見出し画像

私の学びなおし ー自分を好きになりたくてー

自分を嫌いになった日々から決別したい


2022年2月。
10年間、看護師として働いていた病院を退職した。
決して円満な退職ではなかった。

退職するときの私は、心も身体もボロボロな状態だった。
今は内服がなくても夜は眠れるようになった。
突発性難聴を発症した左耳は聴力が完全には戻っていないが、日常生活に支障を来すような不調はなくなった。

退職する前、
「私の10年間はなんだったんだろう」
と何度も考えた。
詳細は避けるが、あまりにも悲しい終わり方だった。
組織に属していたとしても、自分で自分の社会的立場も守らなければならないことを30を過ぎて学ぶことになった。
自分の心を守ることができるのは自分自身なのだと、痛いほど知った。

退職しようと決めた時の私は、信頼できる一部の人以外は敵に見えてしまっていた。
「人の良いところを探すこと」を大切にしていた自分はいなくなってしまった。
そんな自分が大嫌いになった。
ここにいれば、どんどん自分を嫌いになる。

好きではない相手に上手に媚びたり、上手く付き合えるような賢い人間ではない。
自分の中で「退職」と決めた時、当たり前に看護師として働くものだと思っていた。

しかし、退職して現実を知ることになった。看護師として働くためには、子どもに合わせられる職場が少なかったのだ。以前は7時過ぎに子供を保育園に預けて、19時近くにお迎えに行く。土曜日も時々働き、日曜日も人がいなければ働くことがあった。
子どもとの時間を犠牲にしても、自分の心身を犠牲にしても、結局、私の看護師としての10年は虚しい終わり方だった。これからは子どもと過ごす時間を増やしたい、そのことに重きを置いて転職活動をした。


現実は甘くなく、始業時間が短時間保育であれば調整がつかなかったり、子どもの体調不良などで急な休みの調整がつきにくいため、不採用となることが多かった。
転職活動をしているとワクワクよりも不採用となるたびに自信をなくしていた。不採用の連絡は、自分自身を顧みる機会となった。
はじめは「色々なことがなければ退職することはなかったのに」「退職してからもなお、どうしてこんな思いをしなければならないのか」どこかで「人のせい」にしている自分がいた。
そんなことばかり考えていると自分の心が保てなくなりそうで、忙しいを理由に出来ていなかった読書や、週に1回、農業のお手伝いに行くことにした。少しだけ考えること、自分や色々なことと向き合うことから逃げたかったのだ。

読書をしている時は不思議と余計なことを考えず、あっという間に時間が過ぎた。読後感というものを久しぶりに経験した。
小中学生の頃は毎日1冊以上、本を読んでいたのに、いつからか携帯電話やスマートフォンに魅力を感じるようになってしまったことを思い出した。

農業のお手伝いは、無農薬農家の草むしりが主だった。太陽の光を浴びながら土に触れる時間は、疲労感がありながらも達成感や、心も太陽を浴びたように元気を貰える時間だった。

少しずつ、毒が抜けたようになり、看護師をしていた日々を思い出すと、「私が人として至らぬところが多かった結果が招いたこと」だと考えるようになった。

看護師をしている時の自分は「患者さんのために努力することは当たり前」だと思っていた。
若手の時に中間管理職に就いたことで、更にスタッフ模範になれるようにと思い、自主学習や研修、努力を怠らないようにしていた。
しかし、いつからか自分が思う「努力」をしない人に対して受け入れられなくなった。
命を預かる仕事なのに甘えていていいのか、と言わずとも態度に出てしまっていることもあったと思う。
人それぞれ「努力」の仕方は違うことを分かっておらず、自分の物差しで人をみていたり、人に対して尊敬の気持ちを持つことができていないこともあったと思う。
至らない自分が恥ずかしく、情けなくなった。
自分を変えなければ、また同じ失敗をすると思った。

子どもに合わせた環境や、こんな至らない自分が看護師として働くことが許せなく、看護師から離れることを決意した。


私がやりたいことは?


看護師以外にやりたいことはなんだろう。
そのタイミングで「学校司書」の求人を見つけた。
「資格必須」であったが、「資格取得見込みのある者」でも可能であることを知り、司書の資格取得について急いで調べた。私の場合は専門学校卒業であるため、大学への編入学が必要。通信制大学で資格が取れるとしても、そこまでして私は働きたい仕事なのか。
求人の期限が迫っていた。動きながら考えるしかない。
家族に看護師から離れること、大学に通うことを相談すると「学ぶことは良いことだから」と快く承諾してくれた。
卒業校へ編入学に必要な必要書類を慌てて依頼し、いくつかの大学に問い合わせ、入学準備をした。
学校という現場で働くことも初めてなうえに、司書という仕事も初めて。看護師の時よりも所得も下がる。
それでも、小中学生の時に自分の心の居場所になってくれていた本に携わる仕事をしたいと決意が固まり、求人に応募した。


いくつになっても学びなおしたい


32歳で晴れて大学4年生となった。
そして、学校司書として働きはじめた。

32歳で大学生、学校司書としては新人。決して、容易いものではない。
大学は、スクリーニング授業と単位認定のためのレポート提出があり、土日は家で授業を受ける。平日、子どもが寝た後はレポート提出のための学習。
スクリーニング授業の際には、子どもも時々、一緒になって勉強することもあり、字を書いたりしている。
大きな声では言えないが、子どもが「『め』ってどうやって書くのー!?」など授業構わず話しかけるので、授業を聞き漏らしてしまうこともある。
子どもにはなるべく負担をかけさせないようにとは思っているが、家族の協力が難しい時もあり、いかに子どもと楽しく過ごしながら授業を受けられるかも私の大学生活の課題である。

そして、学校司書として新人となり、学ばなければならないこと、覚えることが山ほどある。20代の看護師として新人の頃と違い、覚えるのは遅いのに、悲しくなるほど忘れるのは早い。
辛いこともあるが、生徒たちの頑張りや輝く姿に元気を貰う日々。
「人として」学校の先生方からは学ぶことが多くある。生徒に対する言葉がけ、職員間でのやりとり…
看護師時代の自分を反省することばかりだ。

看護師から学校司書になり、私の世界が大きく変わった。学びの日々だ。

子育てが少し落ち着いたら、また看護師として働きたい気持ちもある。
しかし、人とは欲が深いものなのか。
学びたい欲が沸々と湧いてしまい、大学を卒業したら次は、看護師のスキルアップとして「ケアマネージャーの資格も取りたい」と思っている。


32歳にして「学び直し」。
なぜ学ぶのか、学びたいのか。

私の場合は、「自分に自信を持ちたい」「自分を好きになりたい」からである。
資格を取得することであったり、興味のあることを学ぶことで「自分の自信」になる。
母親になって「自分の時間」は減ったように思う。
外見の手入れは行き届かないところもある。
それでも、学ぶこと、自分の知識という内面としての自信を年齢や、母親だからということで諦めたくなかった。

知識というものは、時に自分を守ってくれる。
新たな環境で「人として」学ぶことも、自分を人として成長させてくれるはずだと信じている。
そして、学んだり、努力した軌跡によって「頑張った自分」を好きになることができるはず。
そう信じて、私は学び続けたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?