マガジンのカバー画像

遥か彼方のアブラード・ザ・ブッター

83
UMUの日常を綴った役に立たないコラム集
運営しているクリエイター

#昭和

新幹線の思い出

新幹線の思い出

子供のとき、旅の乗り物といえば新幹線でした。

ぼくは三重県で生まれ育ったので、大阪方面や名古屋に行く時は家の車か在来線を使っていて、それはなんとなく日常の延長のような感じがしていたのですが、新幹線は名古屋より東の遠くに行く特別な乗り物というイメージがあったからかもしれません。

その頃はまだ『ひかり』と『こだま』しかなくて、『ひかり』が名古屋ー東京間で約2時間。それでも当時のほかの電車に比べたら

もっとみる
偉大なるフロンティア。だがしかし、それが良いことばかりとは限らない

偉大なるフロンティア。だがしかし、それが良いことばかりとは限らない

平成から令和に変わるにあたって、飲み屋で話していると色々な平成時代の懐かしい話になったりします。

ぼくにとって平成時代は13歳の後半から43歳の後半までだったので、多感な時期を過ごした時代といえるでしょう。

おっさんが話す、あのときあぁだったというような話は若者からしたらよく分からない話であって酒場で嫌われる話のひとつだと思うのですが、これが同世代だとそこそこ盛り上がる酒の肴になったりするわけ

もっとみる
少年野球

少年野球

夏といえば甲子園。
今年(2018年)は100回記念ということもあり、いつもに増して盛り上がっている気がします。

ぼくも野球少年でした。
ぼくの入っていた少年野球のチームは2年連続全国3位になったくらいの強豪で全国大会で小学生のころのイチローのチームと対戦して勝ったこともあります。

ただ、その頃の少年野球の強豪チームといえばほとんどが監督が怖すぎて、ミスをするとぶん殴られるから頑張って勝つとい

もっとみる
エロ伝道師・播磨屋のバブ

エロ伝道師・播磨屋のバブ

ぼくの育った地元に播磨屋という駄菓子屋さんがありました。
駄菓子屋さんというより、洗剤とか雑貨を売っているお店の軒先に駄菓子も一緒においてあるようなお店でした。そこには、ぼくらの同級生の間で『バブ』と呼ばれていた45歳くらいのおじさんがいました。なぜバブと呼ばれていたかというと、ゾンビ映画『死霊のえじき』(日本公開:86年)に出ていたバブというキャラクターに似ていたからでした。

バブは駄菓子を

もっとみる