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⑫彼女にとって私はたぶん、唯一の友達だった。

高学年になって成績が上がると、今度は教師から過剰に期待されはじめた。私はすぐに、教師のお気に入りになった。

教師に認めてもらうために、私は常に正しくあろうと、模範的であらねばと、頑なに思い込んでいた。

放課後、クラスメイトに勉強を教える。
喧嘩の仲裁をする。
問題行動や、クラス内の微妙なパワーバランスを、逐一教師に報告する。

すべては承認欲求ゆえの、過剰適応だったのだろう。私はまだ、努力すれば報われる、という幻想の渦中にいた。

そんなある日、友達のお母さんが映画に誘ってくれた。

今から思えば、その子には、何かしらの発達障害があったのだと思う。歩き方や話し方に少し不自然なところがあり、クラスメイトにからかわれることも多くて不登校気味だった。

私は担任に頼まれて、毎朝登校前に家まで誘いに行き、帰りにはプリントや宿題を届けた。

そのうちに、誘われるまま家に上がり、ケーキと紅茶を頂きながら一緒に宿題をしたり、遊んだりするようになった。

私にとって彼女は、サラリーマンのノルマのような達成目標の一つだったけれど、彼女にとって私はたぶん、唯一の友達だった。

彼女のお父さんは美術の先生で、家中に無造作に油絵が置かれていて、彼女もまた、小学生離れした絵を描いていた。例えばノートの隅にサラサラと描いたものであってもそれは、子どもの目から見ても、持別な才能に恵まれていることのわかる絵だった。

彼女のお母さんはとても優しい人で、私は怒っているところを見たことがなかった。迎えに行っても、どうしても学校に行きたくない、と泣き叫ぶ彼女を叱ったりせず、ただ悲しそうに私に謝ってくれた。そしていつも、仲良くしてもらって本当に嬉しい、と私に言ってくれた。

映画は言わば、半年ほどの間、毎朝誘いに行った私へのお礼の意味もあったようだった。彼女は再び、登校することができるようになっていた。

実写版のシンデレラ。

私にとってそれは、子供会などで見たアニメ映画ではなく、大きなスクリーンで見る、初めての字幕付き海外作品だった。

ところが、本編が始まってすぐに彼女は、字幕が早くて読めない、と言い出した。お母さんは少し困っていたけれど、すぐに小声で読み聞かせはじめた。

自分で読めた私は、同級生が字幕に追い付けないことに驚き、そしてそれを小声でずっと読み聞かせるお母さんに、もっと驚いた。

隣の人が何度も咳払いした挙句に席を移ったから、きっと当時でもマナー違反だったのだろう。

それでもお母さんはやめなかった。映画の最後まで、ずっと娘の耳元で読み続けた。

この映画をきっかけに、私たちは急速に仲良くなった。私がお話を書いて、彼女が即興で絵を付ける。そんな、絵本ごっこに興じながら私たちは、ニ人きりの放課後を何日も過ごした。

中でも好んで書いたのは、シンデレラが冒険に出るストーリー。

王子様と結ばれてハッピーエンド、ではなくて、シンデレラは世界中を航海し、行く先々で様々な敵と勇敢に戦う。

私たちは、かつてない冒険の世界に歓喜し、想像の世界で存分に飛翔した。

今から思えばそれは、とてもとても濃密な、得難く輝いた時間だった。

時が流れて私は母親になり、授かった子どもたちにはそれぞれ、特性の違う発達障害があった。

まだまだ医師や教師にも、正確な知識や対応経験のある人は少なく、子どもたちの強いこだわりや、少し変わった言動はすべて、親の躾がなってないからだ、と諭され、時には叱責された。

私は母親として、他人に迷惑をかけないことや、ルールやマナーを守ることを、何よりもまず、子どもたちに教え、身に付けさせなければ、と考えた。

できないことや嫌がることを責めず、できることや好きなことを、褒めて伸ばす。

友達とそのお母さんの、素晴らしい実例を間近で見ていたのに、私は我が子に、まるで真逆の日々を強いたことになる。

ことの是非はともかくとしても、私は、公共マナーを破ってでも、子どものために映画の字幕を読み聞かせるような母親には、とうとうなれなかった。

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