特製パフェ
わたしがこの世でいちばん好きな娯楽はパフェだと思う。
どこのでも、どんなのでも、それがパフェという名のスイーツであればわたしはつらくない。
できれば背の高い透明なグラスに旬のフルーツと少し溶けたアイスクリーム、たっぷりの生クリームが盛られてあるといいと思う。
できればセクシーなシャンパングラスにチョコレートアイスと舌触りのよい生クリームとさくさくのラングドシャ、フランボワーズソースが美しく盛られてあるといいと思う。
コーンフレークや寒天でかさ増しされたパフェだって、たまらなく好きだ。
*
数年前、わたしは日本学術振興会の特別研究員として日本の中世文学を研究していた。文学研究といえば、「文献を読む」という机上の学問を想像しがちであるが、わたしは中世文学に関わる文化や行事の調査・見学のため、各地寺院・文庫・図書館などあらゆる土地へ赴くことを大切にしてきた。
いわゆる、フィールドワークである。
それは、大雪が降る1月、岩手県平泉の毛越寺で「延年」という寺院芸能を調査しに行ったときのことである。
「延年」は、『平家物語』などの作品に描かれるが、それを当時の形そのままに伝承しているのは毛越寺のほか全国でも数少ない。そんな貴重な行事を生で見ることができる喜びで、平泉に着いたときからワクワクする気持ちが止まらなかった。
しかし、調査が進むにつれ、わたしの気持ちは変化していった。「延年」は昼間から深夜まで永遠と続く。当時のわたしは20代前半で、仲間もいない。慣れない土地で僧侶に囲まれ、大雪のなか同じ姿勢で何時間も見学し続ける孤独と苦しみを想像してほしい。わたしは、あまりの寒さと空腹とで意識が朦朧とし、その場を逃げ出してしまったのである。
とはいっても、22時の平泉。夜遅くまで営業しているお店はほとんどない。人通りも街灯も少ない路地で不安を抱えたまま歩いていると、わたしはある喫茶店にたどり着いた。
雪のせいで店名は隠れて見えない。どうか営業していますようにと、心の中で何度も祈りながら覗いてみる。コーヒーカップを磨く古老のマスターと目が合った。
「もう閉めちゃって、カレーはできないんだけどいい?」
と、白髪のマスターはドアを開けてくれた。
わたしは言葉にならず、首を大きく何度も振るだけしかできなかった。
湿り気のある木のぬくもりとコーヒー豆のよい香りが溶け込んだ店内に入れば、寒さで緊張していた身体も途端にほぐれる。
「どこから来たの?この辺は早くに閉まっちまうからね。うちも夜はひとりでやってるし、種類も少ないけど。コーヒーはうまいよ。」
手渡されたのは半分折の茶色く薄汚れた厚紙だった。開いてみると、左側にはさまざまなコーヒー豆の種類が印字されている。右側には「ドライカレー」や「BLTサンドウィッチ」「チーズケーキ」といったフードメニューだった。
凍えた身体で、苦みとコクたっぷりの「本日のコーヒー」と熱々の「とろけるチーズサンドウィッチ」を頬張れば、血の巡りがどんどんよくなる。最後の一口を惜しみながら食べ終え、残りのコーヒーをすすり、ようやく落ち着いてきたころ、本日のおすすめが書かれた黒板を見つける。
そこには「特製パフェ」の文字があった。なんということだ。完全に見落としていた。すぐに古老のマスターに声をかけ、それを注文する。
さあ、いよいよ「特製パフェ」のご登場である。百合の花のようなグラスにたくさんの要素が詰め込まれたそれと対峙する。まずは、缶詰の真っ赤なさくらんぼを小皿に移し、ふわふわのホイップクリームとつぶあんを一緒に食べる。
つぎはどこを攻めようか。生温かい白玉とカチカチに冷えた抹茶アイスで冷温の差を楽しもう。おいしい。アイスとつぶあんの組み合わせも最高だ。口の中がだんだんのっぺりしてきたころ、さっぱりと口直しをキメてくれる下層部の寒天もよい。
本のページをめくるように、スプーンを口へと運び、登場人物に感情移入するかのように、パフェと一対一で対話する。気がつくと、残されたのは小皿に移したさくらんぼがひとつ。口からタネを出したときには、冷め切った心もあたたかくなっていた。
「お姉さん、おいしそうに食べるね。作った甲斐あったよ。明日も平泉、楽しんで。」
マスターに声をかけられ、わたしはオレンジ色に染まったその喫茶店を後に、「延年」へと続く真っ暗な夜道を歩き始めたのであった。
それから2年後の夏。再び平泉を訪ね、わたしはそれを楽しんだ。匂い・温度・食感・味、「特製パフェ」に触れたとき、あのとき、あの瞬間の想い、マスターの優しさ、平泉におけるわたしの唯一無二の物語、すべてが蘇る。
その日はかんかん照りの猛暑日だったけれど、わたしにとって、平泉の「特製パフェ」は大雪の日の抹茶の苦みが効いた優しい味。
*
最後の晩餐になにを望む?
もちろんわたしはパフェと答える。
丸いテーブルに真っ白のクロスをかけて。
取っ手の長いスプーンを用意して。
できれば窓からだいすきなひまわり畑が見えるといい。
お店に入って、それを注文し、ふたりきりの空間になったとき、これまで出逢ってきたさまざまなパフェを回想したい。
年に一回だけ、誕生日に贈られるキラキラしたファミレスのお子様パフェのこと。
論文が不採用になって、中身をぐちゃぐちゃにしながら食べたカラオケ店の安っぽいチョコレートパフェのこと。
はにかみながら、初任給で両親にごちそうした銀座のフルーツパフェのこと。
十年来の仲良し三人組で、大騒ぎしながら食べた六人前のジャンボパフェのこと。
夫との初デートで食べたほろ苦いキャラメルパフェのこと。
新型コロナ禍のなか自分で作ったおうちパフェのこと。
パフェ。それはわたしの人生だから。
(※この文章の冒頭は、吉本ばなな『キッチン』に依拠しています。)
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