日本人研究者インタビュー企画 シンシナティ大学 佐々木敦朗さん
シンシナティ大学の医学部の准教授、及び慶應義塾大学先端生命研究所の特任教授、広島大学客員教授として活躍される佐々木 敦朗さんにインタビューを実施しました。海外へポスドクとして留学し、山あり谷ありの研究ライフの中で様々なメンター、友人と出会い、研究室を主催していくまでのPhilosophyが詰まった内容となっております。How are you? FANTASTIC!!!!
-どのような研究をなさってるんでしょうか
細胞のエネルギーの研究をしています。エネルギーというとATPなどを思い浮かべると思います。我々は、グアノシン3リン酸(GTP)に注目しています。GTPは細胞内の量が様々な条件により、ATPよりもダイナミックに変化します。我々は、GTP量が細胞の“元気度”をきめる重要なエネルギーであることを捉えています。このGTPエネルギーの変化がもたらす仕組み、そして変化の結果起こることが、何なのか、癌細胞と正常細胞などを用い比較することで研究をしています。我々のチームのユニークな点は、NMRやX線結晶構造解析などによるアトムレベルから、細胞内分子、シグナル伝達、細胞のふるまい、そしてマウスまで一貫した研究を行う体制です。こうした体制で行う研究はまた非常に面白いです。共同研究としても進化をやられている方、ショウジョウバエ、特殊な顕微鏡、ビッグデータを扱う方など多くの方と共同研究、チームとしてプロジェクトを進めています。
-シンシナティ大学のラボはどのような感じですか?
メンバーは、3〜8名の規模で研究をしています。メンバーとは毎週のラボミーティングがあったり1つ1つの実験のデータを交換しあったり、データを見せてもらいながらいろいろ質問したりして、一緒に考えていくスタイルを大切にしています
-研究者として独立するまでの道のりはいかがでしたか?
僕の場合は道なき道をやって来たな、と思います。勢いだけで海に飛び込んで、クロールして、違う島に行ったり、漂流したり。気合と思い。それでやってきたなと思います。アメリカで研究者を持つぞと、留学するときには決めていました。最初はUCサンディエゴ(UCSD)にたどり着きました。
大学院のときからGTPに絡んだ研究をしてきました。でも、GTPがエネルギーっていうふうに考えたのはごく最近になりますね。大学院ではウェスタンブロットの日々で、僕にとり生命は白と黒のバンドの動きでした。留学では細胞の動く仕組みをテーマとして研究してみようと思ったんです。具体的には細胞が動く先をどのように決めて、細胞内の分子機序を連動させて動いているのかを研究しました。約3年のUCサンディエゴでの研究で幾つか重要な発見をすることができ、次にボストンのハーバード大のLewis Cantley博士のラボへセカンドポスドクとして移りました。何か自分が開拓していく新しいテーマを探すため、ありとあらゆることを試した7年間でした。ある日GTP量が細胞の中で変化すること、GTPは細胞のエネルギーだということ気づきました。GTP量を制御し、なにか感知するセンサーがあるのではないだろうか?そうしたシステムは生命活動の根源的なことを支えているのではないだろうか?「そんなものがあるならとっくに見つかってるよ。」「クレイジーなアイデアだ」などの声もありましたが、その仮説に僕は魅了されたんです。自分のこれから先10年20年をかけていける、 そうしたテーマに巡り会えたのは本当に幸運でした。
独自のテーマはなかなか見つかるものではありません。でも、目の前のことを一生懸命取り組んでみるといろんな世界がひらけてきます。僕の尊敬する月田承一郎先生という細胞接着因子のクローディンを世界で初めて発見された研究者の方がいらっしゃいます。先生が例えられるのは、研究者というのは山に向かって旅をしていると、そこの山は有名で沢山の人が目指している。ただ、ある時ふと遠くを見ると別の山が見えることがある。自分にはしっかり見えるのに、どうも周りの人には見えてないようだ。勇気をだして、道を外れて遥か彼方に小さく見える山へ向かうとそれが自分の道になると。そんな感覚は、僕には非常にマッチするものでした。
-どうやって研究仲間を見つけていますか?
僕たちのGTP研究を聞いてもらうことから始まることが多いと思います。研究を進めるなか、色々な疑問が湧いてきます。そんな時、その専門知識を持つボストン時代の友人や、日本で知り合った友人、UJA活動をともに行う仲間に、未発表のデータなど研究話を聞いてもらうんです。色々話すと波長が合う人っているんですよね。サンプルがあったら一緒にみましょうかとか、今度こんな機会があるので一緒にどうですかとか、そんな流れになる時があるんですよね。 それはやはりお互いに何か惹かれ合うものとか、共通の興味とかそういったものがあったときに起こるんだと思います。共同研究をしていくための授業は、高校はもとより、大学、大学院でもきっとないように思います。少し脱線しますが、恩師のLewis Cantley博士の話をさせてください。
人間はみたものに引かれる性質があると思います。たとえ、かけ離れていても、何度も見ていると真似して覚えるんです。もともと、僕はネガティブ思考がものすごい強く、そうした時期が長くありました。僕がサンディエゴからボストンに移った先のメンターのルー(Lewisの愛称)は決してネガティブなことを言わないんですよね。ほんとルーが、何を言ってもカッコ良かったんですよね。すべての理想というか、モデルみたいなのがあって。考え方とか、人との接し方とかそうしたものを7年の間、間近で見させてもらえた。それが僕のいろんなものを決定的に変えてくれた幸運な出来事の1つ でした。どんな時も本当に明るくてね、ジョークに変える、立ち振る舞いが 本当に 花が舞うかのようにかっこいいんですよ。ダンスも抜群に上手いし、 家でのパーティーに行くと家の壁は全部本棚でした。すごい教養もあり、そして人間味があるんです。そうした人との出会いは、成長するのにものすごい大事だと思っています。また、ボストンでは研究者の仲間で出会ったことも大きなイベントでした。3度の飯より好きな4人が集まって、それが日本人であって日本語で話すと、いろいろなニュアンスも伝わり易くて、日本人の研究者の仲間としてどんどん広がってコミュニティができました。いざよいの夕べ勉強会といいます。私がGTPの面白さに気づいたのも、いざよいの仲間とのディスカッションがきっかけですし、独立への道を教えてくれたのもいざよいの仲間です。こうした出会いの中、ともに研究をしていく方法について、少しずつ学んできました。
-ご家族との海外に行ってからの思い出はありますか?
研究が大好きなんですけど、ボストンでは、いざよいの仲間もでき、最高に楽しい研究三昧の日々でした。僕が35歳のころだったと思います、妻より「子供2人のことを考えると今の給料ではやっていけない、独立して研究室を持つならあと1、2年でなりなさい。そうしなければ日本に帰りますよ」と言われました。研究室を持つと口で言ってただけで実は行動が止まってたんですよね。僕の中で、ギヤがはいった日でした。行動すると心構えやビジョンも備わってきました。
-次の10年20年どのような夢を持っていますか?
大まかに描いている夢ですが、GTP研究を世界に展開していきたいと考えています。ここまでに、我々はGTPについてもいくつか 大きな発見をすることが出来て、2016年にMolecular Cell誌、2019年にはNature Cell Biology誌に報告することが出来ました。それらの発見は、我々の中ではGTP研究の中のまだまだほんの一部で、GTP研究の夜明け前にいると思っています。世界の人々にGTPの面白さを伝えて、1つの分野を作りたいという目標を持っています。
-研究者を目指す、海外で目指す人へのヒントはありますか?
自分の心持ちで見える景色は変わってきます。人間はほおっておくと心配や不安ごとを考えるのだそうです。幸せは自分次第、その鍵は感謝にあると僕は思います。幸せな気持ちでいると、共同研究者とも、お互いいい感じになって一緒にやろうっていう気にもなってきますよね。カラ元気だっていい んです。僕は幸せの閾値をすごい低くしてるんです。How are you?と聞かれると、僕は「Fantastic!」と答えるようにしています。実験がうまくいかなくても、熱があったっていいんです。いつでもFantastic!と答えます。これがうけるんですよ。これを言って困ったことないです。言い得です。アメリカ留学を考えている人にはオススメします。Always Fantastic!! そこにヒントがあると僕は思います。今日は有難う御座います。
(文責:早野元詞)
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