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シロクマと私—アストロコモンズ番外編

小学校低学年の頃から、何で人は生まれた場所が違うだけで、こんなにも違う人生を送るのだろうかとずっと思っていた。

当時、よくアフリカの飢餓がテレビで報道されていた。お腹が空きすぎるとお腹がふくれてしまうという衝撃的な事実を知った。私に何かできることはないのだろうかと思っていた。

中学・高校生くらいになると今度は地球環境の方に目が行くようになった。私の大好きなシロクマが住む氷が溶けていて、でも彼らは声を上げることもできない。彼らのために何かしてあげられないのだろうかと心が痛んだ。

もっと人間と地球が寄り添って共に幸せに暮らせないのだろうか。

高校生の時に学校で聴いた講演でその思いは益々強くなった。アフリカの砂漠に植林する活動をされている方のお話だった。森だったところを人間が薪にするために木々を伐採し、元に戻らなくなってしまい、植えても植えても木が育たず絶望を感じることもあると仰っていた。生活のためにそうせざるを得なかった人々を責めるわけにはいかない。でもやるせなかった。

学校を卒業し人と地球どちらにも関われる仕事を選んだ。人々に生まれた場所によらず均等な学びのチャンスを手にしてもらい、それによって得た知識で、地球やそこに住む生き物を保全していきたいという夢があった。

世界のあちこち、特に発展途上にある国や地域にに行き様々な環境に暮らす人々に出会った。
その中で気付いたのは彼らは私が思っていたよりも遥かに幸せに生きているということだった。既に時代が変わってきていたというのもある。しかし、それだけではなくて、物質的には恵まれていないかもしれないが、温かい心と助け合いの精神でそれぞれのスモールコミュニティの中でとても豊かに暮らしていた。言葉の通じない私を誰しもが笑顔で迎え入れてくれて、みんなで地面に車座になって、そこにはいつも笑いが溢れていた。

ただ、彼らの暮らしに過去には存在しなかったプラスチックなどが外の世界からやってきて、それらに対する知識や処理する費用を持たないまま、それらが散乱し堆積したまま放置されているのはとても悲しいことだった。それを彼らの責任というには酷だった。なんとかしたいと一緒に努力したが、ゴミの山の前に私にできることは限られていた。高校生の時に聴いた講演を思い出した。

その後私は手付かずの自然と大地が広がるカナダに住むようになった。そして、地球の力強さと包容力を肌で感じるようになった。人間世界と隔絶された自然界は実に豊かだった。
どんなに冬に気温が低くなろうともどれだけ雪が降っても、春には雪解けが一気に進み、寧ろその雪が水の流れを作り出し大地を潤して、その恵みによって夏には高山植物の花々が咲き乱れる。そしてまた秋になって冬になって、その循環は見事で美しいとしか言いようがなかった。

それで思う。確かに人間には無知なところがあるし地球のサイクルを乱していることもあるかもしれない。でも地球はそれ以上に懐の深い存在ではないだろうか。

そしてふと思い出して植林活動をされていた方が所属されていた組織のホームページを検索してみたら、ついに森が回復したという報告がなされていた。

人間が作り出したすぐには土に還らないものもある。でももしかすると人間が小さな努力を続けていれば、長い時間の中ではどうにかなるのかもしれない。地球の生命力を私は信じている。

豊かな地球と豊かな人々。その昔、誰かに切り取られて見せられた世界とは異なるものがそこにはあった。少なくとも私の目にはそう映った。

それで半年か一年くらい前だっただろうか、ある時私はもう卒業しても良いかなとふと思った。幸い今ではサステナビリティという言葉は一般的になっているし、取組んでいる人も格段に増えた。

ある意味物心ついた時からずっとあった人と地球というテーマはこうやってすうっと私の中で静かに幕を閉じた。だからといって何もしないわけではなく、関わり方が変わるだけ。

私の夢はいつか野生のシロクマに会うこと。
既に地続きの同じ大地にいる。
私の住む場所から直線距離で1,800kmほどのところに彼らは生息している。
その時何を思うだろう。

愛の循環に大切に使わせて頂きます💞いつもどうもありがとうございます!