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<UMA遺産 第13回>「ヤマピカリャー」神秘の島~沖縄県八重山郡竹富町西表島エリア

UMA(未確認生物)出現が噂されるミステリアスなエリアを、UMAゆかりの聖地として、「UMA CREW PROJECT」が独断と偏見で選定、紹介する「シリーズUMA遺産」。第13回目は・・・・。

「ヤマピカリャー」

2021年7月26日に奄美大島、徳之島、沖縄島北部と共に世界自然遺産として登録が決定された「西表島いりおもてじま」は、国の特別天然記念物にも指定されている「イリオモテヤマネコ」の生息地として有名だ。
西表島は、石垣島の西に位置し、沖縄本島よりも台湾の方が近い、日本最西端の与那国島に次いで西から2番目に位置する島であり、沖縄県内では沖縄本島に次いで2番目の面積を誇る。

そんな西表島は、「イリオモテヤマネコ」という世界中でここでしか生息していない希少な猫の存在でもよく耳にするが、また違う種類のもっと大型の猫が存在するというのだ。猫というより豹のようだという声もあり、UMA/オカルトファンを賑わす、超絶希少でその存在も伝説、はたまた幻に近いとされ、別名「イリオモテオオヤマネコ」とも呼ばれる神秘の猫?「ヤマピカリャー」が今回の主人公である。

さて、伝説か幻か、実はすぐそばにいるのか?「ヤマピカリャー」は、地元の方言では「山の中で目の光るもの」という意味のようだ。一見、猫のようだが豹に似た模様をしていると言われている。身体の大きさも、体長が60cm程度である「イリオモテヤマネコ」に比べると非常に大きく、最長で120cmとも言われている。

「ヤマピカリャー」の存在は、目撃者は多いものの正式には確認されておらず、現時点ではUMA(未確認生物)とされている。「イリオモテヤマネコ」の保護などを行っている、環境省西表野生生物保護センターも「伝説的な話として把握し、これまで存在は確認されていない。」という見解だ。

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こちらはヤマピカリャーではなく、
「イリオモテヤマネコ」剥製
(国立科学博物館) 

「ヤマピカリャー」と「イリオモテヤマネコ」の違い

「ヤマピカリャー」は、そもそも「イリオモテヤマネコ」を暗がりで見た時に、見間違えたのではないかという説も多い。実際に目撃談コメントも似た内容が多く、誤解されかねない部分も大きいと考えられる。
「ヤマピカリャー」の特徴は、身体は茶色であり、豹のような斑紋があり、一部上半身のみの斑紋という証言もある。尻尾が長く、地面につくほどであると言われている。木の枝へ次々に飛び移るなど、俊敏な動きをするとされ、跳躍力にも優れ、3m以上ジャンプしたという目撃情報もある。また、親子連れでの目撃談もあり、信憑性のある証言が数多く存在する。

一方、1965年(昭和40年)に作家であり、動物文学者の戸川幸夫氏によって学術的な発見をされ、特別天然記念物にも指定されている「イリオモテヤマネコ」は、50~60cmほどの体長で、両手両足が短く、灰褐色の身体に縞模様や斑点がある。雑食性であり、鳥や魚、キシノウエトカゲなどを食べて生きているようだ。

ちなみに、「ヤマピカリャー」は何を食べて生きているのだろうか。「イリオモテヤマネコ」よりも大型であり、何かを食べている目撃例はないが、イノシシや魚類ではないかとされている。
身体の大きさから見ると、「イリオモテヤマネコ」は「ヤマピカリャー」よりも小さいものの、見間違える可能性も大いにあるだろう。また、この島では飼い猫も、体長1m近くまで育った例もあるようだ。

しかし、「ヤマピカリャー」の目撃談は、猟師によるものが多いと伝えられている。猟師は、山の中やその暗がりなどでの動物などへの動体視力は、一般人よりはるかに優れているものと考えられ、また「イリオモテヤマネコ」の体長や色、尾の長さなどは、「ヤマピカリャー」のそれらとの違いもはっきりしていることから、見間違い説には疑問を抱かずにはいられない。

さて、それら「ヤマピカリャー」の目撃談は、実際どのようなものなのだろうか。時系列に見てみよう。

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ヤマネコ(イリオモテヤマネコ)発見の地碑:
西表島南部 南風見田の浜

「ヤマピカリャー」西表島内での約50件もの目撃情報

「ヤマピカリャー」に関する西表島住民からの目撃情報は、数多く報告されている。終戦後、食料が不足していた頃には、「ヤマピカリャー」を捕まえて食べていたという言い伝えもある。 地元の住民によれば、「ヤマピカリャー」は一見すると猪に見えるほど身体が大きく、人に向かって突進してきたという話もある。

◆1982年6月:「ヤマピカリャー」の目撃談の読売新聞記事
猪猟をしている猟師がテドウ山にかけての山中で、「ヤマピカリャー」を10回に渡り目撃し、うち1回は捕らえて食べた。
また、子連れの「ヤマピカリャー」の目撃談も寄せられている。

◆2007年9月:大学教授の目撃談
魚類の研究のために滞在中の秋吉英雄島根大学教授によって、「イリオモテヤマネコ」より大型で尾が長く斑紋を持つ動物が、島の中でも人があまり踏み込まない南西部の崎山半島で目撃されたことが伝えられ、襲われるのではないかという恐怖を感じたという。

その他、時期は定かではないが目撃証言の数々の一部を、下記に要約してみる。

◆「川を遡って漁をしていたとき、川岸に大きな動物がいるのに気づいた。夕暮れどきで、遠かったので詳しくはわからなかったが、【イリオモテヤマネコ】を数倍も大きくしたような生き物だった。」

◆「猪の罠にこれまでに見たこともない動物がかかった。大きさは1.5m以上もあって、見つけたときはまだ生きていた。ものすごく獰猛で近づくことができず、そのまま放置した。」

◆「子供の頃、近所の猟師が仕留めた【ヤマピカリャー】を見たことがある。前足と後ろ足を紐で結び、その間に棒を通して大人2人で担ぐと、尾の先が地面につくほどの大きさだった。体には斑紋があり、【ヤマネコ】よりはしなやかな体つきで、まるで豹に似た動物だった。鍋料理にしてみたが、とても食べられるような代物ではなかった。」

いかがだろう。
どの目撃談にも信憑性があり、見間違いの域を超えているように思える。また、一方で「豹」に似ているという視点から下記のような見解もある。

「ウンピョウ」ではないか?との説も

「ウンピョウ」は、「雲豹」と漢字表記されるネコ科動物で、「ヤマピカリャー」の正体とされることも多い。中国南部、インドシナ半島、そしてインドネシアに生息し、体長は60~100cmほど。「雲豹」の呼び名も、黒の斑紋が不定形(雲状)なのことから由来している。
しかし、実際には豹とは別種で、猫と豹の中間に当り、野生の猫であり人間と共生しない「ヤマネコ」に近い種類と位置づけられている。木の上を自在に移動し、泳ぎも上手で、雑食である。
つまり、大きさ・特徴・習性まで、「ヤマピカリャー」の特徴に近いと考えられる。この「ウンピョウ」は「台湾トラ」という別名も持ち、かつては台湾にもいたが、現在は絶滅したと考えられている。西表島は台湾に近いことから、例えば、台湾から海を泳いで西表島に渡っている可能性はないだろうか。また、その昔に、「ウンピョウ」も「イリオモテヤマネコ」と一緒に中国大陸から渡ってきて、島の中で独特の進化をしながら生き延びているということも考えられるかもしれない。

西表島のある八重山諸島は数百万年前まで、中国や台湾と陸続きであり、そのころアジア全体に「ヤマネコ」が生息していたのは事実であり、大陸の変化に合わせて、「ヤマネコ」たちがそれぞれに進化したのだろうか。

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ウンピョウ ※Wikipediaより

「ヤマピカリャー」と西表島に関する壮大なロマンを感じる、この憶測には否定的な意見もある。西表島だけに生息する「イリオモテヤマネコ」は、現在100頭以下と推測され、絶滅が危惧されているが、行動圏は2~3k㎡との事で、西表島の中では最大140匹ぐらいは生存できるという。それだけ、狭い土地の中で「イリオモテヤマネコ」の倍以上の身体の大きさを持つ、「ウンピョウ」や「ヤマピカリャー」クラスの動物が生息できる数は、10~15匹程度ではないかとされている。

となると、既に絶滅してしまっているという説もある。

だが、下記のような存在を裏づける生物学的な説もある。

「イリオモテヤマネコ」の糞からは、時々猪の肉が見つかっているそうだ。身体の大きさが違い過ぎるので、直接食べているとは到底考えづらく、どうやって捕獲しているのかは未だ解明されていない状況下、一説によると、猪と同等の大きさの動物である「ヤマピカリャー」が食べ残した猪を「イリオモテヤマネコ」が食べている可能性も示唆されているという。
「イリオモテヤマネコ」は、実際あまり器用ではなく、狩りについても、トカゲに直接口で食らいついたり、鳥を口で引きちぎる程度のものだそうだ。このような動物が、猪を口に入れる機会は、食べ残された猪の肉にありつけた時しか考えられないだろう。ここでも、「イリオモテヤマネコ」よりも大きく、猪を捕食できる存在としての、「ヤマピカリャー」は生存説が大いにあり得るのだ。

「ヤマピカリャー」は幻か?神秘のベールに包まれた「西表島」

その昔、西表島も八重山諸島も、中国や台湾と陸続きであり、その頃からアジア大陸全体に「ヤマネコ」が生息していた。その後、長い年月をかけて、大陸と諸島はそれぞれに様変わりし、島となった。それぞれの環境に生き延びた生物たちは、島に閉じ込められることになるが、それぞれに独自の環境適応と進化を繰り返してきたのだろう。
そして、西表島には「イリオモテヤマネコ」をはじめ、「カンムリワシ」や「セマルハコガメ」など国指定の天然記念物に指定されている多くの生物が生息しており、「東洋のガラパゴス」とも呼ばれている。
東洋のガラパコスの象徴とされる「イリオモテヤマネコ」だが、それよりも希少な存在こそが「ヤマピカリャー」だと言えよう。

数々の目撃証言があるにもかかわらず、島の中で「ヤマピカリャー」の毛皮や骨などは発見されておらず、また、西表島ではこのような大きな動物が生息するのは困難とする見解もある。
一方で、現在学術的にも生物学的にも、その存在が認められている「イリオモテヤマネコ」は、島の中では昔から存在が確認されていたにも関わらず、公に認められるには時間を要した事実もある。つまり、あの「イリオモテヤマネコ」でさえ、つい最近まではUMAだったのである。そう考えると、「ヤマピカリャー」の存在にも、希望の灯が見えてくると言えるだろう。

西表島のジャングル

東洋のガラパコスの舞台となる
西表島のジャングル

さて、お届けしてきた「ヤマピカリャー」いかがだっただろう。

東洋のガラパコスを舞台に、遥かアジア大陸時代からの生息の可能性を想像しながら、生物の進化に最適な環境を提供してきた西表島は、まさに神秘のベールに包まれた島である。

この「沖縄県八重山郡竹富町西表島エリア」を、UMA遺産として認定したい。

沖縄や石垣島を訪れた際には、是非とも西表島にも渡ってもらい、「イリオモテヤマネコ」を探してみると、突然「ヤマピカリャー」にも出会えるかもしれない。

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我らが「UMA CREW PROJECT」が
プロデュースしたヤマピカリャー
※UMA CREW PROJECT
公式twitterにて配信中

UMA遺産ヤマピカリャーMAP

西表島へのアクセス
石垣島から安永観光のフェリーで約35~45分。
(南の上原港まで40~45分。東の大原港まで35~40分。)




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