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<UMA遺産 第4回>日本古来からの伝説のUMA「ツチノコ」目撃情報日本一の村~岐阜県加茂郡・東白川村(ひがししらかわむら)エリア

UMA(未確認生物)出現が噂されるミステリアスなエリアを、UMAの聖地として、「UMA CREW PROJECT」が独断と偏見で選定、紹介する「シリーズUMA遺産」。第4回目は・・・・。

「ツチノコ」…いわば日本で一番有名なUMA(未確認生物)かもしれない。全国各地での目撃例も頻発し、町によっては、懸賞付きの捕獲イベントも定期的に行われている。そして、たまに東スポの紙面を賑わせたりもする、まさに“ウワサの常連客”とでも言うべきだろうか。そんな噂を検証すべく立ち上がる、全国の「ツチノコ・ハンター」なる強烈な隊員の皆様のご活躍には頭が下がる想いだ。

ツチノコとは、ざくっと言えば、蛇の頭に数十センチはあるというビール瓶のような極太の胴体が続き、細い尻尾が付いているUMAで、ヘビやトカゲに似ているものの、手足はなく、蛇に比べると胴が太い。横槌に似た形から「ツチノコ」と呼ばれるようになった説もある。いびきをかいたり、2メートルも跳んだり…と見て来たようなことを書いているが、「目撃談」はあっても、捕獲例はもちろん、写真すら撮られていないのが実情だ。

かつては「野槌(のづち)」といわれる妖怪とされていた。元々、野槌に用いられていた呼び方のひとつがツチノコ(槌の子・土の子)だったようだが、昭和40年代以降はマスメディアなどで多用され、「ツチノコ」という呼び方が定着した模様だ。

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「野槌」(『信濃奇勝録』より)
井出道貞『信濃奇勝録』(1834年脱稿1886年出版)に描かれた「野槌」。最も古いツチノコの絵といわれる。

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「野槌」(『野山草木通志』より)
畔田翠山『野山草木通志』(1859年出版)に描かれた「野槌」。
やはり、最も古いツチノコの絵と伝えられている。

「ツチノコ」が目撃されたとして、一躍ブームを巻き起こしたのが1970年代、昭和40年代後半である。しかし、そのブームの前から、しかも終戦前から目撃情報が絶えなかった村がある。岐阜県の南東部に位置する東白川村である。

目撃情報が多い、岐阜県加茂郡・東白川村

全国有数のツチノコ目撃多発地帯といわれる東白川村だが、なんと戦前となる昭和初期から目撃されている。まさに、日本の歴史と共に歩んできたUMAと言えよう。

東白川村のホームページを拝見すると、ツチノコに関する情報が満載であり、その一部をご紹介させていただく。

ツチノコの特徴は、体長は、30cmから80cmくらいで、色が、黒褐色・焦げ茶色・黒・灰色(腹部黄色・背部に斑点あり)とされており、体型は、ビール瓶くらいの胴から三角形の頭がちょこんと出ているようだ。特徴としては、「大食家であり一匹で行動」、「昼間に活動」、「いびきをかき、まばたきをする」、「垂直に立つ」、「転がる」、「蛇行しないで真っ直ぐに前後に動く」、「ジャンプする(2mくらいとの説もあり)」、動きが素早く、有毒である(無毒説もあり)」、「春から秋(4月から11月)に出没」とされている。

また、北は岩手県から南は九州鹿児島まで、全国各地で目撃。特に東白川村では目撃証言が多く、全国でも有数の多発地帯とされている。また、地方によって様々な呼び方がある。

昭和初期から約半世紀以上に渡る「ツチノコ」目撃情報の歴史

【東白川村でのつちのこ見聞録(主な目撃例)】
※東白川村ホームページから引用
◆1934年:昭和9年頃
 K.Yさん / 笹を倒しながら逃げていった。
 ~ちなみに終戦が、1945年(昭和20年)~
◆1946年:昭和21年頃
 T.Yさん / 自宅で二度、桜峠で一度。灰色に光り30cmくらい。
◆1947年:昭和22年頃
 K.Yさん / 二本松近くの道端。木の株と思った。
◆1949年:昭和24年7月
 A.Iさん / 前山の畑。灰色で、はいずるように動く。
 ~この後、約20数年目撃情報はない~
◆1973年:昭和48年頃
 Y.Mさん / 曲坂にて。ずん胴、尾が細く灰色。
◆1975年:昭和50年頃
 Y.Yさん / 自宅前。頭だけ見えた、口中が赤い。
◆1982年:昭和57年
 S.Oさん / 桑畑。40cm、どたりと座ったよう。
◆1987年:昭和62年6月
 K.Yさん / 茶畑。ミカン袋のような網模様が光った。同様に2回目撃。
◆1987年:昭和62年7月
 S.Fさん / 茶畑の草刈り中。黒っぽいビール瓶のよう。
◆1987年:昭和62年11月
 T.Iさん / 田の側溝。石を当てるとタイヤに当たった音。
◆1988年:昭和63年5月
 M.Yさん / 同上。灰色に光り、這いずるように動く。
◆1988年:昭和63年5月
 N.Yさん / 自宅付近の茶畑。40cm、ビール瓶くらい。
◆1988年:昭和63年9月
 M.Iさん / 曲坂の桑園で。35cm、胴6cmくらい。
 ~1989年/1990年頃がバブル景気に沸いた頃~
◆1990年:平成2年頃
 J.Fさん / 桜峠の佐見側。頭は丸く、尾はほとんど無い。
◆1990年:平成2年5月
 Y.Fさん / 自宅近く。一升瓶が転がっていると思った。太短い。
◆1990年:平成2年8月
 U.Kさん / 河原で草刈り時。銀色にキラキラ光る、腕位の太さ。
 ~この後、約30年経った現在、目撃情報はない。
◆時期不明
 Y.Nさん / 灰色、40cmくらい、光っていた。
 K.Iさん / ずん胴、ビール瓶くらい、鼠の尾に似ている。

東白川村のシンボルにもなっている「ツチノコ」キャラクター「つっちー&のこりん」

1990年代まで目撃情報多発地帯と言われた東白川村も、ここ30年程目撃情報はない。一方で、毎年5月にはツチノコ捜索のイベント「つちのこフェスタ」が行なわれ、捕獲賞金もかけられている。

賞金は、当初100万円だったが、1989年以降毎年1万円ずつアップするキャリーオーバー方式を採用しており、ちなみに、2021年5月現在、捕獲賞金は、1,310,000円となっている。但し、「つちのこフェスタ」はコロナの影響で、2020年、2021年と2年連続で開催が中止されている。

このように、東白川村は村を挙げて、ツチノコ捕獲に積極的であり、UMA愛好家の中でも聖地と謳われている。また、東白川村には日本唯一のツチノコ資料館である「つちのこ館」や、平成元年に建立のツチノコを祀った「つちのこ神社」もある。「つちのこフェスタ」公式マスコットキャラクター「つっちー&のこりん」は村のマスコット(ゆるキャラ)として村内外のイベント等で活躍中だ。

ツチノコフェスタ

東白川村「つちのこ捕獲賞金」 2021年5月現在 1,310,000円
出典:東白川村ホームページ
https://www.vill.higashishirakawa.gifu.jp/syoukai/gaiyo/tsuchinoko/tsuchinokofesta/

キャラクター

東白川村のシンボル「つちのこ」キャラクター
「つっちー&のこりん」
出典:東白川村ホームページ
https://www.vill.higashishirakawa.gifu.jp/syoukai/gaiyo/tsuchinoko/yuruchara/


「東白川村観光地図」


「つちのこ館」


比較的最近の情報としては、東白川村ではないものの「月刊ムー」の、2020年1月号で「ツチノコのミイラ」発見現場へ突撃の特集記事を発表しており、実際の発見時期は2001年2月との事で、場所は兵庫県千種町というツチノコ村おこしで話題になった町だが、やはりそこでの噂は本当だったようだ。

その方の目撃体験談によると、土砂が崩れた痕跡に首が出ていた、それこそツチノコのような生物を見つけ、引っ張り上げてビニール袋に入れて持って帰ったそうだ。その時は生きていたとの事だ。冬だったので冬眠中なのか弱っていた模様で、その後、逃げ出そうとして窓にへばりついたり、ジャンプもしたそうだが、悲しい事に死んでしまったらしい。そこで、痕跡を伝えようとミイラという形で残されているようだ。

ツチノコの目撃情報は、全国各地で発表されており、多少の見間違いもあるにせよ、見たことのない奇妙な生物、それが新種のものなのか、トカゲなどの生物の退化した姿なのか、さまざまな憶測があるようだが、UMAとしての「ツチノコ」は、ツチノコだけに土の中の奥深くに棲み、多くの時間は眠っており、気が向いたら、ごくたまに蠢き、ちょっと動きすぎたら空気中に顔を出してしまい、人間に見つかってしまった・・・的な静かな生物なのではないだろうか?

ツチノコの目撃情報は、全国各地で発表されており、多少の見間違いもあるにせよ、見たことのない奇妙な生物で、それが新種のものなのか、トカゲなどの生物の退化した姿なのか、様々な憶測があるようだが、UMAとしての「ツチノコ」は、ツチノコだけに土の中の奥深くに棲み、多くの時間は眠っており、気が向いたら、ごくたまに動き、ちょっと動きすぎて地上に顔を出してしまい、人間に見つかってしまった・・・的な静かな生物なのではないだろうか?

最後に

「ツチノコ」が、東白川村の顔となり、「つっちー&のこりん」として村のキャラクターにもなっており、ツチノコ捕獲が村の慣習にまで定着し、もはや人々の生活の一部にまでなっている岐阜県加茂郡東白川村エリアを「UMA遺産」の第4弾として選定することとしたい。

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