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過干渉母VS「ママ嫌い」

私の母は過干渉だった、と思う。
毒親とまでは言い過ぎなのかもしれないけど、
母は「あれだめ」「これだめ」「こうしなさい」がかなり多かった。

今思うと、人生の大切な岐路において
「自分で決めた」と思っていた数々の決断も、
じつは親に導かれていたのでは…
と振り返って気づくことも多い。

以前鳥羽さんの本を読んだとき、
客観的に幼い頃の自分と母を見た気がして、
すごく救われた気持ちになった。

一人っ子の箱入り娘として、干渉的な親の元で育った私。
その弊害を特に強く意識したのは
20歳を過ぎて、初めて真剣に仕事に向き合った時だった。
仕事で自分が失敗したり、対処に迷った時に
「母親だったらどうするだろう」
と思ってしまったのだった。
耳鳴りのように
「これはどうしたらいいんだろう、母に相談したい」
そんな考えが頭の中でぐるぐる回り続けた。

時がたち、いつも母の声に導かれていた私の依存先が
夫に変わったときもあったが
だんだんと自分のヤバさに気づき始めた。
かなり遅い成長ではあるのだが、
子どものためにも自立した人間にならなければ、と
今は訓練の日々である。
そのために仕事も頑張りたいのだ

相変わらず母は過干渉おばさんだが、
私自身母になり、母の行動に意見もできるようになったので
母娘の共依存関係はかなり薄れてきた。

そこで今度は
私が子どもたちに干渉し過ぎていないか問題、
が持ち上がるのだが、
今のところ大丈夫なのかなと思っている。

母は私に悪態をつかれるとよく、キレ気味に
「じゃあこの家を出て行きなさい」とか
「もうご飯作ってあげないよ」など
脅しでコントロールしようとしてきた。
子ども心に、本当に実行しないのに
なぜ毎回無意味な嘘をつくのだろう、と思っていた。

自分が親になってみると、
毎日誠心誠意子どもの世話をしているのに
悪態をつかれて腹が立つ気持ちもよーくわかるのだが、
私は嘘や脅しはなるべく使いたくないな、と思っている。

5歳になった子どもに「ママ嫌い」と言われることがある。
でも「嫌われて結構」と思うのだ。

私自身、母に対しては複雑な感情を抱いてきた。
むしろ母大好きっ子だったら、
過干渉母盲信娘になってしまい、
危なかったよなとも思ってしまう。

母に感謝はしているが、親なんてなんぼのもんじゃ、だ。
娘に嫌われないようにしたいとは思っているが、
娘には自分で自分の道を見つけてほしい、と願う。

もちろん困った時には頼りにして欲しいし、
夫と共に一番近くにいる味方のつもりだけれど
親の価値観はこの世界の中のほんの一端でしかないのだ。

だから、「ママ嫌い」と言われて少し安心する、
変な自分がいる。
もちろんそれがずっと続くと寂しいのだけれど。

(と書きながら、
やっぱり私も口うるさくなってきている気がして
不安になってきた)


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