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恋をするのに教室なんていらない

僕の人生にモテたいという衝動が芽生えたのは6歳だったと思う。それは初恋が6歳だったと記憶しているからだ。

もしかすると記憶にないだけで、好きな異性の子は幼稚園にも存在したのかもしれない。漫画のキャラクターのように「結婚の約束をした可愛い幼馴染がいたはずだ」と心底信じ、幼稚園時代のアルバムを引っ張り出して血眼になって証拠写真を探している時期もあったが、痛い妄想を供養するためにも僕の初恋は6歳だとここに断言しておく。

世間一般の統計と比べて6才の初恋が早いか遅いかはわからない。ただ、その時の映像の記憶は薄くても、感情の記憶は強く残っている。近くにいると胸がドキドキして、その子の前では自分を強くみせたくて、その子が悲しい顔をしていた時に何もできなくて、歯痒くて歯痒くて、悔しかったのを覚えている。

かといって、一緒に苦楽を共にしたような強いエピソードがある訳ではない。同じ幼稚園出身という訳でもなくて、学校のクラスも同じだった訳ではない。

小学校の校門付近でよく挨拶をした。それが、僕とその子が1番多くの時間を過ごした場所だった。

とある朝、校門付近でいつものようにその子を探していた。といっても、草むらをかき分けて身振り手振りで探していたのではなく、目線だけでチラチラ確認するだけだった。

今日はいないか、と思った矢先。

「おーはよっ」と元気一杯の声と共に僕のランドセルごと背中から抱きつかれた。

その日ばかりはちゃんと「おはよう」を返せたのか記憶がない。ドギマギしてドギマギした後にドギマギしたことだけは覚えている。その子は確かに天真爛漫ではあったが、そんな大胆な行動をする子ではなかった気がする。気がするのは思い返している今の自分で、当時の僕は好きな子の行動にいちいちなぜ?という疑問が浮かぶような思慮深い脳を持ち合わせていなかった。

とにかく、僕にとってはそのスキンシップはとても印象深く残っている。心臓が脈打つように高鳴ったし、この子のことが好きなんだという気持ちは間違いないものになった。

そして、その数日後にその子の苗字が変わったことを知った。

当時、自分の苗字が変わることがどういうことなのか、詳しくは理解できなかった。

当事者以外は呼び方が変わるだけ。名前呼びの子や名前にまつわるあだ名ならば、何も変化は起きない。しかし、歓迎するようなイベントではないことは理解していた気がする。

その子の苗字が変わったことを僕と同じクラスの男子は誰も知らなかっただろう。小学校1年生で違うクラスの女子の事情なんて知るよしもないはずだ。僕にはその子と仲の良かった子がこっそり教えてくれた。

良い方向に考えれば、僕とその子が仲が良かったことを知っていたので親切で教えてくれた。もっと都合よく考えれば相思相愛だったのかもしれない。反対に、教えてくれたその子とは顔見知りではあったので、ただの噂話好きの延長戦で教えてくれただけかもしれない。

真実はわからないが、事実としてその子からいつものような笑顔は見えなくなった。とはいえ、僕からみた彼女の印象のすべては朝の登下校の姿に集約されているので、偏っていると言えるだろう。

苗字が変わってから1度だけ校門で挨拶をした。その子は僕の先入観よりも元気に見えて、僕の胸は高ぶった。そして無神経にも苗字の件を聞いた。理由はわからない。もう少し話たくて、すぐに浮かんだ話題がそれだっただけなのかもしれない。
ただ、自分の気持ちだけを優先した浅はかな選択は、目の前の好きな子の表情を曇らせた。悲しい顔をさせたのは僕だ。

そんな後悔を残したまま、その子は数日後に転校して行った。

小学校1年生にとって「転校」という漢字二文字は圧倒的な力を持って君臨する、暴虐王だった。現れれば即サヨナラ。誰も抗うことは許されない。また会える希望はない。そう感じさせるほどの存在だった気がする。

そういう気持ちもあって、追いかけるという発想なんぞ浮かばずにすぐに諦めはついた。常に一緒に過ごしていた訳ではないから日常も変わらない。いつもの友達といつものように遊ぶ毎日。

ただ、少しの間だけ、朝の校門前であの子を探してしまう癖は治らなかった。

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