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老いて、病んで、生きる②

長女は、アパートへ引っ越してから二か月も経たないうちに入院し、そこから二つの病院を行ったり来たりしていた。
この部屋に戻ってきたのは、実に一年ぶりだ。

その間、近くに住む次女が、時折り風を通しに立ち寄り、ポストの郵便物を確認し、必要な着替えを持ち帰って病院へ届けていた。


私たちは、長女を何とか説得しなければならなかった。

「お姉ちゃん、誰とも契約しないなら、どうやって暮らすの?」
私がそう問うと、長女は黙り込む。
「ヘルパーさんに買い物とか、掃除とかお願いしたらいいじゃない?」
次女の言葉に反応して
「知らない人が家に入るのは嫌っ!」
と語気を強める。

知ってる人ならいいんだね、と言いそうになるのを、私はかろうじて抑えた。
長女の本音は、当初から一貫している。

次女が同居して24時間(夫や子供たちの世話を放棄し、仕事も辞めて)付きっきりで、献身的に介護をしてほしい――。
そんな思いが、言葉の端々に滲んでいた。
それはどこか恋愛感情にも似た、強い執着と独占欲だった。


「ご飯を作ったり、買い物に行ったり、一人でできるの?」
「⋯⋯そんなこと、できる訳ないじゃないっ!」
「そうでしょう? だからヘルパーさんにお願いするの。看護師さんは、傷の手当とお薬の管理をしてくれるのよ?」
「⋯⋯知らない人に、家に上がられるのは嫌だってば!」
「毎週、来てもらってるうちに、知らない人じゃなくなるでしょ?」
「⋯⋯他人は嫌だって、言ってるでしょっ!」

二人の噛み合わない会話を聞いていて、私は心がひりひりした。

長女は
「そういうことをすべて、次女にしてほしい!」
という一言が、どうしても口に出せない。
そのくらい察して! なんでできないの! 
と不機嫌になっている。

次女は、そんな長女の本音に、もちろん気付いていた。
けれども、自分の暮らしや仕事、事情があるし、夫や子どもたちもいる。
それらをすべて投げうってまで、これ以上献身的に介護をしてあげたい、という心境には、到底なれないようだった。

私のことは、元より眼中にない。
長女にとって頼れる妹は、次女一人だ。
私のことは今もなお、母を病気に追いやり、母を死に追いやった元凶なのだ、という思いがどこか拭い去れないようだった。

私がそうであるように、姉二人にとっても、病んだ母に甘えられない、機能不全家庭で育ったことの心の傷は、とてもとても深かった。


話し合いが平行線をたどり、膠着状態のうちに時間になって、それぞれ約束していたケアマネージャー、ヘルパー、訪問看護ステーションの担当者らが次々に訪れた。
狭い部屋は、あっという間に人で埋まった。

ケアマネージャーは、こんな状況には慣れているのか、とても手際がいい。
「妹さんたちも困ってらっしゃいますよ。
私たちの支援を受けることを条件に、退院されたんですからね。
それを拒まれるとなると、もう一度、主治医の先生にご相談しなくちゃなりません。退院の許可が、取り消されるかも知れないですねぇ⋯⋯」

長女は不満気に、ケアマネージャーと私たちの顔を交互に見ていたけれど、最後は諦めたようだった。そして渋々承諾し、契約書にサインした。

曜日、時間の細かいスケジュールを調整し、宅配弁当や送迎タクシー、通院介助の家政婦さんの手配などを済ませると、もう外は真っ暗になっていた。


こうして、長女の一人暮らしは再開した。

前回の無惨な結果を私たちは重々承知していたし、長女は今なお、妄想めいた発言をすることがある。
精神科で処方される薬をきちんと服用できるかどうかが、今後の暮らしの大きなポイントだと思われた。
そこで翌日すぐに、病院からの紹介状を携えて、アパートから徒歩圏内の心療内科クリニックを受診した。

新たに主治医となった年配の女性医師は、私たちに向かって
「お姉さんの現在の症状は、統合失調症と言うよりも、精神病性うつ病のほうが近いと思います」
と告げた。

「独り暮らしは難しいと思いますが⋯⋯」
長女が退室してから医師は、そう言って次女と私の顔を見る。
「同居して介護する、という選択肢は、私たち、どちらにもありません」
私は、迷わずにそう伝えた。


昨夜別れてから、それほど時間が経っていないにも関わらず、長女は、
「あれからずっと、しんどくて、しんどくて、何もできなかった!」
と怒りを込めて、私たちに訴える。

けれどもバイタルや検査結果は、入院加療が必要な数値を示さない。
しっかりとした足取りで歩いているし、「何も食べられない」と言いつつ、バームクーヘンやカステラを二つ、三つと頬張っている。

長女が嘘を吐いているとは、私には思えない。
しんどくて、しんどくて、堪らないのは事実なのだろう。
けれども、そのしんどさの奥に潜んでいるものの正体に、長女は思い至っていない。
それは、とてつもなく大きな「淋しさ」だ。



長女は夫と死別した後、長く一人暮らしを満喫してきた。
三人で相続したはずの実家を占有し、三人で分配するべき親の遺産を自分の銀行口座へ移して日々の生活費に充てた。

健康なうちは心の奥底の淋しさなど、気にも留めなかったのかもしれない。
けれども体調を崩し、遺産を使い果たし、繋がりを失って、状況は一変した。

長女が次々と繰り出す不平や不満、私たちにぶつける理不尽な怒りはすべて、「とてもとても淋しい!」という感情の裏返しなのだろう。
長女はただその思いだけで、押しつぶされそうになっているのだ。



孤独は、時に人を死の淵へと追いやる。
私は20代の頃に自分自身で経験したし、今も本気でそう思っている。
誰か一人でも、大切に思ってくれる人がいるだけで、救われる命があるのだ。

けれども長女本人は、自分が本当はとても淋しいのだ、などとは認めない。
助けを求めながらも、あくまでも姉として高圧的に振る舞おうとする。

次女は、実家や遺産の件で腹を立てていて、長女の淋しさに対しては「自業自得でしょ」と冷ややかだ。

では、私は?
「あんたのせいで、お母さんは病気になった」
「あんたのせいで、お母さんは死んだ」
そう罵られ続けたことを、私はきっと、今も赦すことができずにいる。

『生まれてきた私には何の罪もない』
そんな当たり前の真実にたどり着くまで、私は罪悪感を抱えて、うつ病との闘いに人生の大半を費やしたのだ。

その長女の淋しさに私は、どれほど心を寄せることができただろうか。

私たち三人は、長女の命の瀬戸際に至ってなお、深い情愛で結び付くことができずにいた。

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