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【家族の終わり】4.話の違和感

長女が最初に体調の異変を感じたのは、春ごろのことらしい。

そこから盛夏になるまでの数か月の間、いろんな病院を何度も受診したが、「何が何だか、さっぱりわからないのよ」と不満気に言う。

検査に来てください、検査に来てください、と、いくつも先々の予約を入れられ、毎回、高額な支払いをさせられるだけだから、と。

長女が暮らす実家は郊外にあり、設備の整った病院へ行くためには、電車とバスを乗り継いで1時間ほどかかる。「しんどくて、しんどくて、とても一人では行けない」と、怒りながら言う。


「そんな、輸血が必要なレベルなんだったら、救急車を呼ばないと⋯⋯」

と私が言うと、長女は呆れながら言い返す。

「はぁ? 救急車なんか呼んだら、履歴が残ってしまうでしょう?」

「⋯⋯履歴?(意味がわからない) じゃあ、タクシーでもいいじゃない」

「もう、これだから、ちえは駄目なんだ。何もわかってない。タクシーも全部、履歴が残るの! そして通報されるの! あんたは本当に、何もわかってないのね」

私は、何を駄目出しされたのか理解できない。

電話一本で、わざわざ他県から駆け付けた妹に対して、感謝したり、ねぎらったりするどころか、平気で見下してなじる。

もともと、そういうところのある人だったけれど、それでも不気味な違和感を感じる。

「履歴が残る」ことを避けて、隣家に押しかけて玄関先に上がり込み、その家の電話でタクシーを呼んでもらった。隣家から病院に行ったことにしたのだ、と策を練ったことを、長女は得意気に話す。

しかしさすがに何度も、そんなことをするわけにいかないから、とうとう検査予約をすっぽかしたのだろう。

あんな病院は駄目だ。入院させてもくれないんだから。

ようやく聞き手を得て、長女は不満や怒りを次々と吐き出した。

どうやら医師の話が理解できなかったようで、それを医師と病院のせいにして不満を溜め、その結果、検査を途中で放置してしまっているらしい。

けれども私には、長女のほうに非があるようにしか思えなかった。

まだ、認知症を疑うような年齢ではない。なのに話を聞くにつれ、長女に対する違和感はどんどん膨らむ一方だった。


話の最後にようやく、癌の疑いで検査が必要なのだ、と長女は言った。そして、痛い思いや苦しい治療はしたくない、私はホスピスに行くから、と、きっぱりと言い切った。

もともと、年金を貰える年齢になったら仕事をやめて、あんたたちの近くに引っ越すつもりだった。

だけどそんな日はまだまだ先だと思って、何の準備もしていないのに病気になってしまった。

おまけに家の機能も停止して住めなくなった。だから、お母さんが、電話のボタンを押してくれたのね⋯⋯。


つもりだったと言われても、私も、次女も、驚きと、困惑と、拭いきれない違和感とで、思考がうまく回らない。

まずは、途中で放置した病院へ行って医師と会い、今わかっていることを聞いた上で、転院のための紹介状や、これまでのデータを貰わなくてはならない。

そのあと、今後通院できる病院を探して受診する。必要な検査を終えて診断を確定し、治療方針を話し合う。

急がなければならないのは、これらの作業だった。


私は翌朝早く、出張に出なければならない。家には病気療養中の夫がいる。

まるで後出しじゃんけんのようで気まずかったけれど、それらの事情を説明し、長女のことは、しばらく次女の家に丸投げすることになった。


次女夫婦はそのころ、いろんな事情や不運が重なって、厳しい暮らしを強いられていた。

マンションには荷物が多くて本当は、長女を居候させたり、仕事を休んで通院に付き添ったりする余裕はなかったけれど、それでも精一杯、やれることをやろうとしてくれた。

命にかかわる病を得た姉に対して、これまでのわだかまりは一旦、脇に置いて、向き合うべきだ、と考えたからだ。

けれども、長女と、次女と、その夫との同居生活は困難を極め、結局、新たな病を呼び起こすことに繋がった。

善意の仮面は、長年の不信感とあまりにも厳しい暮らしの現実の前で、力なく砕け散った。

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