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海に行ったら元気になった
かれこれ1ヶ月も海に行ってなかったことに気付く
それまで、こんなにも心と身体が海を欲していることに気付かなかった
心がカラッカラになってた
何もしたくなくて、何かが淀んでいて、色んな不安が大きくなってた

海を見ると安心する
足場の悪い場所で、突然現れた手すりにすがるような気持ちになった
あるいは、充電がほとんどない電子機器を充電器に繋いだ時のような安心感

裸足になって砂に足を軽く埋める
手を後ろについて胸を反らせ、深呼吸
マスクは外してしまおう
肺にたっぷり海風を入れよう
人目が気にならなかったら、寝転がるのもアリ
そして、波の音に耳を傾ける
悩みや不安を、砂に溶かしてもらう
海に流してもらう
風に吹き飛ばしてもらう
太陽に燃やしてもらう
月や星に預かってもらう

不要なものを吐き出す代わりに、キラキラしたものが自分の身体の隅々まで行き渡るのをイメージする
そうしているうちに、だんだん自分の真ん中に戻ってくる気がする
物事が昨日よりちょっと前向きに考えられる

海を見ながら考えたことは
景色って、光と影があるから景色として成立するし、きれいなんだなって

転じて、いろんな要素があって自分なんだってことを、認めてあげたいと思った

私は一人が好きな自由人だ
人に心を開くのに時間がかかる場合が多い
そして、心を開くことが必ずしも良いと思っている訳じゃない
どこかで境界線を引かないと、しんどくなる
人が多いところも苦手

でも、もの凄く気分屋なので急に人に会いたくなったり、話したくなったりする

こんな考えは積極的に口に出すことでもないかなと思って、人付き合いが好きなフリしたりしてきたけど、こうやって自分にちょっとずつついてきた嘘が、心をじわじわと殺してきたのかもしれないな
それも私なんだし、人にどう思われようがこれが私の正直な心なので、どうしようもない

人が嫌いな訳ではないよ
不器用なだけで、本当は好きな方だと思う
大好きな人、いっっっぱいいる
会いたい人もいっっっっっぱいいる
そういう人と会うと幸せな気持ちになる

ただ、自分と他者の境目をはっきり区切らないと、考え方など、影響を受けすぎるのがこわい臆病者なんです。ほんと、繊細でちっせえ奴なんです
自分が自分であること、心が自由であることが大事なので、私は誰も崇拝しない
最終的に頼りになるのは自分自身だと思ってる笑

協調性が無いかもしれない
冷たい人間だと思われるかも
組織に対する忠誠心もないし、人の話も100%で聞くのがしんどい時は適当に聞き流すこともある
でも、いいんじゃない...?良くない?
(もちろん、必要ならちゃんと対応するよ...)

無理して自分を封じ込めるより、認めちゃったほうがいいんじゃない?
それが人の権利を侵害することは論外として、
私が私でいることを正当化しなきゃいけないような気持ちになるのは不健全だよな

自分の真実に目を向ける
影の部分が存在することを認めてあげる
愛さなくても、憎まなくてもいい
そこにあることを、認知しておく

思いついたことを思うままにザーーっと書いてみたよ
寒い季節って内省的な気持ちになるよね
今日はこの辺で
おやすみ🦉

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