中田敦彦による松本人志批判を詳しく読み解く➁:『エンタ』芸人・オリエンタルラジオの嘆き
私自身、中田敦彦という芸人について、とくに良くも悪くも思っていません。面白いのかもよくわかりません。ただ、頭がいい人なんだろうなという印象です。とはいえ、ときどき論争を巻き起こすんだから、インテリジェンスの使い方が不器用なんだろうと想像していました。
中田さんの動画はこれまで見てきませんでした。「YouTube大学」と題しているにもかかわらず、その研究には深みがないだろうと予想していたからです。結局、問題となっている動画「【松本人志氏への提言】審査員という権力」を見て、私の予想は当たりました。
要するに、彼はいろいろと問題を提起するし、それはそれで当たっている部分もたくさんあるのですが、それは誰でも知っている事実を並べているだけかなと。研究という領域にまで届いていない。「YouTube大学」なのにね。ときにそれは「あなたの意見ですよね」的に感じられてしまう。
だから、議論にもっと説得力を持たせれば、批判なんて起きないんじゃないだろうかと思うのです。そこが彼のインテリジェンスの使い方の不器用さです。話題がお笑い界だけで閉じている。漫才だって社会現象のひとつなんだから、松本人志がどうのこうの、漫才至上主義がああだこうだ、で止まらずに、もっと広く社会的な問題として捉えてほしいのです。
多くの人ともっと議論を深めよ。それが私が中田敦彦さんに期待することです。頭が切れるんだから、世の中のためにそれをもっと有効に活用してほしいな。というわけで、2回目となりますが、備忘録的に問題の動画を読み解いていきたいと思います。(以下の「…」は中田さんの発言、時間は発言があった動画の箇所を指し示しています)
演芸の相対主義と漫才至上主義
前回の続き、『エンタの神様』の話が動画で出ているので、そこに着目しよう。まず、演芸の世界には「相対主義」があったと中田さんは語る。つまり、歴史的に見て、あるときは落語、あるときは漫才と、人気のある芸能は移ろいゆくものだ、だからある芸能だけが絶対的になることはない(あるいはそうであるべきではない)という議論です。
現在はというと、『M-1』に代表されるように漫才至上主義があって、その絶対主義はおかしいんじゃないか、その中心にいる松本人志という存在はいかがなものか、というのが漫才界でマージナルな存在であったオリエンタルラジオ・中田敦彦の考えです。
前回も言いましたが、演芸界に相対主義にあるならば、現在の漫才至上主義もまたいつかは廃れ、別の新しい芸能の人気が出るという気もします。また、もし漫才至上主義が今後定着するんだったら、それはそれでたんなる漫才の枠を超えて、日本社会のなんらかの縮図を象徴しているのかもしれません。
研究はこうした点からスタートするべきでしょうが、残念ながら中田さんの議論はそれほど深まっているように思いません。ただ漫才至上主義があるという事実を指摘しただけ。それは正しいとして、ではそれがなぜ発生したのか。中田さんの言い方だと、原因は松本人志ひとりにあるかのようです。はたしてそうなのか。
『エンタの神様』とはどういう番組か
それで、『エンタの神様』について、中田さんはこう言っています。
たしかに、『エンタの神様』的なネタ番組が人気を得た時代があった。これを中田さんは「カウンターカルチャー」というが、要するに「漫才至上主義」の対極にあるものである。
たしかにそこには「コント至上主義」があるようだ。ここで、中田さんは『エンタの神様』の仕掛人として、総合演出の五味一男さんの名前を挙げている。
これは面白い指摘で、「漫才至上主義」というものなら、その対抗として「コント至上主義」があるということですよね。これこそ演芸の相対主義ですね。そこには「漫才は大阪、コントは東京」みたいな構図があって、五味一男さんのような東京の演出家はコントを前面に押し出していく。
そういう押し合い引き合いがテレビ業界にはあるわけだ。そういう変化っていつどのようにして起こるんだろう? そこに興味があります。これって、大阪文化の東京への侵食とも考えられるかな。
『エンタ』芸人の嘆き
ともあれ、中田さんはこう続けます。
ああ、なるほどね。『エンタの神様』は週1消費のバラエティ番組、『M-1』は年に一度の大舞台、賞レースなので格式が高くなった。こういうロジックか。
それで、『エンタ』芸人は一発屋といわれてしまうこともある。そういう不満があるんだね。これはもう『エンタ』芸人・オリエンタルラジオの嘆きでしかないねぇ。なんか中田さんが気の毒にも思えてきた。
でも、中田さんが言う「漫才至上主義」はテレビというメディアを通して発生したのだし、そこにはテレビ的な演出の仕方もあるわけでしょう。それならテレビ研究をすべきだし、なんでもかんでも松本人志個人に原因を見るのはあまりいい傾向じゃない気がします。
課題に対して、もうちょっと視野を広く見つめてほしい。松本人志もまたテレビというメディアのなかで生まれてきた存在なのだから。
長くなりました。続きはまた次回。(梅)
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