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アカデミアを離れて海外企業に転職するには

イルミナ株式会社マーケティング
花岡秀樹

■アカデミアから産業界、そして海外企業へ

現職へ転職決めたのは2018年4月、産業界への転職を決めたのは2007年3月です。日本の大学で博士研究員をして5年ほど経った時に、「博士研究員という同じ立場を繰り返すことはそろそろやめよう」と、産業界へ転職しました。その後、米企業のサンフランシスコオフィスで働く機会に恵まれました。現在は日本で外資系の企業で働いています。

■就職成功の秘訣は?

転職支援会社のエージェントを活用させていただいてます。
就職に成功した秘訣は、自分の知識や経験を、存在しているポジションに対してどう活かせるかという視点を持つように努めたことかと思います。

■他の進路と比べて迷ったりしましたか?

はい。節目節目で迷いはあります。基本は「やらない後悔よりはやって後悔」という基準で判断しています。

■今の生活の満足度は?

生活の満足度は98%、文句をいったらバチが当たると感じるくらいです。
アメリカに残って仕事を続けていたら?アカデミアの仕事を続けていたら?と思う部分でそれぞれ1%不足にしています。
新しい技術が社会に導入されていくのを促進する仕事というのは、やりがいがあります。
夢は、ゲノム医療が難病やがんの分野でもっと当たり前のように使われて、苦しむ・困る人が激減する社会を早く実現することです。
それとプロ野球オーナーになって近鉄バファローズを復活させることです。

■おわりに

何かを始める上で遅すぎるということはないと思います。海外で現地資本の企業で働くという経験を、ぜひより多くの人に体感していただきたいと思います。『海外就職のすゝめ』企画を通し、出来るだけ多くの人が研究の世界に触れると同時に、狭い視野に囚われず活躍していく一助になれればと思っています。

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花岡さんの詳細なキャリアについては、UJAフリーマガジンGazette第6号にて新連載された『海外就職のすゝめ』の第一弾として掲載されています。転職のコツや海外と日本の企業勤務待遇の比較など、内容盛りだくさんです。ぜひご一読ください。

こんにちは。花岡と申します。日本の大学などで博士研究員をしてから産業界に転じ、2015年から2018年まで米企業のサンフランシスコオフィスで働く機会に恵まれました。当時のオフィスにいる日本人は、実質私1人しかおらず、こんなにいい環境があるのだから、日本人研究者にもっと産業界に来て欲しい、アメリカで働く仲間が増えて欲しい、と常に感じていました。
今回、UJA Gazetteの紙面をお借りし、『海外就職のすゝめ』第1弾として、海外就職の実際などをお伝えできればと思います。研究経験のある方は、国境を越えて就職しやすいと思います。皆様のキャリアパスを考える上でご参考になるところがあれば幸いです。

海外の企業で働くことになった経緯
私の場合、まず日本の産業界で働くことになり、その後、海外へ出るという経緯をたどりました。博士研究員をしながら5年ほど経ったときに、「博士研究員という同じ立場を繰り返すことはそろそろやめよう。次のポジションは、アカデミアなら常勤、テニュアトラック。または、産業界でのポジションを探そう」と決めたことがきっかけでした。そのような心境に至った理由は(1)年齢が30歳近くなり、産業界へ出るにはタイムリミットが近づきつつあるなと判断したこと、(2)家族が増えて幸せな意味で自由度が下がったこと、(3)講義が持てないなど常勤でないと入れない世界が多々あると感じたこと、などがあります。

もしも、(花岡さんに)何かもっと詳しく聞きたいことなどありましたら、ぜひ『海外就職のすゝめ』専用質問フォームより、お気軽にお問合せください、必ずご返事いたします。

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