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13.話しのプロフェッショナルに出会う
専門病院ですから、様々な方がいらっしゃいます。
有名な方から企業の重鎮まで入院・通院していました。
そんな方の1人に入院中出会いました。
私は知らないなー。でも、知る人ぞ知るだった
私の転院から1ヶ月前後遅れて入院して来た人がいます。
凄く背も高い方で、車椅子が小さく見えてしまうぐらい。
その人の入院当初、病室にはお見舞い客の雰囲気を持つ人ではない、立派過ぎるビジネスマンが多数出入りしていました。
私、若いじゃん、好奇心旺盛じゃん、興味津々でその病室の前を行ったり来たりすることに(笑)
あとから聞いたのですが、有名な人だったのですよね。
なぜか仲良しになる
随分と年上の方だったので、親子ぐらい離れていると思いました。
最初は近づきがたいオーラが出ていたので、私も「ふーん」とスルーしていました。
誰かから私が大学に通学していることを聞いたらしく、戻って来たところをその人に捕まえられました。
正直ビビりました。。。
話し手のプロと知る
その方は、言語障害を起こしていました。しかも失語も入っていたので、「あ~」となってしまって。
そして職業は以前から噂になっていた通り、話し手のプロでした。
その手の職業は、手足が多少不自由でも言葉や声が無事なら仕事はできます。
でも、肝心要の「言葉」を失ってしまっては、どうにもこうにもいかないですよね。
その方はフリーだったので、失職することは時間の問題でした。
やって来た何人ものビジネスマンに囲まれて、気落ちしていた姿が今も目に焼き付いています。
私がお話し相手になっていた
大学に行っていることに関心を持たれたようで、私は病室にちょくちょく顔を出すようになりました。
私は発症して3-4ヶ月経った頃だったので、喋るスピードはゆっくになってしまっていましたが、日常会話には不自由のないレベルまで回復していたこともあって、お話し相手になりました。分かりますからね、どのようにすれば相手が話せるのかが。
また、ずっと部屋に閉じこもりっきりだったのが、私のせいで室外に出るようになって、他の患者さんとも交流するようになり、徐々に笑顔を見せるようになっていました。
私はみんなのやる気のバロメーターだったみたい
私自身は自分で必死になっていただけなのですが、病院からの通学や外面だけは良かったので、ケラケラと笑い飛ばしていた入院生活だったからか、暗く湿っぽい病棟が明るくなっていったように思います。
脳障害のリハビリ病院・病棟はとにかく暗く、ネガティブキャンペーンがはびこっているところ。
それをケラケラ笑い飛ばして毎日を過ごしていたので、みんながやる気を出して来てくれて。
自分で言うのもおこがましいですが、私はみんなのバロメーターになっていったようです。
だから、その人も私に声をかけたのだろうし、私と一緒にいることによって自分が這い上がれると感じられたのでしょうね。
なんか、凄い人だったのだな、自分って。
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