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レジリエンス ②情緒的ネグレクト

やがて私は、起き上がることができなくなっていった。

過呼吸発作を繰り返し、血圧は乱高下する。自己否定の感情が、嵐のように沸き起こる。全身に蕁麻疹が表れ、掻き壊して傷だらけになり、涙が溢れて呼吸困難になる。

何もかも、いつか見た光景だ、と思った。
うつ病、そして適応障害を再発していることは明らかだった。

30年前とは違って医療機関も、ネットで簡単に検索することができる。
私は、新たなカウンセリングオフィスを探し出して予約を入れた。


それは、電車を乗り継いで30分ほどの、ターミナル駅からほど近い小さな雑居ビルの中にあった。

新しいカウンセラーは、私より少し年上くらいの年齢で、主に女性の生きづらさをサポートするための、たくさんの肩書を持っていた。

初回のカウンセリングで私は、うつ状態を診断するための簡易なチェックリストに答えてから、今抱えている問題を話し、生まれてから今日までの人生グラフを書いた。

チェックリストの点数は、やはり重度のうつ状態を示していた。
そこで、カウンセリングと並行して病院の受診や服薬もしながら、今抱えている問題に正面から向き合うことになった。


数回の面談を通して、大まかな生い立ちを話したところで、カウンセラーは、私の抱える問題の核心を早くも言い当てた。

「情緒的ネグレクト」
この言葉を私は、この時はじめて聞いた。

「ネグレクト(育児放棄)」の中でも、情緒的な触れ合いや慈しみを与えられずに育つことを、特に区別して「情緒的ネグレクト」と言うそうだ。

この言葉は、ストンと私の胸に落ちた。
腑に落ちるとは、きっとこういうことを言うのだろう。

もやもやとした名前のつけられなかった状態に、わかりやすい名前がついたような、多くの謎が一気に解けたような、そんな気分だった。

それと同時に、これまで自分とは無関係だと信じてきた「虐待の連鎖」という現実に突き当たった。


「虐待の連鎖」は一般的には、以下のような流れで起こるとされている。

親から殴られて育った子どもは、それでも親を愛そうとして、殴るという行為を正当化しようとする。

自分が悪くて殴られる理由があった。
殴られて、良い結果になった。
だから、愛情を持っていれば、殴るという行為は正しい。

そうするより他に、方法を知らない。
自分がされて、それが正しいと信じている。
だから、子どもが悪いことをした時は、殴らなければならないと考える。

そうして自分が親になった時、同じように子どもを殴る親になる。

私は、親から殴られた経験はあっても、それを正当化して子どもに手を上げたことは一度もない。

また、自分の感情や都合だけで頭ごなしに叱ったり、怒鳴りつけたりしたこともない。

特にネグレクトに関しては、むしろ真逆の過保護、過干渉をしているのではないかと、常に気にしていたほどだ。

これほど細心の注意を払って子育てしているのだから、「虐待の連鎖」などあるはずがないと私は思っていた。


けれども、親も子どもも一人一人違うように、子育てに「絶対的な正解」などない。

またどれほど細心の注意を払ってきたとしても、人が人を育てるのに「完璧な子育て」など、そもそもあり得ない。

たとえば「情緒的」「共感」という部分がそうだった。
自分に欠けているとは思わなかったのだから、子どもに与えられていないことにも当然、私は気付いていなかった。

それ故に私は、いつの間にか子どもたちの心を深く傷付けてしまっていた。
それは「情緒的ネグレクト」という「虐待」を親から子へと「連鎖」していることに他ならない。カウンセラーは淡々と、そう指摘した。


私はずっと、子どもたちから次々と繰り出される問題に翻弄され、答えや正解を探し求め、何が悪かったのかと間違い探しに躍起になっていた。

子どもがキレて暴れた時や、平気で嘘を吐いたり、ルールを破ったりする時、心身症の症状が見られる時にはまず、親(学校、教師、友人などの社会的要因も含まれるけれど)の不適切な養育が推測される。

「虐待の連鎖」などという自覚のなかった私は、母親失格の烙印、そして加害者、虐待者の誹りを到底、受け入れることができず、現実を直視できないまま深く落ち込んだ。

また、目の前の我が子から放たれる憎悪に満ちた表情や態度、そして繰り返される見え透いた嘘に、私もまた、深く傷付いてきた。

子どもの暴力はトラウマとなり、何度もフラッシュバックが起こった。


そうして子どもたちが巣立っていった後、私が力尽きてしまったのは当然の成り行きだった。

「情緒的ネグレクト」や「虐待の連鎖」という、隠れていた正体が見えたところで途端に、すべての問題が解決する訳ではない。

どれほど後悔しても過ぎた時は戻らないし、現在の子どもたちの気持や感情を、私の力で変えることはできない。

今私がしなければならないのは、長年、放置してきた、自分自身のたくさんの心の傷(トラウマ)を、一つずつ順に癒していく作業だと、カウンセラーは言う。

幾多のトラウマ症状によってガタガタになっていた、心と体の回復に向けて、私はまだまだ多くのことに向き合わねばならなかった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。もしも気に入っていただけたなら、お気軽に「スキ」してくださると嬉しいです。ものすごく元気が出ます。