中田敦彦による松本人志批判を詳しく読み解く⑤:お笑いシンギュラリティは来るのか?
中田敦彦さんの一連の発言は、たんにお笑い界にとどまらず、日本社会の構造的問題をも突いているのではないか。そんな話を前回書きました。
松本人志という権威がいるかぎり、若い芸人はそれに追随するほかない。それは若者にとってのディストピアなのではないか、というのが彼なりの主張だと考えます。その点は、私も理解します。
とにかく、動画「【松本人志氏への提言】審査員という権力」の続きを追っていきましょう。(以下の「…」は中田さんの発言、時間は発言があった動画の箇所を指し示しています)
中田敦彦のねらい
これ、以前にもこの動画に関連して書いたんですが、中田さんはお笑い界から絶対的なものをなくして、「相対主義」に持ち込みたいということです。
彼の思想についてはよくわかりませんが、きっと、いろいろなことについて「フラットに行きたい」という考えがあるのでしょう。
おそらくそれは、業界内部にいてそう考えたのでもあるだろうし、現代に日本社会をあれこれ見たうえで、これはお笑い界にも言えることだよな、と思ったのかもしれません。私は後者の方が強い感じがしていますが。
ともあれ、このこと、お笑い界だけにとどまらず、世間のいろんなこととリンクさせて広く一般に発信したいな、というのが中田さんの思いだったと想像するのですが。結局、お笑い界のなかだけで議論されることになるのでしょう。それ、ちょっとつまらない気もします。
松本人志を超えるスター
この点については、私は違う考えをもっている。もし、松本人志を超える人が出るとすれば、それは、松本人志が関わる領域以外の、まったく別の場所から出てくるにちがいない。松本人志にほとんど影響を受けなかった、あるいはまったく知らないという人が、お笑い界に現れることに期待している。
将棋の藤井聡太七冠は、以前、これからは人間と将棋を指した経験がない人がプロになる可能性があるのではないか、という予測を述べたことがある。つまり、ずっとコンピュータとだけ対戦してきた、AIネイティブみたいな人である。
人間を超えてシンギュラリティに達するとか、お笑い界にもそんな人は出てこないとも限らない。
でも、そうなったら、もう松本さんがいるかいないかは、あんまり関係がない気がします。中田さんもそういう人を育ててみてはどうかな、と思ったりします。
ではでは、また次回。(梅)
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