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『人間の教科書』あなたの体は借り物です

突然ですが、あなたの身体は誰なのかご存知ですか?
え、なに言ってんの?自分じゃないの?と思いますよね。
でも、それは半分正解、半分不正解なんです。

はい、では、ここから最初の記事で「極意」としてお知らせしたエポケー、つまり「判断を留保する態度」をもって続きをご覧ください。

自分というものは顕在意識と潜在意識から構成されている、という話を聞いたことがないでしょうか。

また臓器移植をした方が、手術後に見知らぬ臓器提供者の記憶を持ってしまった、という話を聞いたことがないでしょうか。

また、末期がんが発見されて余命一ヶ月と宣告された方が自分の体に「ありがとう」と感謝をし続けたことで、がんが消えてしまったという話を聞いたことがないでしょうか。

これらの話の出どころはすべて別々ですが、根っこはすべて同じ話です。

つまり、これらの話が意味するところは「身体」というのは自分であって自分ではない、平たく言えば、あなたのパートナー的な存在であるということです。

もう少し分かりやすく説明していきましょう。
まず私たちは誰でも「よし、心臓を動かそう」と思って動かしている人はいませんよね。

誰が動かしていますか? 
身体です。身体が勝手に心臓を動かしてくれています。

もちろん心臓以外の臓器も、肉体を健康に保つためのあらゆる働きを身体が勝手に行っています。
この自動操縦的な働きは、すべて潜在意識のおかげです。

顕在意識とは「おなかすいたー。よし、ご飯食べよう。弁当でも買ってくるか」などと思っている自分のことですね。

そして潜在意識とは、心臓を動かす、食べ物を消化するなど、あらゆる生命維持の働きを絶え間なく行っている意識と思えばよいでしょう。歩くときも「まず右足を出して次に左、そして右」などと思わなくても自動操縦的に歩けるのは、この潜在意識のおかげです。

ただ、この潜在意識のことを他人やパートナーに対してするように、ある種の礼節を持って接している方は少ないのではないでしょうか。

潜在意識を自分自身が作り上げた「自動操縦プログラム」のようにみなしている方がほとんどではないでしょうか。これが実は誤りなのです。

潜在意識の正体とは「身体自身の意思」です。
言っている意味、伝わるでしょうか。

まず人間とは「魂」と「身体」という別々2つのパーツからできていると思ってください。

「魂」とはすなわち顕在意識のこと、この記事を読んでいるあなた自身のことです。

そして「身体」は「魂」とは別の意思や感情や記憶を持っている存在です。

大事なことなので、もう一度言います。

「身体」とは、「魂」、つまりあなた自身とはまったく別の意思や感情や記憶を持っている存在です。

つまり「身体」はあなた自身ではない、ということです。

だから、余命僅かながん患者が、自身の蝕まれた身体に「ありがとう」と言い続けたら、がんが寛解してしまった、というようなことがあるのです。

だから、臓器移植を受けた患者が、提供された臓器という身体自体に宿っていた意思や感情や記憶を引き継いでしまうことがあるのです。

身体=潜在意識とは、あなたが生まれてこの方、ずっとあなたのことを影から助け、支えてくれている世話焼きで言葉を話せない双子の兄弟のようなものだと思ってください。
双子の兄弟なので、あなたを誰よりも慕う存在ではあるのですが、だからといって、あなた自身ではないのです。

はい、ここらへんでもうエポケーできない方は脱落していくでしょうね。
なんだこりゃ、くだらない、科学的じゃない、世間の常識と異なる、とんだ妄想だ、読む価値がない、新興宗教か何かなのか、エビデンスはあるのかーなどと思ってしまう方もいるでしょう。

そう思ってしまった方は、ここから先にどういう景色が広がっているのかを、もう知ることができません。
僕もかつてはそうだったのです。
だからこそ「エポケー(判断留保)」することが重要です。

信じるか信じないか、正しいか正しくないかは、最重要ではありません。「エポケーする」「そういうこともあるかもしれない(ないかもしれない)」そのように「判断を留保」して、仮にそうだった場合、その先にどんな景色が見えるのか、それを知ってみようとすることが大切です。

ある程度、人生経験を積んだ方なら、この言葉ぴんとくるのではないでしょうか。

「ああ昔、親が言ってたあの言葉、当時は何いってんだと思ってたけど本当だったな」

なんて思ったことがある方は、エポケーの重要性をイメージしやすいと思います。

はい、では話を本線に戻しましょう。

仮に、あなたの身体には「身体自身の意思」があったとしましょう。

人間というものが、実は「あなた自身の魂」と「あなたの魂にとってはパートナー的存在である身体自身」の二人三脚によって成立していると仮定してみてください。

つまり、あなたの魂が「身体」へ入居させてもらっているイメージです。

あなたの魂は、あくまで身体マンションに対する入居者なので、マンションに対する礼節が必要となります。

にもかかわらず、もしあなた自身が、マンションの入居者であることを忘れて我が物顔でふるまったら、例えばマンションへ負担がかかるような形で飲めや食えや大騒ぎしたら、どうなるでしょう?

「このマンションから一ヶ月以内に出ていってもらえますか?」

となりますよね。
これが、ちょうど、重病になって余命一ヶ月と診断されたような状況です。

逆に余命一ヶ月となった方が自身の身体に「ありがとう」とか「無理させてごめんね」などと唱え続けた結果、がん細胞が消えてしまった状況を考えてください。

これは、ちょうど退去を命ぜられた入居者が大家さんに謝り倒したり、これまでお世話になったことの感謝を何度も伝えたことで

「よし、わかった。もう一度、あなたのことを信用します。退去しなくて結構です。退去勧告の張り紙を外しますね」

と言ってもらえた状況と同等です。

よく、がん細胞を攻撃すると、よりがん細胞は暴れ始める、ということも言われますよね。
これは退去命令を出した大家さんに攻撃したら攻撃し返される状況とまったく同じです。

つまり、自分の身体というのは、実は完全に自分のものではないのです。
身体には身体自身の意思があるのです。

基本的に、この身体は、口はきけないのだけど、めちゃくちゃ徳が高くて世話好きなおばあちゃんみたいな存在なので、入居者である魂がどんなに身勝手な人間でも24時間体制で心臓を動かしたり、生命維持に必要な働きをしてくれます。

しかしながら、あまりにも身体に命令を出す立場である魂が自分の身体をいたわらず不眠不休で働いたり無理を重ねていると「あんた、いいかげんにしなさいよ」ということで体調不良や病気を起こしてくるわけです。

(もちろん病気がすべて自身の不摂氏だけが原因で生じるとは言いません。例えば強力な感染症などの場合は、どれだけ健康的な生活を送っていても、その感染力ゆえに罹患してしまう場合はあるでしょう)

身体には身体の意思や感情があるというのは、比喩で言っているのではありません。

本当に文字通り、身体自身の意思があるのです。

だからこそ「自分ありがとう」「病気の発生を通じて健康の大切さを教えてくれてありがとう」などと身体に対して伝え続けると、「わかってくれるならいいよ」ということになって重病が奇跡的に治ったりするわけです。

この身体を別の存在とみなす、ということをしていないから「なぜ臓器提供者の記憶が移ったのだー?」とか「なぜがんが消えたのかー?」などという疑問が生まれるのです。
でも「身体は自分とは別個の存在」と考えれば当たり前のことですね。

あなたは、あなたに日々、陰から協力してくれている身体さんを大切に扱っていますか? 感謝していますか? 無理させすぎていませんか? 
鏡を見るたびに「さえないやつだな」などと思っていませんか? 

これらが分かると、誰に何ゆえに感謝すればいいのかも分かってきます。

僕がこれらのことに気づいたきっかけは――長くなってきたので次の記事で記します。

『人間の教科書』なんでも「さん」付けで接すると幸せ感度が上がる
『人間の教科書』目次

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