ハーゲンダッツとスワンプマン

一度溶けたハーゲンダッツは、二度とハーゲンダッツに戻ることはない。

滑らかな舌触りは破壊され、高度にデザインされた粒子の並びは完全に別のものに作り変えられている。

僕がブロンクスの家に住んでいたころの話。

外に行く機会が少なかった時期、ハーゲンダッツのアイスクリームをよく買っていた。

ある時、近くのデリで、バーボン&ピーカンナッツのハーゲンダッツアイスクリームを買い、僕はそのフレーバーをすっかり気に入ってしまった。

僕以外にそのフレーバーを買う人はいなくて、人気ないのかな、レジ前の冷凍庫の中に積まれたそのフレーバーの"タワー"は、僕が購入する以外の方法で低くなることがない。

一度低くなったタワーは、僕がそのフレーバをすべて買ってしまうまで、再び積まれることはない。

つまり、バーボン&ピーカンナッツは僕だけのフレーバーなのである。

僕がそのタワーから手に取った3つ目までは、紛れもなく僕の愛したバーボン&ピーカンナッツの"ハーゲンダッツ"であった。

しかし4回目、つまり上から4つ目の、そのフレーバーを買う時、違和感があった。

底がへこみ、パッケージは微妙に汚れていたのだ。

上から5つ目、6つ目も、へこんだり、汚れたりしていた。

しかし、近くの他の店ではそのフレーバーを扱っておらず、特に気にせずに購入した。

そして、楽しみに蓋を開けたとき、その異変が想像以上に重大なものであったことに気づかされた。

その物体は、ハーゲンダッツの見た目をしておきながら、中身は”ハーゲンダッツだったもの”に変容していた。

一度溶けた後、再び凍らされたアイスクリーム。

いわば、ハーゲンダッツのゾンビだ。

僕はハーゲンダッツのゾンビを、定価で買わされたことに腹が立った。

ニューヨークの小さなデリでは、値段から商品管理まで、全て店のオーナーの責任である。

それゆえに、日本のお店では想像しがたい出来事も体験できる。

一度、クイーンズのあるインド系のデリで体験した"恐い"話をしよう。

僕がニューヨークに来て初めて住んだのは、クイーンズにある小さなシェアハウスである。

近所を散歩していた時、インド系のデリを発見した。

ニューヨークにはセブンイレブン以外に日本にある様なコンビニはなく、大抵は”デリ”と呼ばれる小さなお店に、お菓子やお酒を買いに行く。

僕は知らないスパイスを買うのが好きなので、少し嬉しかった。

店に入ると、野菜の入ったかごが直接ゴロゴロと床に置いてあった。

ハエも飛んでいる。

うーん、衛生的な店とは言い難かった。

しかし、それもまぁ店の個性だろうと受け取った。

今思えば、"その"気配は既にあったのだ!

見たことのないソースやスパイスを買い物かごに入れた後、棚の上に積まれたスパムの缶詰に手を伸ばした。

缶詰の蓋に触る直前、僕はある違和感を感じて手を止めた。

蓋の上で何かが動いた気がした。

缶詰の上にホコリが見える。

ホコリが揺れたのか?

いや違う、ホコリじゃない、生き物だ!

タイ米の様な大きさの、ウネウネとした白い幼虫!

なんで缶詰の上に幼虫がいるんだよォッ!

もし気づかず触っていたらどうすんだよォッ!

ありえない!

商品管理の行き届いた日本のコンビニの様な環境では、決して起きる筈のない恐ろしい出来事に、僕は戦慄し、状況を理解できずに硬直してしまった。

当然、僕がそのデリに二度と行くことはなかった。

という具合に、ニューヨークのデリというのは店主の性格を反映している。

几帳面な店主のデリは床がきれいで棚に少しのホコリの積もっていないが、だらしない店主のデリでは、さっき話した様な事件が起きてしまう。

酷いときは、隣のデリで2ドルで売っているジュースを、平気な顔して4ドルで売るようなデリもある。売る気あんのか?

とまぁ、クイーンズの様に様々な文化が雑多に絡み合った空間では、このようなお買い物体験が簡単にできる。

僕はアメリカに来る前、アメリカの町で次々に起きている、ある事実に関心を持っていた。

ウォルマートの様な量販店が、それぞれの町の経済の仕組みを均一化させ、町から個性を奪い取る、という事実だ。

個人営業のカフェが潰れて、スターバックスが増殖する現象に近い。

そういった流れは、新たな生物種によって、環境の生態系がまるっきり塗り替えられるような、都市の中にある有機性を感じさせる。

アメリカに来る前は、そのウォルマート問題を私はネガティブに捉えていて、むしろ、資本主義の中にある悪だと認識していた。

僕の地元の天草はすごく田舎で、小学生の頃までは、街の方に行っても、個人営業の小売店が多く残っていた。

小学生の頃までは、スーパーマーケットやショッピングモールよりも、商店街で買い物をすることが多かった。

しかし、その地元の商店街は、大型量販店が近くにでき始めて以降、活気のないシャッター商店街へと変わっていった。

町が塗り替えられていく様は、形容しがたい悲しさを感じさせる。

だから、それを戦略的に行うウォルマートを悪だと無意識的に感じていた。

同時に、日本にいたころは、自分がコンビニのヘビーユーザーだっただけに、コンビニという仕組みにも関心を持っていた。

僕はコンビニが好きだったが、コンビニのある景色が、日本の持つ均一化された社会構造を象徴しているように感じていた。

しかし、その"缶詰の上にうごめく虫事件"以降、僕の価値観は反転した!

徹底管理された小売店のなんと素晴らしいこと!

床は常に綺麗で、商品棚にホコリが被っていることもない!

レジで会計をちょろまかすことだってない!

企業努力を怠らない姿勢があれば、他の問題はいいじゃないか。

そう思えるようになった。

競争で小さな店が巨大資本に潰されようが、それは自然の摂理なのだ。

何かが消えてなくなる背後には、その理由があるのだ。

そう思うようになった。

ハーゲンダッツの話に戻そう。

アメリカといえど、大きなサイズのハーゲンダッツを買うと6ドルはする。

安い値段ではない。

僕は6ドル払って、ハーゲンダッツのゾンビを買わされたのだ。

さっき話したように、ニューヨークのデリは、店の管理がすべてオーナーの手に直接ゆだねられている。

何らかの理由で冷凍庫の電源が落ちて、アイスクリームが溶けてしまっても、そのまま何事もなかったかのように冷凍庫に戻して、同じ値段で売ることもできるのだ。

或いは、一度アイスが溶けたことにすら気づかず、そのまま売っているという可能性もある。

ひいきにしていたデリだけに、残念な気分だった。

そのデリに対する信頼は、ハーゲンダッツと共に溶けてしまった。

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