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自分を認めると、相手のことも認めることができる

かつてのわたしは、自己否定の塊であった。
それについて、育ちの過程で培われた部分が多いのは確かだとは思う。
しかしそれだけではなかった、と今では思っている。

完璧主義なところがあり、自分の要求する水準に満たない結果に対しては、自分に対して非情なまでに責めていた。
それはこれまで書いてきた、自分の持っている信念にも関係しているが、とにかく否定の度合いが凄かったと思う。

特に、思春期の頃病んでいた時の責め方は半端なかった。

今ならば、そんなことをすればなおさら症状を悪化させるということはわかるが、当時はそんなことを知るはずもなく、とにかく「自分で自分を叱咤すれば何とかなるのでは?」と思っていた節がある。

全く自分という人間を受け入れられていない状態。

当時は病んだ自分に対して、「なぜ?」「どうして?」と堂々巡りの質問をしていた。

「自分の努力が足りないのか。。」

自分の世界で起きることは、全て自分の責任。

今でも似たようなフレーズをよく聞く。
これも、何かの自己啓発系の本を読んで仕入れた考え方だった。
思春期の、まだ社会経験も人生経験もないわたしは、素直にそれを信じていた。
でもこの考え方は、わたしのように自己否定が強すぎる人間には極めて危険である。

自己責任を自己否定にすり替えるからだ。
当時のわたしはまさしくそんな感じだった。

嫌というほど自分をこき下ろし、そして疲れ切っていた。
それでも攻撃の手は止めない。

さらに、この攻撃をまともに受けたわたしは、その言葉に従って無理やり自分を動かしていた。

そこには、「自分がこれをしたい、したくない。」といった想いは全くというほど存在せず、ただひたすら「こうあるべき自分」に向けての、調教のようであった。

この自分責めは最近まであったのだが、ある時、「自分のことをいじめているのはほかでもない、この自分だけ。」であることを認めざる得なかった。

周囲を見渡しても、
「誰もわたしを責めていない。」のだ。

「誰にも責められていない。」
なのに、一番自分が責めいている。

「あんなこともできないのか」
「そんなことで良いの?」
「だらしない。もっとしっかりしなさいよ。」etc

脳内会話は毎日のように、わたしの頭の中を行き交っていた。

これに気づいたとき、まるで「一人SM」のようだと思って、思わず笑ってしまった。
否、とっくに気づいていたのに、自分を叱咤することを当たり前のこととして、止めようとしなかったのだ。

自分が自分を責めるとき、もう一人の自分は文句を言わず、ただひたすら聞いている。
もしこれが他人からの叱責だとしたら。。
到底耐えられないだろう。
そのくらいひどい言葉を、平気で自分に投げかけていた。

それに気づいてからは、責める自分に気づくと、「また責めているな。」と、客観的に受け入れるようにしている。

責める→気づく→受け入れる の繰り返し。

しかしこれを習慣化して少し経った頃、「自分責め」が激減したことに気づく。

どれだけ自分の嫌な部分が出てこようとも、どれだけ理不尽な考えが浮かんで来ようとも、ひたすらそれを否定せず、受け入れる。

「オールOK!」

自分の嫌なところ、良いところ、受け入れられない過去や人などに対して、自分が何を思おうとも、なんでもOK!

自分は完璧な人間ではない。
そして完璧ではないからこそ、人としての面白みも人生の味わいも増すのだと、今では思っている。

そしてさらにこれを続けたところ、他にも気になっていたことが解消されていた。
実は強迫観念すら、受け入れ認め切ってしまうということを続けたところ、減っていたのである。

世の中、プラスもマイナスも、陰も陽も、それぞれが片方ずつだけでは成り立たず、必ずセットでないと成立しない。
それと同じように、自分という人間の中にも「光と闇」があり、決して光だけでは成り立たない。
できる自分もできない自分も、両方とも自分なのだ。

だからこそ、両方合わせて自分なのだから、自分の中の片方の存在を否定する必要はないのだ。

そのころから、長年ずっと抱えていた、なんだか説明のつかないもやもやとした不快感が消え、生きづらさが軽減したように感じるようになった。

そして、今回の題名通り、自分を認めることで、人を認められるようになっていることにも気づく。

自分に対して要求水準が高く、いつもそれがかなわないと自己否定しているということは、無意識に人に対しても同じことをしている、ということだ。

その為、自分だけでなく、恐らく人にもダメ出しをして認めていなかった部分があったのだ。

自分に厳しく、他人にも厳しい。

これだけ見ると、「性格良くないな、自分。」と本当に思う。
ただ、今はそれすら、それも自分として受け入れている。

最初は、「自分を救いたかった。」
それがありきで、自分を見つめ意識し始めたこと。

でもそれは確実に自分だけでなく、周りに対する「やさしさ」も増やしていったように思う。

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