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中田敦彦による松本人志批判を詳しく読み解く➀:漫才至上主義について

では、今回から、5月29日にアップされた中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY「【松本人志氏への提言】審査員という権力」について、細かく見ていきたいと思います。
 
前回も書いたのですが、私はこの動画に対して好感をもっています。松本批判? 結構じゃないかと。でも、ツッコミどころがいっぱいなので、その点については冷静に分析していきたい。
 
結論を先に言っておくと、批判の説得力がわりと低いんですよ。すぐに論破されそう。もっと理論武装してもいいんじゃないかと思うわけです。「YouTube大学」なんだから、学術的でもいいじゃない。
 
私はこれまで中田さんの動画を一切見なかった。その理由は、歴史の振り返りや理論武装の少ない分析はつまらないだろうな、と思っていたから。今回の松本批判動画で、やっぱり私の予想通りだったことがよくわかった。(以下の「…」は中田さんの発言、時間は発言があった動画の箇所を指し示しています

0:04~『THE SECOND』について

実は冒頭からけっこうかみかみです。かなり緊張していたのでしょうか。初手は『THE SECOND』について。「大会の在り方そのもの」(2:17)について論じたいという。『THE SECOND』は「『M-1』との兼ね合いの中で生まれた大会」(2:46)だと。それはその通りですよね。

吉本興業って凄く賞レースを中心とした事務所なんですよ。だから、テレビでどれだけ売れたか以上に、漫才の賞を取ってるかどうかで劇場のギャラが上がる下がるとかっていうのがあったりしたんだよね。(4:02)

中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY
「【松本人志氏への提言】審査員という権力」

なるほど、それは芸人として賞レースに真剣に取り組まなくちゃいけなくなるか。ただ中田さんは「僕はずっと不平等だなと思ってたの」(4:19)と述べている。大阪は賞レースが多い、東京は少ない、それなら東京の芸人はギャラが上がる機会が少ないじゃないかということだよね。それもわかる。
 
そんななかで2001年に『M-1グランプリ』ができる。これで東京にも大きな漫才賞レースができたわけだよね。不平等も解消されるってもんです。実際には大阪の芸人がチャンピオンになることが多いんですが。
 
ただ、当初は「1年目から10年目までしか出れなかった」(5:20)。年齢制限を設けて、売れない芸人には退場してもらうというシステムだった。しかし、2010年にいったん終了し、2015年に番組が復活したときには、出場資格が結成15年以内に拡大された。
 
これは仕方ない流れだよね。結局、『M-1』ができたことで漫才師の数がぐっと増えたんじゃないかな。そのぶん、売れない芸人も増加した。こういう人たちを救済する義務が番組に生まれたということだ。
 
それと、社会的に見れば、若者の労働環境はロスジェネ以来たえず不安定化しており、それなら芸人として夢を追いたい、一獲千金を狙いたいという人も増えただろう。また、「錦鯉」のように、夢を追っているうちに「辞めどき」がよくわからなくなってしまった芸人もいたはずだ。まあ、芸人なら年が上がっても世間的に文句もあまり言われないかもですね。

7:49~『M-1』至上主義について

オリエンタルラジオの場合はどうかというと、人気者ではあったけど賞レースとは無縁だった。周囲からは、「武勇伝っていうもの自体がそもそも漫才じゃない」(6:34)とも言われた。彼らはそもそも『M-1』向きの芸人じゃなかったんだよな。このへんは、中田さんのルサンチマンを感じるよね。
 
それで結局、『THE SECOND』の登場で結成15年目以上のものにも売れるチャンスが訪れる。これと前後して、「『M-1』至上主義」(7:49)みたいなものが芸人のなかで形成されてきたのだ。チャンスはそこにしかない、というわけだ。
 
でも、『M-1』で売れなかった、漫才師として認められなかった中田さんの口からは、「みんな『M-1』目指しちゃってもなぁ」(7:59)という慨嘆が漏れる。

お笑いダイバーシティについて

ただ、ここからの中田さんの議論にはちょっと疑問をもっている。動画では、まず『ボキャブラ天国』(1992~1999)の時代は、漫才師はそんなにいなかった、と指摘する。ナインティナイン、ロンドンブーツ1号2号、ネプチューン、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)などは根っからの漫才師ではないし、コント芸人といってもよい。
 
要するに、中田さんが言いたいのは、『M-1』以前はいろんな芸人がいて、お笑いダイバーシティがあった、ということですよね。それはまあ認めてもよい。
 
しかし、2001年に『M-1』ができると、みんなこぞって漫才をやりだす。その影響の根本にあるのが賞レースの審査員になった漫才の権威・松本人志だ、と中田さんは言いたいのだろう。この点については、動画でさらに続いていくので、回を改めて論じることにする。
 
その前に1点だけ、「いろもん」について中田さんが語っていることを取り上げよう。「昔は落語の方が圧倒的に偉かったですよ」(10:17)と。落語家は寄席で名前を黒い文字で書かれた、これに対して漫才師や手品師は赤い文字で書かれた、だから漫才師は「いろもん」と呼ばれた。これは事実だ。
 
それで、「時代によってこの演芸が格式が高いっていう認識って全然違って、ある時は落語、そのあとであるときは漫才みたいになった」(10:42)。こうした発言も歴史的事実である。すなわち、どの演芸が上位に来るかというのは「すごく相対的」(10:57)だと中田さんはいうのだ。

漫才人気は相対的なのか、絶対的なのか

これに続けて、『M-1』が漫才至上主義をもたらし、そのカウンターカルチャーに『エンタの神様』が置かれたと説明する。
 
ここはどうも私の腑に落ちない。時代によって人気のある演芸は異なる、すなわち、ある演芸の権威なんてその時々で変わるんだ、相対的なんだと言う一方で、『M-1』=漫才至上主義がある、漫才は絶対的なんだとも言っている。どっちだ?
 
いや、その議論の流れなら、漫才の権威も時代によって変わる、相対的なものなんじゃないだろうか。もちろん、現在という瞬間的には漫才至上主義が存在しているのだろう。でも、その前には『エンタの神様』があって、漫才よりはコントがよいという流れがあったはず。中田さん自身もそう言っているよね?
 
とすれば、いつまた漫才以外のものが流行るともかぎらない。これこそ相対主義だ。だから、現在はそう見えるとしても、松本人志の権威でみんなが漫才へと向かって行っているんだとという、漫才至上主義なんて言葉でひとくくりにしなくてもいいんじゃないかと思う(裏を返せば、それこそ絶対主義のおそれがある)。

松本人志ひとりにそんな力があるかどうかも、実際ちゃんと検証しないといけないし、ここはちょっと議論が破綻している気もするなぁ。また、漫才至上主義があるとすれば、どうしてそうなったのか、その原因についてたんにお笑い界だけでなく、広く社会的に考えなければならない(それが私のやりたいことだが)。
 
んー、このあたり、個人的には大切だと思うのでもう少し続けたいが、長くなりました。中田さんの動画もまだまだ続きます。では、また次回。(梅)

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