朝の記録 1210-1216
12月10日(木)の炎
起床。8時半。とんでもない時間である。昨日の日記に書いたような6時始まりのなんとなくタイムスケジュールは既に崩壊した。まあそれでもいいよ。午後まるごとがバッファーみたいなものだ。
寝るのが遅かったわけではないと思う、何時に寝たっけ、たぶん22時半とかそのくらいだったと思うのだ。なんかむっちゃ暖かいらしい新しいブランケットがあまりにも暖かすぎて出がたいうえに熟睡だった。それでも3時だったか4時だったかそのくらいに一度目が覚めたのだけれど、暖かいだけであんなにぐっすり眠れるのかと驚愕した。ただ当たり前といえば当たり前だけれども外界と布団の中の温度差が凄すぎて一層の気合いがなければ起きられなくなった。今日は休日だからいいけれどこれが日勤だったらとんでもないことにならないよう本気で気をつけなければならないし、朝に活動するのならどれだけ自分の欲を抑えられるか。
cakesがまたも炎上したようで、その内容を確認したところ、これはなんて作者そして関わった人たちへの侮蔑なんだろうと思っていよいよ嫌になってきた部分がないわけではないのだけれど、noteの創作活動のしやすさ、作家のプラットフォームというメディア形態のやりやすさは今のところまだ抜きん出ていると思っていて、続々とnoteを辞めていくかもしれない/辞めた人たちの言葉を見るたびにこの流れは止まらないだろうと思う。私自身はまだここにいようかなとは思っている。
noteを使うにあたって何よりも優先するポイントとして、「創作を楽しみ続けること」「ずっと発表し続けること」を掲げている、「上の2つは、ページビューを増やすことよりも、お金を稼ぐことよりも、あるいはフォロワーを集めることよりも、何よりも大事なことです」、そう言い切ったnoteのことを脳天気な私はまだ一応信じたいと思っている。
炎上を恐れて、リスクを負いたくなくて、本来の形での発表を拒絶する。cakes・noteは根本の理念について忘れていないだろうか。
炎上で地に落ちてそのまま再起を許さない、一度も許さないような昨今の流れが私は苦手だ。誰もが批判され叩かれるリスクを負っている、誰もが批判し叩く権利を持っている、しかしその力があまりにも大きすぎて言葉のリンチ状態。誰かが否定すれば便乗して誰かも否定する。もうここまでくるとnoteやcakesがやらかしたというだけでアレルギー症状みたいに叩いている/嫌になってる人もいるだろう。まあ、こうも続いてしまうとこのまま腐るところまで腐ったものを炙り出して、傷だらけになって、浄化して、原点に立ってほしい。内部事情をまったく知らない分際で言うのもなんなのでここで切る。
昨日、文フリに向けての小説の初稿が書き上がり、ほっと息をつく。そのご褒美に夜ハーゲンダッツを食べる。苺味。ハーゲンダッツは何故ああも優しい甘さ。冬だからか、クリスマスシーズンだからか、苺への熱意が高まっている。
「朝の記録」で初稿をあげた「墨夏」と、他に二作、で、とりあえず行数や行間などを適当にしてPDF化してみると119ページとなった。ちょうどいいくらいの厚みではないだろうか。全体的に暗い傾向が強くなったのはもう性格上仕方ないと思う。
この文章達がどうなっていくかわからない。でもこれはあらゆることの完成形ではなくて、これからもずっと創作をしていたくて、めげないでいたい。ずっと創作をしたい、創作を生活の中心に置きながら生きていくには。右往左往の日々。そうすることが正しいのかもほんとうのところ分からないのだ。現実的にどうするの? と声がする。ずっと迷っていく。迷っていったまんま。
今日は推敲。昨日一昨日と家に引き籠もっていてそれはそれでいいんだけれど、ちょっと外に出てコーヒーかホットチョコレートみたいなものを飲みながらガツッと推敲したり本の構成を考えたり表紙について考えたりしてもいいんじゃないかと思ったりする。
あとお題箱を使って募集したものに関しては、そちらも昨日書き始めた。短い、ゆるく読める掌編にする予定。現状は、文フリでフリーペーパーにして、文フリが終わったらnoteに出そうかと考えている。
三重と京都に店を構えているメリーゴーランドという子供の本専門店な本屋さんが作っている、メリーゴーランド新聞というフリーペーパーがあって、これがすごく良くて、こんな、読んでいて楽しいものを作りたいなあと思う。一つ目処がつくと、次にやるべきこと、次にやりたいこと、がちゃんと目の前に見えてきて、楽しい。こういう手作りしていくこと、楽しい。幸せは手作りするもの。本文を書くのは大変だけど。
だから今日はそうして文章のことをやって、あと、マジバケをやれたらいい。マジバケの記事を出そうと思ったら自然絵を描くことにもなるので、絵を描くことにもなるのだろう。
読書としては、「コモンの再生/内田樹」を引き続き読む。
実際、ツイッターを見ていると、実に多くの人が眠れずにいたり、二日酔いで苦しんでいたり、鼻水を垂らしていたり、熱を出していたりする。ああ、世界の人たちって、みんなこんなに苦しんでいるんだということがよくわかる。ふだん、健康そのもので、何の悩みもなさそうな人が、きつい持病をかかえていたり、深刻な家族問題に耐えていたりする。それを読むと、まさに「共苦」の感覚にとらわれる。ツイッター上に「共苦の共同体」が立ち上がる。深夜ツイッターに「まだ眠れない」とつぶやくと、1分くらいで「オレも」というリプライが来る。そうすると、ああ、あいつも眠れないのかとわかると、ほっとする。眠れないよなんて、わざわざ友だちに電話したりしません、寝ている人を起こしてまで伝えるようなことじゃない。でも、ツイッターならできる。「愁訴の共同体」「共苦の共同体」というものを立ち上げたことがツイッターの最大の功績じゃないかと僕は思いますね。(コモンの再生 P210-211)
ネットリテラシーについてのおかしさも多々ある、その中心にあるツイッターの、本来の優しさを感じたような気もする。怒りも悲しみも、喜びも感動も一気に増幅するネット。でもほんとうはめちゃくちゃしょうもないことを、共感するみたいな、共有することには、意外と日常的な価値が潜んでいたりするのかもな、とふと思う。
その他、内田先生はズバッとスパッとこの世に渦巻くさまざまな問題へ言い切る形で返答していく。時事ネタがほとんどだが、中には三年くらい前の話も入っているので「懐かしい」と思うような話題もあるし、東京オリンピックなんて、まさかこういう形になるとは誰も予想していなかった頃の話だ。なんだか、ほんとうこの世の未来ってどうなるんだろうな……。共生というのは、隣人という手の届く範囲の話ではなく、グローバルにも及んでいく。もう少しで読み切ってしまう。今日はこの本を読み切って、また「デクノボーの叡智」を少しだけ読んで、「高架線」を読み進める、そうした感じの読書になるのかな。今日で連休が終わる。言うても明日出勤してすぐにまた二連休というアホみたいなシフトを組んだのだけれど。そうして休みを固めたことで、読書や創作活動に集中できているのだと思う。来週になったらまた大変だ。
12月11日(金)のかもしれない
起床。6時15分。異様に暖かくなるブランケットに包まれながら打鍵している。
昨晩、ぼちぼち寝ようかなあと「高架線/滝口悠生」を閉じようとしていたらメールが届いてそれは文学フリマ事務局からのメールで、京都文学フリマのブースが決まったというお報せだった。うわ、と思って確認し、「お-27」という場所が与えられていた。中央に面した場所で、柱に被っていたかどうか、ちょっと今忘れたけれども、広い通路に面した場所のようだった。それがどうなのかはわからなかった。昨今の感染対策だろう、今までだったら間を空けずにブースが設けられていたけれども、二ブースごとに空白が設けられており、移動が楽そうだな、と思った。しかしそれはそうとして、急に現実感が増してなんだか吐きそうになっていた。こんなことはあまり言うべきではないだろうけれども周辺を見るとすごく個人出展が浮き彫りになりそうだなあと思って、それがどんどんと苦しくなりそうになって耐えた。そういえばエンタメ・大衆小説枠で出したなあと思って、手元の原稿を思い返すと大衆小説という枠には入るかもしれないけれどエンタメかと言われるとまったくもってそうではない気しかしなくて、かといって純文学かと言われるとそもそも純文学ってなんぞや問題があり、まあそういったことはもう全て置いておいて、決めたこと、取り組んでいくこと、酸いも甘いも経験できたらいいなと思う。この中で果たして誰かの目に留まることがあるのだろうかと、私はただただ疑問しかない。
苦しくなりながら他のブースをウェブカタログで確認すると、面白そうな本を出されそうなサークルとか、東京文フリなどで出展されていて噂だけは聞いていてすごく気になっていたサークルも参加されていたりしてそういうことを考えるとなんとか気分盛り返して楽しみな方向へと上昇していった。全てのイベントを通じて初めてのサークル参加なのでなんとなく浮き足だっているのだけれども、もともとの、買う側である時の楽しさを気楽に味わえたらいいと思う。恩田陸全作品紹介本みたいなのがどこのどなたかまったくわからないけれども気になりすぎて明日も眠れない。そういう、掘り出しものに出会えたら嬉しい。
まあなんというか。
感染状況の広がりようにも左右されますけれども、もしも近場で来られる方でご興味がある方は、1月17日日曜日、京都みやこめっせにて開催される第五回京都文学フリマの、お-27「hass books」に寄っていただけたらたいへん喜びます。とりあえず小説本は出そう……です。
そんなメールが来るともつゆしらず、昨日は表紙を考えたり推敲をしたりタイトルを考えたりしていた。三作品のうち二作はタイトルが仮名だったし、本のタイトルとしても、短編集によくある短編一作のタイトルをそのまま使うかどうするかというのも考えていてつまり何も決まってはいなくて、いつも私はタイトルを考えるのが苦手。でもそれなりにいいのではないかというものが決まりつつある。表紙もイメージは固まり、あとは規定のサイズに沿って作っていく。奥付も作らなければならない。いろいろとふわふわと進みつつある。でも一番大事なのは本文であって。今日はちょっと久しぶりの出勤だけれども、明日明後日はまたお休みをいただくのでその間にがっつり推敲したいところ。
読書としては「コモンの再生/内田樹」を読み切り、「高架線/滝口悠生」を読み進める。
こんなことで怒ってたら三郎と友達でいられないし。昔はこのくらいのこと日常茶飯事だったんだから、と歩は子どもの頃に散々三郎に振り回されたり巻き込まれたりした話をした。それらはこれまでにも聞かされたことがあるものもあれば、はじめて聞くものもあって、三郎がスーパーで万引きしたお菓子を歩が返しに行って自分が犯人扱いされて怒られたとか、だいたいそんなような話ばかりなのだが、じゃあ歩は三郎の子分みたいにして損な役回りを押しつけられていたのかというと、そういうことでもないらしく、三郎について話す歩からはいつも三郎の保護者のような印象を受けた。三郎がどう考えているか、一度も会ったことのない私には考えが及ばないけれど、歩はたぶん、三郎を自由にさせつつも、取り返しのつかない間違いだけは起こらないように注意深く見張っていて、危ないと思ったら引き戻す、ずっとそんな関係だったのではないか。堅物の両親と出来のいい兄たちのなかで、そこに馴染むことを拒んだ三郎のよき理解者が歩だったのであり、歩にもきっとその自負があって、それがふたりの微妙な友情のバランスをつくっている。どこまであたっているかはともかく、私はそんなふうに見ていた。冷淡に見える三郎の家族は、向こう見ずで型通りにはいかない三郎を、歩のようには理解できないのかもしれない。そしてそれはそれで、つらいかもしれない。(高架線 P94-95)
何故だかこの部分がとても良いと思っている。フヅクエの店主である阿久津さんが「読書の日記」にてこの作品を優しいと言った意味がわかりつつあるような気がしていて、でも安易に「わかる」というのもなんだかいつも違うな、と思う。つい「わかる」と言ってしまったりするのだけれど、なにをほんとうにわかっているのだろう。理解しているのだろう。ただただ上滑りに、間を埋めるような「わかる」になってしまっているような、うわべの共感になっているような、それはわかっていない。自分と他人で本を読んだ印象は変わる。それは正常。だから、わかるかどうかはわからないのだった。わかりあえないことは少し寂しいようだけど、でもそれは当たり前のことで、わかりあえないなりにわかりあおうとすることを諦めていい理由にはならなかった。今日から仕事。憂鬱が高まる。
「朝の記録」の3000字にこだわりながらずっとやっていたけれど、試験的にやめてみようと思う。つまり、あまりこだわらず、むしろできるだけトピックスを単純化する、ということを考える。文章を単純化するということではない。けれどめちゃくちゃに書きたい時もあるだろうから、そのときは悠々と3000字を越えたっていい。そういう感じでしばらくやっていってみる。予定。これは2500字ほど。
12月12日(土)の優しさへの祈りのような
起床。5時55分。またしばらく布団の中で物思いに耽っていた。
昨日描いたパステル画について。今年行ったカンボジアで初めて見た朝の空を描いていた。カンボジアでの風景は二枚目で、一枚目はアンコールワット遺跡の朝焼けだった。カンボジアの空が日本よりも乾いている印象なのは、あの町全体に漂っていた砂のイメージによるものかもしれない。乾燥して静まった家並みの上空を広がっている大きな空が印象的で、色がどこまでも優しかった。やわらかい光と影に包まれて、ベランダに立って、歩こうと思い立ったこと。道路は私が思っていた以上に無秩序な車通りで、乾いた砂をまきあげて砂でできた霧の中を歩いているみたいだった。
そのときの景色を描いていたのだけれど、途中から、優しい気持ちになってほしいと思いながら描いていた。絵を見た人の心が少しだけほぐれて、少しだけ風通しが良くなって、自分にも、そして誰かにも優しくなる瞬間が訪れたらいいのに、と思いながら、祈りながら描いていた。祈りを乗せたのは何枚か絵を重ねてきて初めてだったような気がする。私が絵を載せているのはここnoteと、Twitterと、インスタの三つで、いずれにせよSNSであり、消費される媒体の中で流れていく。またたいている間にも次々と情報が流れてくる中で、ふと立ち止まる瞬間なんて果たしてあるのか、と自分のことを思い返すと、いくつもの言葉や絵やそうしたものに立ち止まりながら、でも過ぎ去っていく。悲しくなるほど消えていく。消えていくものだ。だからふと見た人の、ほんの少しでいいから優しくなる瞬間が訪れたらとてもいい。隣人が近くて遠いこの現代で、衝動的な怒りであったり苛立ちであったり、が、扇がれた途端に炎は巨大化して燃やし尽くしていく。それに歯止めをかけるのが、言葉や音楽、映像や絵といったものだとどこかで私は信じている。言葉や芸術は銃や爆弾の代わりにならない。いざというときの、命を守る手段にはならない。そんなものにはならなくたっていい。そうした武器が必要にならない世を作る/保つためのもので、それは立ち止まる、考える、ということでもあり、何も戦争でなくたっていい。怒りに任せた無遠慮なものではなく、思慮深さが少しでも入り込んだら、ちょっとくらいは世界が良い方向に向かうんじゃないか。
作品は最終的には受取手に委ねるものであって、作者の意図がどう、ということは別次元の話だと思う。それはそれとして、この朝の絵を描きながら、少しだけやわらかく、ちょっと息をつこう、ということを願っていた、ちょっとだけ優しさを、というそれは、明確に見る人そして読む人を意識した感覚で、理想論と言われてもわりと切実に祈っていることだった。それでちょっと視界が明るくなって、生きよう、となったら一番良い。そうした、見る人、読む人のことを意識しながら作るということは穏やかな方向だと思う。
昨日は「高架線」の続きを少しだけ読んで、なんとなくだらだらと読んでしまいそうになって結局そうして途中絵に移って今まで書いてきた場所に至ったけれども、それは置いておいてこの本の不思議なやわらかさの中にいた。
とにかく、私はわがままでそんなに頭がよくもない。だから、あんまりなんでもかんでも思うに任せず、ここは大事だぞ、というところだけは他人が何を大事に思っているかを考えようって思っている。何を考えているかわからなかったり、理解駅無くても、その人が大事だと思っていることが何かあって、それを私が簡単に否定したり、傷つけたりしないようにしよう。もちろん、いつもいつもそんなふうにできるわけじゃない。ふだんは、口が悪いし、怒りっぽいし、自分勝手なこともするのだけれど、ここは大事だぞ、っていうところでは、気をつける。要するに、そういう失敗をしてきたから、もうしたくないということ。そして歩の三郎への謎の友情みたいなものは、文字通り謎で私にはわからないけど、わからないからといって簡単に否定したりしちゃいけないと思っている。(高架線 P102)
わからないからといって簡単に否定したりしちゃいけないと思っている。なんだか、ほんとうに、そうだ、とじんわり、思う。
人は無意識にでも人を傷つけてしまう。そしてあえて傷つけるような言葉や威圧をかける人もいる。その瞬間にひそかに鳴る、亀裂や緊張の音。私も人のことを言えなくて、だからこそ大事にすることはちゃんと大事にしなくちゃいけない。それが人それぞれの信条、といったものにカテゴライズされるのか。いや、なんだかもっと単純でないこと。人にとっての大事なことは、時にその人ですら見えないところにあって、触れられて初めて気付くようなやわらかな繊細な部分にある。それは人によって違うから、わからないからといって簡単に否定したりしちゃいけない。
12月13日(日)の10年間
起床。6時20分。合間に一日だけ出勤したりしながらほとんど休んでいた、12/2からそういった日々を送っていた。それも今日で終わりで、明日からはもう普通の日常に本格的に還っていく。この連休中にやりたいことをいろいろ挙げて、だいたいのことはできたと思う。ルチャ・リブロに行けなかったことは少し悔しさを伴っているものの、今ではなかったのかもしれない、とも思う。じゃあいつなのか、という話でもある。行けるタイミングはあったけれど、他の様々なことを優先させていた。来週から冬期休暇に入られて、三月まで休館。そのとき私は何をしているのか、それはなんとなく想像できる。このままのシフト状況でいるか、もしかしたらちょっと変化しているかもしれないけれど、あとは学会が終わっている。そのときに私は何を考えているだろう。それは想像できない。
たかだか三ヶ月先のことすらよくわからないのに十年先のことなんて余計にわからない。
10年メモというnuから出ている日記帳を買った。800ページ以上の分厚さで、しっかりとしたハードカバーで、なんだか眺めているだけでも幸せが漂ってくる装丁。五色展開しており私が見に行った時には全色揃っていた。アイボリー、ネイビー、グリーン、レッド、そして新色のチョコレート。この新色枠は恐らく毎年変わっている。私はこの日記帳を発売された12/10に知って、なんだかとてもいいなと思って、見に行ったのだった。恵文社一乗寺店へ。
実際に分厚さを確認するとやや圧倒されたけれども、「忘れたくない、日々のできごとを」という言葉にやっぱり引き寄せられて、購入を決めたのだった。実際に目にするまではチョコレートかネイビーあたりかな、と思っていたけれども、レッドの鮮やかな存在感に何故か無性に惹かれてレッドにした。あまり赤いものはない我が家で、ここにありますよ、という存在感を放ってくれそうな色だ。それでいて、帯を外して実物を見つめていると、なんだかきちんとした装丁の児童文学のような可愛らしさと重厚感を兼ね備えているように思われて気に入っている。
10年というのはあまりにも途方に暮れるようでありながら、10年経ったところでまだ日本人平均寿命の半分にも達さないのでそれはそれで唖然としそうになる。10年あればどんなことでもできそうな気がしてくる。10年メモを見つめながら、10年前のことを思い返した。そのとき私は17歳で、つまり高校二年生だった。大学生ですらないことに視界がくらくらとしてくる。高校二年生の時何をしていたか、部活をしていて、勉強に追われていて、それから友人に勧められたラジオスクールオブロックを聴いたりしていて、その中でとりあげられた蒼き賞という10代に限定した文学賞に応募した、それはたぶん高校二年生のときだったと思う。それは連載作品のうち一話だけ投稿するという特殊な賞ではあるけれども、あれが私の中で初めて文学賞という形態に触れた瞬間だった。堀北真希が現役で活動していた頃。その年と翌年の二回しか開催されなかった。そのときどんな小説を書こうとしていたのか、私はいまいち思い出せないことに気付く。
そういう、忘れたくないことや、忘れられていくだろうなという日常の片鱗を忘れないようにしておきたいということをずっと考えている。この朝の記録もそういった一面がある。人間は忘れる生き物で、忘れるからこそ進化してきた。でも、忘れないようにしたいと強く願ってもいる。前日食べた食事ですら、すぐに薄れていく。あらゆる驚きや発見を、しかしすべてこの記録で文章に残すのも少し違う。ほんとうにしょうもない膨らましようもないこと、でも覚えておきたい、自分の中で覚えておきたいことごとを、留めておくためのこと。手帳に書いたりもしているけど、それを長いスパンで振り返りやすくしたらいいだろうなと思って10年メモを手にとることにした。毎日何かしらそうしたことを書き記すなら、一行メモ程度の範囲があればわりと十分だということに薄々気付きつつあった。
4月始まりなのでまだ少し先だが、10年という長いスパンからしてみれば三ヶ月くらい前倒しでやったところで大して変わらないだろうという気もしているのでさっさととりあえず始め
るかもしれない。
それにしても、10年後、なにしているのだろう。当たり前みたいに10年分の未来を信用しているけれども、私は果たして生きているのだろうか。
恵文社に行ったからには本を買わずにはいられなかった。ぐるぐると回って、まだ先日大量に買った様々な本を読み切っていないにも関わらず(ほんとうにね)、四冊。スペクテイターという雑誌で「土のがっこう」特集、「暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて/アーシュラ・K・ル=グウィン」「冬の日誌/ポール・オースター」「半農半Xという生き方/塩見直紀」というラインナップ。「土の学校」は以前「人類堆肥化計画」刊行記念で開催されたオンライントークイベントで触れられていた時から気になっていた。「暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて」はゲド戦記で有名な作者による生前のエッセイ集で、タイトルからしてとても気になっていたもののなかなかのボリュームがあるので手を出せずにいたが、このたび手にとった。「冬の日誌」は、ちょっと前にTwitterでフォローしている素敵な方がオースターに触れていて読みたいなとぼんやり思っていたらまた別の人もオースターは孤独な気持ちになって読むものというようなツイートと共に写真をあげられていて興味関心が高まっているところに遭遇した。「渡り鳥」という閏年のときだけ販売される本のキャンペーンを恵文社で行っていて、その一環として恵文社の鎌田さんが選書した中にあった。冒頭からしてとても良かったので買うことにした。「半農半Xという生き方」は先日買った雑誌「おやつマガジンvol.3」で塩見さんの記事を読んですごく気になっていた、それはこれからどうしていくか、といったことを考えている今、参考にしたいと思ったからだった。
ものすごく単純でそんなに言うほど単純な道でないことは重々承知しているけれども、10年後どうしているかはまったくわからないが、こうなっていたらいいな、と思うのは、本をしっかりと読める時間があること、創作をしていること、創作が生活の中心に存在していること。それらを補うようにほとんど自給自足で地面を耕しているような生活。でもお金を稼がないと生活は立ちゆかないのが現実だし税金年金は払わないといけないし本を買うお金はとても必要。農業でやっていきたい、というのとも違う。今のところ。本を書いて絵を描いてそれで生活を成り立たせることができたらそれがいいけれど。なにもかもに中途半端になるのだろうか。そんななんとなくさでいていいのだろうか。
もっと全然違う人生を歩んでいるかもしれない。どうあれ、生きるために生きていたい。
宇宙に飛びだして月から地球を見たいという夢に比べたらずっと現実的なんじゃないだろうか。10年後、月旅行はできるようになっているだろうか。なっていたとしても、途方もない金持ちだけの特権になるだろうから、私は死ぬまで月から地球を眺める妄想をしながら、コンクリートではない地面に立って、空を眺めて月や星を見つめていたい。
そういうわけで今日は畑へ行く。
12月14日(月)の流星群
起床。6時10分。流星が見えるかと外に出たけれど、曇っており何も見えなかった。夕べは当たり前みたいに明日の朝も晴れるような気がしていたから朝にもう一度観察しようと考えていた、でもそんなことは当然みたいにくるばかりじゃないなんていうまた当然なことに気付かされた、まだ暗い朝手前の頃。日が出るのがどんどん遅くなっていく。もうすぐ冬至。
一方で夕べは天気に恵まれて、がっつり外に出て天体観察しに行こうかとも考えたけれども(がっつり外、とはいっても公園に行って満点の空を見に行くとかそういったレベルではない、ただちょっと空が広く見えるところに散歩しにいくだけ)、寒いし翌日から仕事だし、とベランダから眺めていた。見えるかなあ、と外に出たらちょうどほとんど正面くらいの低い位置で長い一閃がよぎって、うわ、すごい、と歓声。興奮。何事においても大体最初がずっと印象深く残っていたりするもので、その流星が一番印象深い。あとは小さいわずかなものを一つ、長いものが三つといったところで、一時間も外にはいなかった。最初で大体満足していたけれど、でもなんだか後ろ髪引かれるように、イヤホンでラジオを聴きながら時折LINEをしながら、ほとんど砂糖のかたまりみたいなたいへん甘いココアを飲んでじっと空を眺めていた。オリオン座が低空から中空へ移行するといった頃合い、冬の大三角形がよく見えた。先日も思ったことだけれども、意外とよく星が見えるのだ。勿論田舎町に比べれば明るいのでいくつかの小さな光は見えていないけれども、割と十分だというくらいによく見える空で、月の光がほとんどないから、ということもあったのだろう。空が暗く、星の観察にはちょうどいい。だから今回のふたご座流星群はとても観察しやすく、ベランダでたかだか30分とか、それも時折スマホに視線を落としながらでも五つ分、見えたのだろう。Twitterで観ていると夜の深い時間帯は、場所によっては一時間に40個くらい見えたという報告も見かけたので、それもまたすごい。今、この雲に覆われた向こう側でも、たくさんの流星が閃いては、完全に消滅していっているのだろう。
子どもの頃何故か大好きだった「あ、流れ星!」「どこどこー?」といった小学館のCMを思い出す。今はもうやっていないと思うけれど。妹と一緒に何度も何度も飽きずに真似していた時代がそういえばあった。
「高架線/滝口悠生」を読み切る。16年に渡るかたばみ荘を通じて不思議と繋がっていって、それは建物というよりも人の繋がりを強く意識させるものだった。ゆっくりと読んでいたこともあってぼうっと余韻に浸りながらぱらぱらとめくる。印象的だった部分のページが折られていて、どこが一番、と決めることは難しいし一番を決める必要なんてないのだけれど、P111からP113にかけての奈緒子と田村の会話部分がなんだかものすごく好きで、何度も読み返した。シンプルな部分なのに、染み渡るようないたわりを感じる。
田村さんは、嘘をつきますか? よく。
そうですね、結構つくかも。
私もです。
でも、これは嘘ではなくて、旦那さんはいい人だと思いますよ。
知ってますよ。
ひと目惚れよりも、だんだんだんだん好きになった方が、戻れなくなる、深手を負うっていうこともある。
なんでこれから結婚するっていう人に、そんな不吉な予言みたいなこと言うんですか。
はは、すみません。いやいや、どうかお幸せに。
私のことはどう思いましたか。
何がですか。
ひと目で何かわかりましたか。いい人だ、とか、肌合わねえな、とか。
この人にならどんなひどいことされても構わない、と思いました。
ははは。
嘘です。信頼できる人だと思いました。
ほんとに?
今話してて、そう思いました。
歩が戻ってくるまでの一分くらいで、私は田村とそんなような話をした。私はそれは忘れられません。(高架線 P112-113)
何度読んでも何故か泣きそうになる。私はそれは忘れられません。
この高架線を読むきっかけになったのは「読書の日記」で阿久津さんが滝口悠生を何度も話に出していたからで、「高架線」は主に二冊目の方でとりあげられる。優しい、と繰り返されていた本を読んでみたくなって読んだ本だった。他の滝口悠生の作品も読んでみたくなった。そしてぱらぱらと「読書の日記」をめくって、上記の部分だったり、他の部分だったり、自分で印象的だった部分が引用されていて、私はわかる、と思う。わかりあえるというより、静かに共感している。遠い時空を隔てて、勝手に共感する。読書の良さを実感する。昨日の人、一週間前の人、あるいは一年とか二年とか、あるいは千年とか、そんな時を隔てて不意に共感したりする。そんな文化、そうこの世に多くはない。なんだか幸せな気分になった。
「人質の朗読会/小川洋子」と「半農半X/塩見直紀」を読み始める。「人質の朗読会」は冒頭10ページほどで既につらい。後追いの物語のようだった。苦しい。でも読みたい。
12月15日(火)の年越し計画
起床。5時50分。何度か中途覚醒。途中で起きてしまうけれど、その後すぐに寝入るし、そのたびにそこそこ熟睡したという実感がなんとなく身体にあるから、合計してしまえばきちんと寝ている。
12月もあと半月という段階に入って、年末年始に読みたい本を考え始める段階に入っている。既に積み本が溜まっているのでその中に入っているものを読むのか、それとも年末年始用にまた別で買うのか、再読するのか。去年は「月の文学館」を読んでいて、アンソロジー作品であり、読んだことのない作家含めていろんな文豪に広く触れることができて良かった。
先日買ってきたオースターの「冬の日誌」は、冬だし、いいな、と思う。「夜間飛行」で衝撃を受けたサン・テグジュペリでも良い。それから散々読みたいな、と思っているのは武田百合子の「富士日記」。相変わらず日記への関心が強く、日記文学の最高峰としてあまりに有名なこの作品には触れておかなければといったようなことを思う。「読書の日記」のことも思い出す、阿久津さんが「富士日記」を涙ぐみながら読んでいたような覚え。「読書の日記」はなんだか日常の中で良い意味でさらさらと読書が流れていくから、読んだことのない作品・読もうと考えている作品でもネタバレになるから読まないでおこう、とはならない。ネタバレになるからいや、というよりも、断片の奥に広がっている作品の全貌を読んでみたいと思わせる不思議がある。それってなんだかすごいと思っている。
日記で関心が高まっている、「プルーストを読む生活/柿内正午」の先行販売が今日か、明日か、もう始まろうとしているという段階であり、私はしれっと通販で予約をしている。西淑さんの亀の装画だとか、その銀色だとか、クラフト紙みたいな表紙とか、そして分厚さだとか、なによりも日常的な日記というのがとても良く、ちまちまとnoteでも読んでいたのだけれどなんとなくこれは本で読みたいと思っていて、既にZINEで出てはいたものの新しく本として販売されるから新しい本を買ってそちらを読もうとなった。日々、柿内さんが出されている日記も読むのがなんとなく日々の楽しみの一つとなっていて、この「朝の記録」を3000字に拘る必要がない、と思ったのも日常の中で無理なく読める日記が一番いいな、と思ったことがある。
一週間分まるまるまとめておくと、気軽さからは少し縁遠くなる。でも毎日読むよりまとまっていた方が読みやすい場合もあって、私は割とちまちま読むよりまとまっていた方が好きなように思っていたけど、少しゆらぐ。いいな、と思うものには漫然と触れていたい。漫然、には、だらだら、が含まれていて、だらだら、は少し失礼なようだけれど、だらだらと読みながらなんか良かったな、と思ってもう少し触れていたくなる文章ってすごくいいなと思ってる。明確な面白い面白いとがっつく感じともまた違う。そもそも日常の切れ端である日記がずっとジェットコースターみたいに面白いわけがなくて、どこかだらだらとしたところに良さがあって、つまり私はだらだらと読みたいらしい。
noteは他の多くのSNSがそうであるように、他者が存在するタイムラインで記事が流れていく。だからあんまり記事を多くあげると誰かのタイムラインがその人だらけになったり自分のタイムラインが自分の記事ばかりになったりしてなんとなくそこに引け目を感じる。毎日更新をしていた頃はそういったことをあまり気にしていなかったけれど。
cakesの不祥事が大きな原因だろうけど、積もり積もったものもあるからなのか、なんとなくnoteから他へ移行するといったような風潮が高まりつつあり、個人サイトへ回帰する流れを見ているとなんだか不思議な思いになる。でも自分の場所を一つ作っておくことはありかもしれない。ただ今のところnoteをやめるつもりはない。noteと並行して作る居場所。いや、正直あるといえばあるのだけれど、もはや全然運用していないHTML時代のものを、今やりやすいように作り替えるのはありだ。何か、明確に自分の場所を作っておくこと。それはひどく閉塞的だが同時に開かれてもいる。自分の居場所であれば、なにも引け目を感じることはないことを思う。
どうしたら自分がより心地良くいられるのか、どうしたら他者がより心地良くいられるのか。どうありたいのか。どんなものを作っていたいのか。どんなものを感じていたいのか。
ただ単に飽き性なだけ、な気もしている。要検討。
昨日は「人質の朗読会」を半分ほどまで読み進める。やまびこビスケットの章がとても良かった。ちょっと変な、あまり人と噛み合わないであろう人と不思議と通じ合う瞬間に弱い。不思議な繊細さが小川洋子らしさもあってすごくすごく良いと思っていきながら、でもこれはもうとうに終わった出来事なのだと思うと悲しい。そうした悲しさ寂しさを常に伴いながら読み進めるから、「人質の朗読会」は読んでいて少し苦しい。
「半農半X」「宮沢賢治 デクノボーの叡智」も少しずつ読み進める。自然の中に没入する本を読んでいると、これは一種の宗教観念のようだな、とも思う。自然の中に存在する、ということは。人間中心ではなく、自然中心に考え、自然の移ろいに身を任せながら、生活を合わせていくということ。自然に畏怖を感じながら。
すっかり年末年始に何を読みたい、という話から少しずつずれていった。このいつのまにかずれていって結局なんの話をしていたんだっけ、みたいな瞬間が何故か好き。まとまりはないし、まとまっている文章の伏線回収劇なんてたまらんけれども、とっちらかっていることにも愛らしさって、ある。年末年始何を読むのか、ひいひい労働しながら引き続き考えていこうと思う。
12月16日(水)の消えていくこと
起床。6時。既にくたくた。前日のしんどさがまだ残ってる。連休でなまった身体は悲鳴をあげている。毎日毎日、大変だよね。みんな。寒いし、何も考えられないみたいに、電池が切れて動かなくなった機械みたいに、ずっとぼんやりとした夜を過ごしていた。ベッドに入って、ちょっとだけ「宮沢賢治 デクノボーの叡智」を読む。小説を読んでも良かったけれども、なんとなく小説という気分にもなれなかった。でもあまり文字が頭に入ってこなくて二ページだとか三ページだとか読み進めてそこで閉じた。エッセイひとつ読むくらいが丁度良かったのかもしれない。恩田陸の新作である「日曜日は青い蜥蜴」というエッセイ集を読みたくて買ったけれどもまだ読めていない。恩田陸は出るとなんとなく買ってしまう。出たら無条件に買う、といった作家がこれからきっと増えていくんだろうなと思うし、以前買っていたけど買わなくなっていく作家も出てくるんだろう。そういうことをじっと考える。
でも思い返せばずっと恩田陸を読んでいたわけではなくて、ネットで出会った友人が読書好きで、恩田陸を天才だと言って、そして海外文学が好きな人だった。奈良のとあるカフェで話していた。どういう経緯や理由で奈良に行ったのかは全然覚えていないけれど、ネットの友達に会いに行くことに全然躊躇いを覚えなかった頃のことだった。読書で盛り上がった場所を、雰囲気を、今でも鮮明に覚えている。大学生になって都会に出た私はネットで関係性を築いたいろんな人に出会っていったけれども、もう会わなくなって何年も経つ人もたくさんいる。その友人ももう随分と会わなくなって長い。ネットにも現れなくなって、LINEも音信不通になってしまって、元気でいることを祈るしかなくなっている。私はその人のことを好きだったし、いろんな人が同様にその人のことを好きだったと思う。でも人間離れる時は離れるし、いなくなるときはふっといなくなる。
本のことで盛り上がれる人っていうのはすごく限られていて、ほんとうは潜んでいるだけなのかもしれないけれど。振り返った時、異様に鮮明に覚えている読書関連の話は無条件に嬉しくなる。なにかお互いとても大切にしているものを通わせているような。
でも恩田陸のことを話していた時、私は恩田陸の書籍をあまり読んでいなくて、その後ドミノを読んで衝撃を受け、ネバーランドを読んで泣いて大興奮して、チョコレートコスモスに没頭して、と順々に辿っていき、楽しくなっていった。今ならあの人ともっと恩田陸のことで盛り上がれるかもしれないし、海外文学も読むようになったのでそういった話も聴きたいし話したいと思う。海外文学はまだあまり幅がないけれど、だからこそ聴きたいと思う。でも今も読んでいるかはわからない。忙しくて読んでいないのかもしれない。読書が好きでも読めない時は読めない。あまりに音信不通だからもしかしたら、ということも考えなかったこともないけれど、少し前に、生きていた、ということが判明した(と別のネットの友人がTwitterで呟いていた)ので、ほっとしたことを今でも覚えていて、でもその「少し前」がいつだったか、今やもうあやふや。三年くらい前のことのような気もする。みんな生きているかな。今なんとなくLINEを見たら2018年に送ったまま今も既読がついていないから、たぶんこのままずっと繋がることはないのかもしれないな、とほとんど確信的に思ったりもして、でも恩田陸について話していたことは忘れていたくないな、と思う。大切にしまっておきたいことをずっと大切なまま宝箱にしまっておけたらいいのに、でも年月が経っていくうちに色褪せていっていつか忘れていくんだろう。
人の記憶はその人だけのもので、いつか死んだら全部消えてなくなってしまうのに、どうして忘れたくないと強く思うのだろう。「死ぬまでに生きたい海/岸本佐知子」のことを思い出す。忘れたくないことごとが、宇宙のどこかに保存されていったらいいのに。
近所の住宅がずっとリフォームをしていて、家を覆っていたシートが剥がれて、随分変わったことに驚きながら、私はもとの住宅がどんな形をしていてどんな色をしていたのか、きちんと覚えていない。変わったということは分かるのに、どう変わったのか、もとの形がどうだったのか、覚えていない。住宅が壊されて平らになる、そういった景色もこの数年で何度も見てきたけれども、どんな家だったかなんて工事している間にすっぽり抜け落ちている。全然、世界を見ていなかったんだなとも思う。すべての建物を記憶していくなんてそんなことは全然考えないけれど、なんだか寂しさに怯えながら、少しずつ変わっていく町の中を今日も歩いていくのだろう。明日もまたどこかが変わっていくのだろう。会えないままに消えていく人も、なんとなく読まなくなった作家もいて、それでもどこかで誰かは生きつづけているんだろう。
たいへん喜びます!本を読んで文にします。