ホテルへと向かった。バス内から見る限り普通のアラブの都市と言った感じでシリア内戦と言ったイメージは全くない。アサド大統領のお膝元のダマスカス旧市街は一部空爆があったもののそこまで荒廃していないと言うのは本当であった。ここだけみていると外務省渡航情報レベル4という感覚を感じない。まぁ周辺部だと定期的にイスラエル空軍機の空爆やミサイル攻撃がきて革命防衛隊とか輸送車両が爆撃されているが。

古代都市ダマスカスの旧市街の中心部付近にある駐車場らしきところに停車するとホテルまで少し歩くようである。検問所があり、兵士は緊張感なくだべっていた。そこの隣を見るからに白人の兵士二人が連れ立って通り過ぎた。おお〜シリアの同盟国のロシア兵じゃん。

街に入ってこうも簡単にロシア軍人と遭遇できるとは思わなかった。こんなにそこらへんをうろうろしているならロシア軍車両もそのうち目にすることができるだろうと胸を高鳴らせた。

ホテルまでの道のりでお腹空いた人はいないか?と観光ガイドが言った。朝軽く食べてきたもののシリア料理を食べるためにお腹は空かせてある。道端のケバブ屋から食欲をそそる匂いがしてくる。ガイドの方を振り返るとこのケバブを食べるようだ。

シリアのケバブ屋
シリアのケバブ、美味くてお代わりした

やったぜ。店先で焼くのをみていたらお腹がなってきた。結局3本も食べてしまった。ケバブ自体は中東一帯で基本的には似ているがこの店はソースにヨーグルトを使っており、唐辛子ソースと合わさって辛さもありながら口当たりの良いまろやかな味がしていた。

腹拵えをし、旧市街の入り組んだ道を歩いていく。少しばかり歩くとホテルに着いた。荷物はボーイが運んでくれたがこの細かい石畳の道だと運ぶのは大変そうであった。

ホテルはこれまた洒落てた。これがシリアと聞いたら大抵の人は驚くだろう。事実僕は驚いた。中庭に置いてある椅子に座るとホテルスタッフがローズウォーター入りジュースを持ってきてくれた。

一旦荷物を置いて各自が席に座りこれからの予定説明とホテルの部屋決めとなった。カップルで参加している人を除き知らない二人でひと組み扱いである。僕は中国人と一緒になった。雑な括りでわろた。

部屋決めの後、荷物を各自部屋に置いて10分後再集合してホテル周辺の旧市街を歩いて観光するようである。


さて一行が動き始める。最初に寄ったのが聖ハナニヤ教会と呼ばれる原始キリスト教の教会であった。あれ、イスラム教国家に来ているよな、なんで最初に案内されるのがキリスト教の教会なんだ???

ダマスカス旧市街東側の地下にある聖ハナニヤ教会

確かにイスラム国が台頭した時にロシアがシリアを支援したのは同国内の正教会教徒の保護を得るためという話はあったが、ここは正教会ではなくカトリック系列である。むむむ。観光地とは言え案内していいのか?意外と緩いな。

街中を案内していくと次から次へと教会がある。アルメニア正教会からマロン派、プロテスタントまでいた。ここまで信仰の自由があるのか。するとユダヤ人が以前住んでいた場所とやらもあった。がしかし、周知の事実の通り、中東戦争でアラブ側とイスラエルが断絶しその際にユダヤ人はイスラエルかアメリカに亡命したとのこと。彼らが戻ってくる時のために残してあるとのこと。プロパガンダで残してあるにしろ破壊されてないだけ驚きであった。

残りはダマスカス在住の現代芸術家のアトリエであったりアンジェリーナ・ジョリーが泊まった高級ホテルなどを見せられたがそこまで興味がわかなかったのでふーんと聞き流しながらひたすら市内に掲げられてるアサド大統領の肖像写真を撮っていた。

市内の至る所にあるアサド大統領の写真


市内で見つけた日本のママチャリ、多分盗難車
日本のママチャリ

一通り見ると休憩ということでカフェによるとどうやらシーシャが置いてあるらしい。待ってました!!!アラブ世界といったらシーシャである。ジュースは正直どうでもいいがシーシャは吸いたい。

ダマスカスのカフェ

シリアの夜

一旦ホテルに戻って少し休憩した後は観劇に誘われた。シリアで劇をみれるとは思わなかったので是非にとついていった。

案内された場所に着くとまだ開演まで時間があるようである。そのまま階段を上がると屋上がバーテラスになっておりダマスカス市内を見渡せるようになっていた。ちょうど夕暮れの時間であり電気がつき始めていたが明らかに光量が少ない。僕ら金を落とす観光客が訪れる場所やお金に余裕のある人が住んでいる地域には優先的に電気が回されているのだろう。北朝鮮方式である。輪番停電している様子はなかったのでレバノンよりはマシではあるが。

ダマスカスの夕焼け

屋上テラスではシリア産ビールが飲めた。この国酒緩いのか、イスラム教国家で酒をいかに飲むかを考えている私である。ぜひ飲まないと。

シリアのビール

その後観劇することになったがフラメンコとかだった、あれれなんか想像したのと違うぞ、シリアのアラブ民族劇とかそっちの方を期待してたんだけど、、、まぁ酒飲めたし良しとするか

夜ご飯はホテルの近くにあるレストランで食べることになった。シリアはシーシャがどこの店にでもありシーシャ廃人である僕からすると天国のような場所であった。しかも1回あたりの値段は200円程度である。レストランまで歩いてると外国人が珍しかったのか現地人に話しかけられた。ツアー客でアラビア語喋れるのは僕だけだった為僕とだけ写真撮ることになった。

シリアの現地人との記念撮影

料理はアラブ料理をベースにしたものに一般的なサラダや肉料理が出てきた。西洋人の口に合わせてきたのかは分からない。ヒヨコ豆をペースト状にしたフムスとパンは美味しかった。大体中東旅行する時は個人で旅行しており現地人の勧めで行くので大体大衆店だと思うが管理されたツアーで指定されるようなレストランなのでいい店なのだろう。普段食べるフムスより上品な味であった。

シリア1日目のディナー
水を入れると白濁する中東の蒸留酒アラックعرق

公衆浴場ハンマーム

アサド大統領の肖像画が掲げられたハンマーム


食後にホテルに帰る途中にツアーガイドからハンマームに興味ある?と聞かれた。中東全域にある公衆浴場である。恥ずかしながら中東を大体回っておきながら一回も行ったことがなかった。大体ホテルに泊まるか人の家に泊めてもらっていたというのもある。だがこれはいい機会である。シリアでハンマームデビューだ。

一度ホテルに戻って着替えの下着を取ってくるとツアーメンバーの男性陣他3名と行くことになった。ここから先は写真撮影できなかったので詳述タイムである。

ハンマームに入るとチャイポットもシーシャも置いてある。最高か。従業員が何人もおり40cmほど高いところにあるところにのぼれとの指示が出る。ガイドのシリア人が通訳してくれていたがこういう時にアラビア語できるとタイムラグなくさっさと準備ができる。上下ともに脱いでパンツ一丁になると従業員が近づいてきてバスタオルを腹一周に巻き始めた。その状態で下着を脱げということらしい。小学生の頃の着替えタオルを思い出した。今は無き恥じらい懐古の時間である。

ぱぱっと着替え終わるとスマホや貴重品の入った服は鍵のないカゴの中に入れて置けとのこと。ガイドの方に目をやるとハンマーム入っている間は全員分監視してくれるそうなのでまぁ流石に大丈夫だろう。独裁国家はこういう所は無駄に治安の良さがあるので任せることにした。

ハンマームは小部屋が何部屋もあり、一つ目の小部屋には体を洗う場所兼垢すり部屋となっている。更に進んでいくと奥の部屋からもうもうと白い湯煙が上がっている。その部屋に入れとのことで入ってみると視界1m切っているレベルで湯煙が立ち込めている。部屋は直方体で両側5人ずつ座れるようになっており部屋は数席を残して満席であった。

中にはシリア人がいて話してもいいらしい。ツアーでしか入れないみたいな感じでありながら北朝鮮とは規制が段違いである。アラビア語で喋っていたら一人流暢な英語が喋れる人がいた。

話を聞いていると外科医兼眼科医であった。そんな組み合わせありなのかちょっとよく分からなかったがこれで英語ができるのは理解できた。眼科医ってことはアサド大統領とおんなじだね!!とシリアジョークを飛ばしたらめちゃくちゃ苦笑いされた。あれれ(アサド大統領はロンドン在住時代眼科専門医である)

独裁国家なので誇りに思う返答が返ってくると思ったら意外な反応である。その後も話していたら「シリアについてどう思う?悪い?」とこちらの返答が芳しくないような前提で聞かれた。どこまで本音を話していいのか測りかねていたので無難な回答をしたら頷いてそのまま彼は出ていった。表情や反応を察するに医者や英語ができるような上位層はシリアの政治体制や経済状況についてよく思っておらず特に最近の惨状について他国の目を気にしている感じがした。ニュースで投票率100%、得票率99.9%で当選するような独裁国家でもこう言う感じで市井の人々の不満を感じられた。

ハンマームでこんな感じで現地人と交流できるとは思っていなかったので思わぬ収穫である。アラビア語ができるとやはり打ち解けやすいのでこう言うツアーでも役に立った。北朝鮮旅行でも朝鮮語ができたらまた違った楽しみ方ができただろうか?と考えてしまった。

サウナでどこまで耐久できるかと言う争いはシリアでもあるようである。中にいた現地のアラブ人の若者たちはわちゃわちゃしながら勝負していた。

熱風口付近は猛烈に熱かった。向かい側の人はヘラヘラしていたが日本のサウナの比ではない。普通に火傷するレベルだ。離れていればそこまでキツくはなかったが。

サウナ内には石鹸が置いてあり、よくみるとアレッポ石鹸である。現地でみれるとは思っていなかった。本当に使ってるんだな。アレッポ石鹸は見た目から固形石鹸だが日本のおじいちゃん、おばあちゃんの家で使うようにそのまま使っていた。今ではどこの国に行っても普通にスーパーに欧米製の液体シャンプー、ボディーソープが売っている時代なので驚いた。

しばらくサウナ耐久大会をしていたらツアーメンバーが全員呼ばれた。どうやら垢スリの時間のようである。アカスリは身体によくないと分かってはいるがまぁ一回ぐらいは経験しておいてもいいだろう。見てる感じかなり痛そうである。

いざ自分の番になってみるとこれまた痛い。ただ、これは酒と同じで唸ったら負けなやつだ。どれだけ悶えるかをみられている。ちょっと余裕ぶってニコニコしていたらフルパワーになって顔が歪んだ。やりやがったな。周りのシリア人は爆笑していた。

まだ砂漠に行っておらず日焼けしていないからいいものの日焼け後にやったら皮膚が死にそうである。初日で良かった。擦られたところは赤くなっていたがまだ耐えである。

終わった後はざっと水で洗い流してて出る運びとなった。入った時と同じようにスタッフが腰にタオルを巻いている間に服を着て終わりである。シーシャ台が置いてあるからその場で吸っていきたかったがホテル内にもあるとのことでお暇した。残念、ハンマームで吸う機会逃してしまった。

ホテルに帰ってシーシャを頼めるか聞いてみたら確かに存在した。値段は2ドルほど、うーん流石に安い。フレーバーはシンプルに4種類ほどあるだけであった。シーシャを吸いながらこの日撮影した写真のバックアップをとったりnote用のメモ書きをまとめ次の日もあったので早めに寝床についた。

1日目は割と普通に終わってしまった。独裁者の肖像画は街の至る所にあるが、酒も飲めるし現地人とも喋れる、そこまで荒廃してない。だが、シリアって案外普通だなと思えたのは最初の方だけだった。


続く②(書いたらリンク貼ります)



いいね貰えるとやる気出ます、更新頻度上がるかもしれない。