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食べ物を家来にできるのか『ジョコビッチの生まれ変わる食事』

食べものの話は難しい。何を食べるか、食べないか。フード左翼・フード右翼なる言葉を出すまでもなく、政治や宗教に近いものがあるからだ。

『養生訓』で思い出したのがこの本。
ある種の人にとっては、これはかなり危ないんじゃないかと思っている。この本読んで、小麦抜き生活して体調がよくなる人もいると思う。そういう人はそれでいい。
ただ、完璧に実践しようとして、自分の肉体コントロールに走りすぎると、自分をぜったい苦しめることになる。

この本からハウツーだけ取り出すなら14文字で出来る。
「グルテンフリーの食事がいいよ」
それを、テニスプレイヤーとしての経験やストーリーとあわせて、そして具体的に食べているメニューなどをまとめたのがこの1冊。

旧ユーゴスラビア生まれのジョコビッチ、紹介されるメニューもさすがに西洋風で、パワーボウルミューズリー、シーバスのマンゴーとパパイヤサルサ添え、スパイシーソバサラダとか、限りなく逆オリエンタルなのだけど、彼は、この食生活は東洋医学に基づいているとしきりに主張するのがおもしろい。実際、毎日の15分の瞑想でマインドフルネスになることが大事だとも語られている。

もうすこし具体的な方法を取り出せば、たとえばこんな4か条がある。

1)ゆっくりと意識的に食べよ
2)肉体に明快な指示を出せ
3)前向きであれ
4)量ではなく、質を求めよ。
https://sharedine.me/shokuiku-media/athlete/

内容を知りたかったらリンク先を。
本文を見てみると、この原則は「私が一種の宗教として守っている4つの原則」として紹介されている。宗教…


言葉尻をとらえるわけじゃないが、これはただの食べもの指南本じゃない。「食べもので自分をコントロールできる教」のバイブルだ。
ジョコビッチの主張がよくわかるのはこのセリフ。

「食物は情報だ」
この一文を覚えたら、あなたの食べ方は根本的に変わる。(p.115)
あなたが摂取するすべての食べ物は、何らかの形で肉体に変化をもたらす。
体に語りかけ、影響をもたらし、指示を出す。
このコミュニケーションに意識が向くようになり、
求める結果に近づけるよう学んでいくと、肉体と心理に最高の結果をもたらすことができる。(p.116)

つまりだ。目指したいゴールがあって、そこへ自分を連れていくために食べものを従えよ、ということだ。食べることは、目的達成のためである、と。


私は、素朴に危ないと思った。ジョコビッチみたいに、テニスで世界一になることが揺るぎない目標で、そのためにすべての生活を整えるのが快であるならそうしたらいい。

けれど、ふつうの、ごくふつうの市井の人々は、こんな思想のもと食事をする必要はないはず。(なかなかできないから、言う必要もないのだけど)


あの食べものは身体によくて、あれは身体に悪いから、ってすべてにラベルを付けていくと、ふつうに食べられなくなるからだ。
お腹が空いたから食べて、美味しいから食べて、まずいからちょっとだけ齧って、ということをほんとうに困難にしてしまうんだ。

食べものを情報として見ていくと、「おいしい/まずい」「空腹/満腹」そういう主観的な感覚が消えていく。なんちゃって摂食障害になりがちな私は、これはほんとうに怖いのだ。科学に委ねるそのまえに、自分に食べものを引き寄せたい。

うめざわ
*だめだ、この本ほんとにこわい。いや、違う、この本によって思い出してしまう、食べものから姿が消えて、カロリーとか栄養価とかの数字に還元されてく感覚がこわいんだ。
「ふつうに食べる」ってなんだろう?――拒食と過食がうつす私たちの食べ方『なぜふつうに食べられないのか』著者、磯野真穂氏インタビュー
https://synodos.jp/newbook/19184


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