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かわさきロボット競技大会について

どうも、ウクモリ ヒロオです。

この週末は、協賛しているロボコン2大会に参加してきました。企業ブースは社員に任せ、私は選手を含めた関係者の皆さんとの交流を通じ、ご縁を深めてきました。まずは2大会とも無事に終われたこと、本当に良かったです。関係者の皆さん、お疲れ様でした。今日は無事に終わった「かわさきロボット競技大会」については、是非とも語っておきたいサイドストーリーがあるので、白熱したあの余韻に浸っている状況下で書き残しておきたいと思います。

かわさきロボット競技大会(かわロボ)は今回で29回目を迎えましたが、今回かなり大きな転機を迎えていました。なにかというと、これまでは川崎市と川崎市産業振興財団が主催していたのですが、今回から「かわさきロボット競技大会実行委員会」の主催へと変わりました。会場で配っていたパンフレットは、見かけは昨年まで配っていたものとほとんど変わっていませんが、川崎市は後援の枠に記載されていることに気付きます。

どういうことかというと、簡単にいえば川崎市が主催していた「かわロボ」は、昨年がラストだったということです。

すでに成功したからこそ言えるのですが、実はかわロボを残すべく、ここ数年様々な動きがありました。結果、実行委員をやっていた方々が中心となり、「かわさきロボット競技大会実行委員会」を設立。今年から実行委員が軸となり運営をしています。なので、今年のかわロボは全く別組織が運営していたと言っても過言ではない状況下で開幕しました。語弊が無いように補足しておくと、川崎市産業振興財団が全く関わっていない訳ではなく、しっかりと側面支援は続けてくれています。なので、問い合わせ先は財団さんのままだったりします。

私は、今年のかわロボがそんな背景で開催されていることを知っていたので、運営に関わっていた方々には心からの感謝しています。選手の方々も気付いたかと思いますが、レジェンド級のOBが競技には出場せず、競技台周辺で運営側の回っていたのはそんな背景があります。彼らが、かわロボを熟知しているからこそ、新生かわロボの大会運営がスムーズだったことを、現役選手の皆さんには知っておいて欲しいです。

大会最後、実行委員長の五味渕さんから、来年の30周年記念大会はルールを大幅に変更すると発表がありました。「誰にでも分かりやすく」という言葉の真意は、かわロボをこれからも末永く継続していくためには、時代の変化に対応した大会として裾野を広げたい・・・そんな決意表明だと私個人として受け止めました。

最後に大切なことを、多くのかわロボを愛する方々に伝えたいのですが、実行委員会が運営するということは、端的にいえば「赤字では続けていけません」。私の会社は協賛し続けますが、スポンサーが今年と同じように集まるかどうかも分かりません。なので、学生の皆さんやOBの皆さん、そしてファンの皆さんも、自分がかわロボに対してどんな貢献が出来るのかを考え、実行に移して欲しいと思っています。

コロナ禍に中断があったことを換算すれば、歴史的には30年以上続いているロボット競技大会になります。第1回は、スタート台から競技台に進めただけで優勝出来た時代から、俊敏さが勝敗を分ける時代へと移り変わってきました。そして、多くの名勝負が生まれる中で、選手が喜怒哀楽を共有してきました。かわロボの素晴らしいのは、世代を超えてお互いに敬意を払っている文化があることだと、私は考えています。

私自身、ジュニア大会で息子のサポートをしたことがあるものの、選手として出場した経験はありません。ただ、大会をサポートする側で会場に行き続けていたら、気が付けばご縁ある選手が多くなりました。今回も含め、ここ最近は知り合いの選手が優勝しているので、自分ごとのように毎回喜んでいます。

そんな文化をはぐくんできた「かわロボ」。これからは、皆でその文化を継承していく時代に突入します。誰かが・・・ではなく、愛する人全員で・・・そんなスタイルが良いんじゃないかなと思っていますが、いかがでしょうか?このnoteを、多くのかわロボ参加者に読んでもらいたいと思っています。

こんなことを語りつつ、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝!

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