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秋風のように駆け足でいく~10月の読書記録

「私の話」「ケナリも花、サクラも花」(鷺沢  萠)


先月、鷺沢萠のことを記事に書いた。

書いたあとに、改めてもう一度読みたいなと思って図書館で借りてきたのがこの2冊。あえて文庫本ではなく単行本で借りてきた。

わたしの読書記録アプリより引用

作者が亡くなっていることもあって、なかなか手に入りにくい本になってしまっているのが悔しい。
インターネットでちらっと見かけたのだけれど鷺沢の「ケナリも花、サクラも花」が中学生の教科書に載っているとかいないとか(もしかしたらだいぶ古い情報かもしれない。自分で実際に教科書を見て確かめたわけではないので…)。その情報が正しいのなら、教科書に掲載されている箇所はこの作品のタイトルにもなっているケナリとサクラについての会話がある部分なので、一番旨味のある章だと思う。確かに、教科書映えしそう(?)なエピソードだとは思うけど、個人的には、このエッセイは最初から最後まで全文読んでほしいと願っている。全文読んでこそ光る話だと思うので。

自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話(山口 祐加、星野概念)

これまた先月、夫が出張で、ひとりの週末があった。
「たまにはひとりで外食でもするか!」と思っていたが、ふと冷蔵庫を覗いたら、なんとなく自分のための夕餉を用意したくなっていた。
ごはんを炊き、紫キャベツを千切りにして酢につけたものと、常備してある鯖の缶詰(みそ味)を豪快にあける。炊き立てのつやピカのごはんの上に、肉厚な鯖を載せて頬ばると、それだけで十分、幸せでおいしい。
思わずいつもの癖でごはんを2人分炊いてしまったので、残ったごはんは耐熱容器にいれ、冷蔵庫で保存し、翌朝、ベーコンと卵と鶏ガラスープの素を使ってチャーハンにして食べた。結局、夫が帰ってくるまで外食はしなかった。

まだ結婚する前、一人暮らしをしていた時、わたしは本当に料理が出来なかった。忙しいことを理由にして、積極的にしようとも思わなかった。もちろん、何度か料理を気まぐれにしたことはあったけど、同じメニューが何日も続くことに耐え切れなかったし、急に友人に外食に誘われたり、やむをえず残業することになったときに、冷蔵庫に作りおきがあることを恨めしく思う日があった。外食に出てしまえば家に帰ってからは食べないし、残業が遅くなれば、夕食の前に中間食をとることもあり、それでお腹が満たされてしまっていた。だから、料理という行為にあまり意味を見出せなかった。

結婚した時に夫から「料理はできればお願いしたい」言われたとき、正直「げっ…」と思ったが、妻という役割分担上、料理はできた方が良いだろうという思い込みがおおいに働き、半ば仕方なく料理を引き受けることになった。今思えばこのことが、自分にとって良い転機になったと本気で思っている。
わたしにとって、この本の中でとてもしっくりきた2つの文章を引用する。

自炊ができるということは、自分の体調の移り変わりや生活の変化に合わせて、自分を労わり養っていけるということです。この力があれば、ちょっとやそっとのことでは倒れないで生きていけます。

自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話 P13-14

日常生活では突然嫌な出来事に遭遇することもあるけれど、自分自身が安定
していてしっかり受け止めるクッションがあると、「まぁいっか」と思える。私が料理を作っているのは、自分が「大丈夫」で居続けるためでもある気がします。

自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話 P218

この本を読んで思うのは、料理とはつくづく「マインドフルネス」な行為だということ!
わたしは、自分を労わることが下手な人間だし、今だって決して、自分で自分のご機嫌を取れないことがある。けれど、やっぱり気分が落ち込んできたときに自分で自分を励ます選択肢が多いほうが良いよなぁと思うし、何事においても自分を蔑ろにしてしまいがちな自分にとって、栄養になるような本でした。
最近マインドフルネスが料理だけでは足りてないから、ヨガに久々に行こうかな。

向田邦子の末尾文トランプ(半沢幹一)

自分で書くエッセイの終わらせ方にいつも悩むので、ヒントになればと思い購入した本。
ちょっと期待していた内容とは違ったかな…。向田邦子の著作は10代のころから割と読んできたと思っていたけど、覚えていない作品もありつつ、とりあえず読み終えました。

とりあえずお湯わかせ(柚木 麻子)

実は、はじめましての柚木さん。
「自分の特性を生かして幸せになることと、女性として幸せでいることは両立できる」(うろ覚えのメモでごめんなさい)。

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