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(1/5ページ)息子の卒園でつらい幼稚園ロス~悩んだからこその思い入れ~

こんにちは!杉間馬男です。

いつもなら、月曜の午前5時に投稿ですが、今回はどうしても吐き出して気持ちの整理をつけたいことがあったので臨時投稿です。

気持ちの整理…と聞いてドキッとしたかも知れませんね。。

『まさか!離婚!?』
『不倫!?』

いえいえ(汗)

今年の年度末、息子が卒園しました。
それで、父親の私がかなりの幼稚園ロスになってしまったんです。

『え??』

ハイ。。
人によってはドン引きするかも知れませんね。

母親ならまだしも、父親が幼稚園ロスだなんて、おそらく日本で始めてかと。

思うところは人それぞれだと思いますが私の中では一大事件で、自分自身、まさかこれほどにまで辛い気持ちになるなんて思ってもなかったんです。

この記事を投稿している頃、息子はもう入学式が済んで晴れて1年生デビューしています。
息子が小学生になった今でこそ落ち着きつつありますが、卒園後からそれまではもう辛いのなんの・・・

それでどうしても、こうやって書くことで自分の気持ちを可視化して整理したかったのです。
入園の時からの4年間の思い出と、卒園後の辛い気持ちと向き合った記録を書き綴ったので、ひとつの読み物としてお付き合い頂ければと思います。

※全5記事に分けて発信しています。


入園後はいばらの道が待っていた!

思い起こせば5年前。
息子が1歳を過ぎ、早いうちから社会性を身に着けさせるべく幼稚園のプレにでも入れようかと考えていた。
地元でプレの受入をしているのが2ケ所、そのうちの1つに入園することができた。

定員40名ぐらいだったろうか、それに対して100名ほどが来ていて、奇跡的に抽選に当たって入れたところで自宅からは歩いてでも通えた。
しかも割と評判も良く、小学校入学を見据えた本格的な教育や、有名球場を借り切っての運動会、そしてプレクラスではトイトレ(トイレトレーニング)も手伝ってくれるというありがたい園だった。

しかし、入園後すぐにコロナ禍になってしまい、2ヶ月間はオンライン保育で園児の家族限定で動画を公開するのみ。
その年の夏前にようやく登園解禁になって、週2日通うことになった。

だが、図らずもそれ以後息子の成長との戦いが始まり、悩む日々が続くのだった。

うちの息子は比較的親離れが早く、プレ入園前にも何度か一時保育を利用していて、親子分離で泣いたのは最初の1~2回のみ。
そういう経験があったので、幼稚園でもむしろ親が寂しくなるほど息子はケロっとしているほどだったので、幼稚園生活は順調に進むものと思われた。

しかし、登園するようになってしばらく経ち、妻が

『今日、担任の先生から「上靴が上手く履けなくて、他の園児に遅れを取っている」って言われて、どうしたらいいんだろう・・・』

と私に話してきた。

『結構厳しい園なんだな・・・』

「遅れを取っている」とハッキリ言われたそうで、その時から私たちは神経を尖らせるようになった。

上靴の話は足の甲のゴム紐を少し緩くして履きやすくすることで息子もすぐにできるようになったが、他にも、

・マイペースで指示が入りにくい
・言葉が遅い

などなど、二者面談で次々に心配な点を言われた。

ちなみに、二者面談はクラスの園児全員に対してじゃなく、園生活を送るうえで心配事が多いと担任が判断した人に対してだけ呼び出されるもので、悪い言い方、それに呼ばれた園児は【落第予備軍】なのだ。

そのことが全てのキッカケだった。
私たちの中で息子は同年代の標準と比べて遅れているというレッテルが出来上がってしまい、何とか息子を周囲について行かせられるよう、妻と2人頭をヒネらせながらの試行錯誤が続いたのであった。

私が知っている限り、同じクラスに落第予備軍は息子を含めて3人。
うち1人は、その二者面談のため頻繁に呼び出されて親御さんも辛くなり、2学期が終わると同時に退園していった。

給食もプレクラス入園時からあったけれど、それも担任から「この子は大丈夫」というお墨付きがもらえないと午前保育だけで帰される日が続き、息子はビリから3番目。それで、息子より遅く解禁になった子たちは2人とも落第予備軍だった。

結局、そのプレクラスでは落第予備軍のうち息子ともう1人は本入園できることになったが、その子は3学期の二者面談で、

『正直なところ、このまま進級は厳しいと思います。
例年無理に進級したけど結局ついて行けずに退園した子が何名もいます。
だから、よく考えてください。それまで、本入園の入園金支払いは待っておきますから。』

と伝えられ、まさに【落第通告】だ。それでその子の親御さん(Aさん)はかなり悩んだそう。

そのAさんと妻とは落第予備軍同士で仲良くなりママ友になったのだが、その頃から母親同士相談し合っていて、Aさんはその子の上にお兄ちゃん(長男)がいて、長男もその園を卒園していて良い思い出があり、次男も何とかその園で頑張ってもらいたい思いが強く、担任の忠告を押しのけて本入園の申込みをした。

上級生の救い

対してうちの息子のほうは、まだ恵まれたほうだった。

というのも、言葉が出にくい問題はあったものの、ある出来事でその短所を大きくカバーできていたからだ。

その出来事とは・・・

プレクラスは2,3歳児対象で、年少組(3,4歳児)よりも1歳小さい年齢になる。
それで、年少組のいちクラスのイベントとして、プレクラスの園児を招いて縦のつながりで遊ばせる交流の時間があった。

そこで息子はメチャクチャ楽しんでいて、それまで自分のクラス内では見せたことのないテンションで高笑いしている姿を見て、担任も驚いていたそう。
その年少クラスの園児たちも、同じように楽しんでくれる息子がカワイイんだろうか、息子を贔屓(ひいき)してくれて、週2回の保育で登園日じゃない時は寂しがっていたそうだった。
交流の時間じゃない時でも、給食が終わってから年少クラスの子たちが息子を誘って遊んでくれたりして、息子は園内で顔が広くなっていた。

そして、その年少クラスの担任も、

『杉間くんは夏に比べてかなり言葉も出るようになりましたね!』

と、それ以前までと大きく成長していることに少し驚いている様子だった。
しかも、その先生は年少組学年主任で、プレクラスの担任よりも経験が長く園内でも上の地位にいる先生だった。

その先生の口利きもあったおかげか、息子に対しては先の2人に対して言われたようなことまではなかった。

でも、他の園児に比べて心配点があることは変わらず、3学期の二者面談では、

『こちらも色々手を尽くしてはみましたけれど、言葉は順調に増えているものの指示が入りにくいのは未だ残っています。
進級もできないわけではありませんが、間違いなく補助は必要になるでしょう。
プレクラスの間は3人担任がいますが、年少以降になると1人になるので、一人ひとりへの目も行き届きにくくなります。
それでなんですが、療育を受けることも視野に入れてみてはいかがでしょうか。』

と言われた。

実はその時すでに動いていて、療育のほうもひとつの施設を利用し始めていた頃だった。

息子自身は年少組との交流の時間を非常に楽しみにしていて、そこでは1歳上の年少児とワイワイ楽しんでいたが、やっぱり親のほうは毎学期二者面談で呼び出しを喰らって「心配事がある」と呪文のように唱えられてきたモンだったから、何か手を打たずにはいられない。
ましてや、父親の私はASD持ちで、それが息子へ遺伝した可能性だって否めない。

それで、年が明けるや否や発達外来を訪れてしかるべき検査を受け、結果4か月の遅れがあることが分かった。
担当心理士からも療育を勧められ、どこも定員いっぱいの施設が多い中で受け入れてくれる施設を見つけて通わせていた。

プレクラスの1年の途中で聞いた話だが、当時プレクラスを受け持っていた担任は保護者からの評判が良くなく、療育施設のスタッフもその担任の話になると顔をゆがめるぐらいだった。

確かに言ってることは全うなんだと思うし、事実その担任の指摘があって息子の発達の遅れが見つかった。
もし何も言われなかったら、我々ば見過ごしていただろう。
しかし、あの物言いが保護者たちの眉をひそめる原因となっていたそう。

幼稚園から言われたことには妻も悩んでいたので、ママ友とかに相談していたそうだったが、

『いくら何でも厳しすぎるよ…』
『〇〇くんがそこまで言われるんなら、全員何か言われてるって!』
『それって、その担任の都合じゃないの?』

などなど、慰めもあったろうが総じて厳しい教育方針だという感想を持ったのだそう。

『特別厳しめの担任に見られてたから、ああいう風に言われただけだったのだろうか…』


何せ初めての担任だったし、その園の常識が何なのかが分からないのがもどかしかったが、とにもかくにも、息子は心配されながらも本入園できることになった。

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