吉田大八「敵」(2025)108分が怖すぎた
東京国際映画祭で3冠に輝いた作品である。私も同映画祭で見たのだが、見た直後は「ううむ」という感じであった。上映後に吉田監督が「筒井康隆はバイブル」と発言していたが、それについてはまったく同感だったのだが。
でも、今頃になってじわじわとこの映画の怖さが伝わってきているように感じる。まず、映画冒頭の長塚京三演じる元教授は、規則正しい日常生活を送っている。まるで「Perfect Days」の役所広司のような、丁寧な生活だ。
朝起きて、髭を剃って、歯を磨く。凝った料理も自分で作る。その元教授のもとを、教え子の美人編集者が時々訪ねて来る。時には、凝ったフランス料理を披露する。また、この元教授は難しいフランス古典の連載記事も書いている。そう、どうやらフランス文学の大家らしい。仏文の私は、そろそろニヤニヤし始めている。近所で、犬の糞をめぐって喧嘩が起きると仲裁に入るなど、元教授は人格者でもある。
ところがその順調だった老後の生活が、徐々にほころびを見せてくる。死んだ妻も登場し、いよいよ訳がわからなくなる。この辺り筒井ワールドのいつものパターンなのだが、知の専門家が妄想にとらわれ、その境界線を失っていく。
観客はその主人公の葛藤と絶望を、ただただ傍観することしかできない。いつしか自分にも訪れるかも知れないその恐怖が、ジンジン沁みてくるのだ。
どうすればいいのだ、どうすれば!?