Vol.29 廣瀬太一「否定の壁を壊した先に広がる未来」
「大学生活をもっと充実させたい!」「やりたいことを見つけたい!」という想いを持ちながらも、なかなか行動に移せない北海道内の大学生に向けた連載企画「Knows」。
編集チームが独断と偏見で選んだ面白大学生の人生をお届けします。今回は第28回目。ゲストは北海道教育大学4年生の廣瀬太一さんです。
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スポーツに打ち込んだ少年時代、国内でのボランティアや海外でのプログラムなど多くの活動をした2年間、そして立てた日本縦断の計画。本当に色々な経験をされてきた廣瀬太一さん。経験したからこそわかる挑戦することの大切さ、そしてその難しさ。
廣瀬さんは小学校から今までの人生を通して何を学び、何を感じてきたのでしょうか?
では、早速見ていきましょう!
プロフィール
廣瀬 太一(ひろせ たいち)
北海道教育大学札幌校4年生。大学1,2年生で「NPO法人HERO」「NPO法人DREAM-Hack」「武者修行プログラム」など多くの海外活動に参加した。
現在は教師を目指しているがその傍ら、トゥクトゥクでの日本縦断も計画している。
周りの先頭に立ち、何事にも全力で取り組んだ少年時代。
中学校卒業式での写真。小中9年間ずっと一緒で尊敬している友達と!
右側が廣瀬さん。
ー早速、廣瀬さんの小学校時代について教えてください。
「スポーツも勉強も頑張ってました。スポーツでは野球団のキャプテンをやっていたり、ラグビーで全道優勝したり。学校の生徒会長や児童会長もやっていました。周りの先頭に立っていろんなことをやるのが楽しくて......。本当に活発に動いていました。
それと、5、6年の時の担任の先生が一人一人に寄り添ってくれるすごくかっこいい先生で、その人に憧れて先生というものに興味を持ち始めました。この頃は物事がなんでも上手くいっていました。今考えると人生で一番上手くいってたかも。」
ーすごく濃い小学校時代ですね。中学校時代はどんな生活を送っていましたか?
「中学校でもラグビーをやっていました。優勝経験もあったので結構注目されてて、中2では北海道選抜にも入れて、道外に遠征に行ったり。しんどいこともあったけど、ラグビーで活躍することが一番楽しかったです。
学級委員長もやっていたんですが、引っ張っていく気持ちが強すぎるあまり上手くいかないことが多くて、クラスについて先生と話し合ったりすることもありました。でも、その時の先生もすごくいい人で、小学校中学校通して周りの人に恵まれたなと思います。」
ー小、中学校の頃は完全にスポーツ少年だったんですね。
「そうですね。小、中学校の頃は本当にスポーツに打ち込んでました。打ち込んでたからこそ高校で反動が来ちゃって......。中学まではただただラグビーをするのが楽しくてやってたし、高校もラグビーをやるのが既定路線だったんです。北海道選抜のキャプテンもやってたので色んな高校から連絡がきていました。
ラグビーが強いから、と、親に勧められてその中の一つの高校に進学したんですが、ラグビーは小、中学校合わせて9年間もやったし、もう十分頑張ったからいいかなと。きついの嫌だなって気持ちもありました(笑)。それで自分で勝手にラグビー部に入んないって決めましたね。
高校の場所が函館だったので、親元を離れないといけなくて、そこから下宿での生活が始まりました。」
ーそうだったんですね(笑)。ですが親や周りの人には反対されませんでしたか?
「されました。特に親です。たくさん電話してくるし、手紙も送ってくるし。お母さんには初めて「親の言うことは聞くものだ」って言われたのを覚えてます(笑)。
親からそんなに圧力的に言われることがなかったので、逆にそれに反発して、俺が決めた事なんだからいいだろって思って、『やりたくないんだ』って突き通してましたね。」
ー反対されても突き通したんですね。その後、高校生活はどんな感じでしたか?
「高校でもリーダー的に引っ張っていくのは変わらなかったですね。勉強もしっかり取り組んでいました。生活の面でも変化があって、下宿での暮らしで自律的な生活が身に付きました。
土日は自分でご飯も作らないといけないし、洗濯もしないといけないし。門限も無いようなものだったので自分で帰ってくる時間を決めて、休みの日もちゃんと起きて勉強するとか。
あと、中学の頃は、放課後友達と遊びに行くとかあまりしてこなかったので、高校3年間は友達と自転車で放課後遊びに行ったりして、ただただ純粋に楽しんでましたね。
ただ楽しかったけど、部活的な充実があったわけでもなくて、きついことをしてたわけでもないから、大学に入ってからどんなことをしようか考えてましたね。何もやらなかったからこそ、一人で考える時間も増えていろんなことに気付けたかなと思います。」
経験を通して広がっていく世界。
東南アジア周遊!大好きな友達と最高の2人旅!。
ー充実感があまりなかったんですね。大学入学してからはどのように過ごしていましたか?
「大学に入って最初にハンドボール部に入ったんですけど、そこでの先輩達との出会いが結構大きくて、その先輩きっかけで人生で初めてのアルバイトも始めたんですよね。
今まで先生とか指導者とか、模範になるような大人としか出会ってこなかったんですけど、そのアルバイト先で一般的な社会人と関わって、こんな理不尽な人いるんだとかこんな大人がいるんだって気付くことができましたね。」
ー確かに、理不尽な大人って結構多いですもんね(笑)。他に活動的なことは何かしていましたか?
「北海道教育委員会の学校ボランティアに参加しました。夏休み、冬休み期間中に学校で子供と一緒に宿題をやりました。僕は旅をして知らない街に行くことも、子供のことも好きだったので積極的に参加しました。
あと、シンガポールへ一人旅に行きましたね。ありのままの状態で行きたかったから自分で調べて1人で行きました。今まで見たことのない景色が広がっていて、周りを見ても外国人ばっかりだし。このシンガポールの一人旅が海外を好きになる第一歩でしたね。」
ー1年生の時にはもう色んなところに行っていたんですね。学校ボランティアでの体験を詳しく聞きたいです!
「むかわに行ったんですが、その時ちょうど北海道地震が起きてしまったんです。地域の公民館みたいな場所に泊まって勉強したり、一緒にご飯作って食べたりしていたんですけど、その1泊目の夜中の3時くらいに地震が起きちゃって。
僕たちが止まっていた場所が避難場所になって、地域の人達もたくさん避難しにきました。子供たちも自分の家に帰ったり、自分の地域の避難場所に行ったりして。学校ボランティアに行ったのに災害ボランティアみたいになってましたね。」
ーそんなことがあったんですか、、、すごい体験ですね。
「そうなんですよ。本当に東日本大震災の時にテレビで見たような光景でした。体育館に座って寝たり、お母さん方が作ったご飯をお年寄りに配ったり。お風呂もろくに入れないし電気もろくに繋がらなかったんですよ。
自分は料理が上手いわけでもなかったので、子供達をまとめて安全確認したり、一日中一緒に遊んだりしてましたね。
すごく驚きましたけど、実際に経験したことで考え方も変わりました。
あと、1年の最後にNPO法人HEROのインターンに参加してカンボジアに行ったんですが、この経験が一番のターニングポイントだと思います。むかわでの経験や、シンガポールの一人旅。これまで小さな勇気で一歩踏み出してきたからこそ、カンボジアに行くことができたし、行ってみたら自分と同じような人達がたくさんいました。
一緒に学校建設したりカンボジアの街でものを売ったり、お互いの夢を喋り合ったりしました。1週間しか一緒にいなかったけど、その人達は今でもほぼ全員繋がっています。一生の友達ができたと思います。」
ー1年生の時の経験が廣瀬さんの中でターニングポイントだったんですね!2年生ではどんな活動をされていたんですか?
「2年生は、さらに飛躍した一年でした。アルバイトでお金を貯めて夏休みにまたカンボジアに行きました。1年生の頃は参加者として行ったんですが、今度は”メンター”という参加者をリードする役として参加しました。
メンターは自分の中で”先生”と共通する部分があると感じていました。分僕が『こうしなさい』『ああしなさい』って答えを言っても参加者は成長しません。答えに気づかせるために自分がどういうアドバイスをすればいいのかを考えていました。そのアドバイスで参加者が日々成長していくのを見るのがすごく嬉しくて、改めてその楽しさに気付くことができました。
その後、ミャンマーに遊びに行って、結局デング熱にかかって帰国してきたんですが、それも今考えればいい経験でした。本当にデング熱ってかかるんだなと思いました。(笑)」
ー海外での活動が本格化してきたんですね!
「その後、約1ヶ月半春休みがあったんですが、初めは友達とヨーロッパに遊びに行きました。日本にいて想像するヨーロッパって、綺麗な街並みで、高級感ある感じじゃないですか?東南アジアよりは全然発展してるような。
でも実際行ってみると、確かに発展はしているんですけどすごく怖い印象でした。っていうのも、騙してきたり、押し売りがあったり、スリが横行していたり。実際、友達もスられてました。
東南アジアではあんまりそういうこと無いんですよ。日本で抱いていたイメージとのギャップを感じ取ることができたのはいい経験だったかなって思います。
その後、NPOのドリームハックっていう水道建設などをするボランティアでネパールに行きました。その時にチェパン族という世界最貧層の民族と3泊一緒に過ごしたんですけど、その民族の生活環境がすごくて。
家も藁で作られてて、水を手に入れるためにも往復1、2時間歩いて汲みに行かないといけないし、栄養も全然行き届いていませんでした。ニュースとかネットでそういう人達がいることは知ってたけど、実際目の当たりにしてすごく衝撃を受けましたね。
それで一緒に過ごして色んなことをするとやっぱり愛着が湧くし、こういう子達のために何かしたいなって思うようにもなりました。
その後、武者修行プログラムでベトナムに行きました。そこでは、プロとして最後までやり切ることだったり、ロジックも大事だけど最後は気持ちが大事だってことだったり、仲間と一緒に力を最大化していくことの大切さだったり、武者修行の2週間は社会人になったと時に活かせることを学べましたね。
自分だからこそ伝えられる何かがある。
バイトで出会った友達と2人旅!セブ謳歌!
ー本当に色んなことを経験された1年間だったんですね。ここでコロナ禍になってしまうわけですがそんな中、3年生ではどんなことをされていたんですか?
「3年生は教育実習もあるし、もともと海外にどんどん行こうって思ってなかったんですよ。なのでオンラインで色んな人と話したりしてましたね。」
ーここで教育実習が始まるわけですね。その教育実習で大切にしていたことなどありますか?
「自分は大学生だけど、子供から見たら先生な訳で、”先生”であると自覚を持って行動するようにしてました。自分にしか伝えられないことは絶対にあります。色んな場所に行って色んな経験をしたのは子供たちにぼくだからこそ伝えられることを伝えるためでもありましたし。
この期間は自分のやろうとしていたことがしっかりできた期間でした。子供達を観察して仲良くなったり、声だけで誰かわかるようにしたり、子供達1人1人との距離をとにかく大切にしてましたね。」
ー小学生の頃憧れていた先生がしていたような関わり方をしていたんですね!教育実習の中で何か辛いことなどありましたか?
「正直なかったですね。授業をするのも楽しかったし、実習担当の先生が頼りになる人で、結構支えてもらったっていうのもありますけどね。ただ、担任の先生になったら大変だなということはすごく感じました。
毎時間教室にきて、子供達からあーだこーだ言われて、子供達同士のトラブルがあったら対応して。自分は教育実習生だったから大変に感じることはあまりなかったけど、そんな姿を見て、担任の先生の大変さを感じることはありましたね。」
ー今まで様々な経験を積んできた廣瀬さんだからこそ、伝えられるものがきっとありますね!
一歩踏み出すその勇気。
ーでは、その後から今までのことを教えてください!
「4年の最初の方は勉強があったので特に何もしてないんですけど、卒業したら先生になるし、卒業までにこの大学生の間でしかできないことをやろうかなと思って、今計画しているのがトゥクトゥクでの日本縦断ですね。また新しい出会いもあるだろうし、それが今はすごく楽しみですね。」
ートゥクトゥクで日本縦断ですか。どういう経緯でトゥクトゥクでの日本縦断を計画したんですか?
「最初は、ただヒッチハイクで日本縦断とかしてみたいんだよねって友達に話しているだけでした。そしたら友達が、「トゥクトゥクで日本縦断とか面白くない?」って言ってくれて。それで調べてみたり友達誘ったり、トゥクトゥクの会社にお願いしに行ったりしたんです。
最初は『面白そうだね』から始まった計画だったけど、普通に旅するだけじゃ面白くないから、自分達なりに旅を通して伝えたい思いがあるんです。」
ー伝えたい思い......。それは一体どんなものですか?
「世の中には、『やめたほうがいいよ』とか、『どうせできないでしょ』といった否定の声があって、そのせいで挑戦したくてもできない人がいます。
自分達は色んなことに簡単に一歩踏み出したりチャレンジしたりできる性格だけど、周りの目を気にしてやりたいことをできない人って多いじゃないですか。
でも、一瞬の勇気とかやってみたいっていう純粋な心で、一歩踏み出せるような世界がいいなって思ってて。自分達が挑戦することでみんなに勇気を与えられたらな、と思っています。
最初は僕達も、この計画に対して周りから否定的な意見を言われることが多かったんです。そんな時に自分達でその否定の声、否定の壁を壊して、みんなに挑戦する勇気を与えたいなって思うようになりました。この旅にはそんな意味があるんです。」
ーそんな思いがあったんですね......。その廣瀬さんの思い、周りの目や意見を気にしてなかなか一歩を踏み出せない人達に、きっと勇気を与えられると思います!
今後の展望とメッセージ
トゥクトゥク日本縦断スタートの地!ワクワクがとまらねえ!
ー廣瀬さんの今後の展望を教えてください。
「とりあえず新卒は先生になるんですけど、先生で人生終わらせようとは全く思ってなくて、長くても3年くらいで環境を変えようかなって思ってますね。
札幌から出たいって気持ちがあって、どこかの島とかどこかの田舎で先生やりたいなって思いもあるし、結婚とか家庭とかを度外視したら、海外とか色んなところに旅をしながら何かできることをしてみたいって思いもあるし......。
これまでの大学での経験が色んなことに繋がっていると思うから、これからも固定観念に囚われず、色々なことに挑戦していきたいですね。
よく、旅するように生きるっていうけど、まさにそういうような人生を歩みたいなって思ってます。」
ーでは最後に、想いはあるけど動きだせない大学生に対してのメッセージをください。
「やっぱり、固定観念とか、周りの声に囚われてほしくないって思いがあります。絶対に応援してくれる人はいます。そして、実際に困ってる人がいたら僕が応援するので、一瞬の勇気とか一瞬の好奇心を大切にしてほしいなって思います。
色々考えちゃうと思うけど、何か口に出してみるとか、ちょっと行動に移してみるとか、少しづつ動き出していくことが大事だと思います。
考えて行動することも大事だけど、行動してから考えてみればいいんじゃないかなって思いますね。」
以上でインタビューは終了です。
『一歩踏み出す』『挑戦する』、口に出すのは簡単ですが、実際に行動するのはとても難しいですよね。ですが、廣瀬さんは自らの経験を通して、挑戦することの重要性を教えてくれました。
周りの目や否定の声、もし失敗したらという不安などから一歩踏み出すのを躊躇っている方も、勇気を出して挑戦してみてはいかがでしょうか?
もしかしたらその一歩が、あなたの人生を彩る第一歩になるかもしれません。
廣瀬さんの人生を書いたこの文章から何かのきっかけを得てもらえたら嬉しいです。最後まで読んでいただきありがとうございました!
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