宝樹/三体Xを読みました。

#読了

宝樹/三体X
を読みました。

超ベストセラーSF、三体シリーズのスピンオフ。
つまり外伝。

なんですが。

第一印象は、
うわー、よりによってここを補填するかー。
って感じでしたね。

ここは謎のまま残しておいて欲しかったなー、
という。

全体的にまあまあ楽しめたんですが、
やはりオリジナルに比べたら、
ラノベとまではいかないけれど、
一ファンの書いた同人作品の域は出なかったなと。
逆に言えば、それゆえにオリジナルに比べたらやや読み易かったかもしれませんが(第三部を除く)。

あ、そんな人は少ないとは思いますが、
三体本編を読まずに本書を読んでも、
恐らく訳分からないと思いますのでご注意を。

(以下、ネタバレ有り注意)

ちなみに、私は三体シリーズの中で最も好きな一文があって、
これを読むために三体をⅢまで読んできたんじゃないか、
という一文があるんです。

それが、三体Ⅲ死神永生の中の一つ、
ヒロイン程心の、
「彼(雲天明)と彼女(艾AA)の子孫が文明を築いて滅びたまである!」(ちょっとうろ覚え。正確ではないかも)
というセリフです。

深宇宙をテーマにしたSFの世界では、
万単位の大きさが軽く出てきます。
このエピソードの中でも、宇宙船でちょっと離れてただけで、
地表では1890万年が経過していました。
しかし、1890万年というのは、
人類の文明が生まれて、繫栄して、滅ぶのに十分な年月です。
古墳も、戦国時代も、革命も、iPhoneに代表される技術革新も、
人類の歴史というのは例えば一万年もあれば俯瞰でき、
そしてその本能とも言えるほどの愚かさによって、
簡単に滅んでしまう種族なのである、
そんな、
宇宙の壮大さと、人類の儚さを、
一瞬で一気に思い知らされる、
そんな色んな要素が究極までに凝縮された一文が、
あのセリフだと思うんです。

で、本書は、
その1890万年に何が起こったかを補填していると聞いて、
すごく読みたくなかったというか。
「文明が生まれて滅びたまである!!」というセリフというのは、
その1890万年間は一体何が起こったのか。
ああだったのかこうだったのか、
いやもしかするとあんなだったのかという、
壮大な想像を楽しむことができる、
上質のセリフだったんですよね。

従って、そこは想像というか空想の楽しみを残しておいて欲しかった。
この著者(宝樹)の考えを紙に起こした時点で、
読者の空想の楽しみは消えてしまうんです。

たとえ劉慈欣本人が書いたとしても失望していたであろうその空白を、
ファンの一人が同人小説として書いてしまうということに、
すごい失望していました。

さてそんなダメダメな印象から始まった三体Xでしたが。

まあ全体的には一気読みする吸引力はあったかなと(第三部を除く)。

日本もちらっと出てくるのが興味深かったです。
やはり中国人は良かれ悪しかれ、
日本と日本文化を意識しているんでしょうね。
嫌日で歯牙にもかけられないよりはずっといい。
少し日本人であることの誇りのようなものが生まれました。

それにしても、智子の元ネタが日本のAV女優とはねえ。
(訳者解説を読むと、これで激怒したネット民もいるとか。そりゃそうでしょうな)

またハルヒの「エンドレスエイト」が出てきたのも笑いました。
銀河英雄伝説の名言も出てくる。
智子といい茶の湯といい、
この著者もまた日本文化が好きなようで、好感を持てます。

しかしそれでも、
雲天明が歴史を繰り返す気持ちになるのは、
ちと無理があると思いました。
というのは、彼は三体星人に捕らえられた後、
想像を絶する苦痛を与えられるんです。
いくら恋愛とキスの記憶があったとして、
それを塗り替えられるものでしょうか?

ちなみに。
第三部は訳分からないです。
非常にファンタジーな感じであり、
まあなんとなくぼんやりとしたイメージは浮かんだのだけど、
なんというか、
特殊な用語が多すぎました(私がSFを苦手とする一つがこれです)。

また、これは一つの仮説にすぎないということは注意しておかないといけないですね。
以前TLでも書いたんですが、
宇宙(というかこの「世」)はでたらめに無限で訳の分からない存在なんです。
その果ての果てはもはや私達の常識は全く通用しない。
というか考えられる範疇の外にあるんですね。
(いわゆるヴィトゲンシュタインの「語りえぬもの」です)
そんな存在(?)をSFに落とし込むことは非常に難しく、
また場合によってはナンセンスとなると思うんですよ。
本作は、その表層の表層、
わずかな厚みを持った世界を表現しようとしています(その意気やよし)が、
それはあくまでこの著者の「仮説」です。
あるいはオリジナル劉慈欣の考えの延長上にあるかもしれませんが、
やはりそれは一つの考えに過ぎないのです。
そしてそれは、私の想像している「世」とはちょっと違うイメージなんですね。
従って、そこまで没頭して読むことはありませんでした。
とはいえ文体はなかなか上手(というか劉慈欣に比べるとラノベ色が増えた)なので、
読むのがきつかったという程ではなかったです。
まあ、この著者(宝樹)が感じたように、
三体ロスになっている人には慰めにはなるんじゃないでしょうか。

それでも繰り返しになりますが、
私にとっては余計な補填であり、
もちろん三体本編には及びもつかない作品ではありました。
(まあ暇つぶしにはなったかな)

ちなみに劉慈欣の描く宇宙も全て同意する訳ではなく、
例えば三体Ⅲのラストではビッグクランチなるものの可能性が描かれますが、
それでさえ、想像の幅を狭めてしまいます。
というのはこの宇宙は膨張し続けて冷え切るか、収縮に転じるかはまだ分からないからです。
(むしろ前者の方を採用する学者の方が多いくらい)
それゆえ、可能性は可能性と残しておきたく、
ビッグクランチを描くことによってこの作品が思考もしくは想像力を狭まらせる結果になっているのは残念でした。
とはいえ、SFとして作品にするにはどちらかの仮説を採用しない訳にはいかず、まあその辺はジレンマとしか言いようがないんですけどね。
というかそれがSFの限界なのかもしれないですが、
かといって「分かりません」だけじゃ面白くないので、
SFはSFとして、一つの仮説の結実として楽しむのがいいのかもしれないです。
最終章(コーダ)はちょっとだけ面白かったですが、
メタフィクションネタもあり、
またなんだかセリフが軽かったので、
結局同人のレベルを超えられてないのではという印象を受けました。

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