「スケジュール管理」ってみんな一体何を管理しているのだろう
こんにちは。手帳めくリエーターのharukaです。
なんかちょっと場合によっては感じ悪めに受け取られてしまうかもしれないタイトルで始まった今日のお話です。なんかすみませんね、冒頭から。へへ。(ヘラヘラしている)
書く前に、やりたい時に
最近ね、本当に「スケジュール管理」という言葉から遠ざかった手帳の使い方をしています。いや、最近でもないか。結構前からかも。
はるにち手帳は「日々を愛でる」という部分をメインに書いているので、「時間を有効に使おう!」とか「スケジュールを管理しよう!」みたいな気持ちがどんどん薄れている。(もちろん時間は有効に使いたいけれど)(時間ほど使い方の難しいものはない)
だってね、楽しくないもん、管理。
もちろん、手帳で時間の無駄を省くとか、やらなければならないことを入れ込むとか、そういう姿勢は大事だと思います。
やりたいな〜と思っていることをスケジュールに入れ込まなければ、叶えたいことがいつまでも叶わないのは当たり前のことだしね。うん。
でも、それを「管理」的にスケジュールに入れ込んだ途端、私の中の「やりたくないスイッチ」が自動的にオンになり、たった5分で終わるような作業なのに、ダラダラしちゃいたくなるの。
仕事ならできるんだけど、自分のこととか家のことだと、どうも苦手。
まずスケジュールというか、「タスク」的なことで言うと
例えば「誰かにメールする」とか「Amazonでインスピックのシート買う」とか「住民税の封筒を開けて中身を確認する」とかそういう小さいの。
取り掛かったら、5分よ。いや、5分もかからないね。秒だよ。秒。
なのに、ものすご〜くやりたくないの。でも、いつかはやらなきゃいけないってわかってる。
前もどこかに書いたけど、「やらなければならない」には「あ〜やりたくないな」が隠れているのです。
やらなければならなくなった途端、元々は「やりたい事」だったのに、「あれ、ちょっと面倒くさいかもしれない」となるマジック。ミステリー。サスペンス。(言いたいだけ)
だから、「あ!」と思い出した瞬間に、その気持ちが乗ってる時に、ささっとやってしまう仕組みを作るのが一番良い。
「誰かにメールする」なら、その誰かを思い出した瞬間に。「Amazonでインスピックのシートを買う」なら、シートがなくなりそうだとわかった瞬間に。「住民税の封筒を開けて中身を確認する」なら、ポストからそれを家の中に持ってきた瞬間に!!!
いやそんなの当たり前でしょ、と、そういう細かい作業を面倒くさいと思わない党の人々は思うかもしれないけど(党があるらしい)(ないよ)
細かい作業を面倒くさいと思う党代表の私からすると(代表だったらしい)すこぶる面倒なので、いちいち「今!」と思わないとできないのです。
それを手帳に「やること」として書くと、結構数日寝かせがち。
寝かせると、面倒くさい心が発酵していってどんどん大きくなるので、消化するにもエネルギーがいる。
でも、自分のリズム的に「目標を達成するのに良い日」に関しては、逆にどんどんやることを書き出します。
どれだけささやかなことでも、書く。
この日は比較的ストレスなく終わらせられるというか、終わらせることが楽しい!と思いやすい。
スケジュール管理とは
まぁそういう細かい作業に関しては、今やる!を心がけるとして、「スケジュール管理」って何なんでしょう。みんな、何をそんなに管理しているの?(純粋ぶりながらトゲトゲしい問いかけ)
私がほぼ日手帳のマンスリーページに書いている「予定」っぽいことや、人々がスケジュール帳に書いてそうなことというと
・友達と遊ぶ予定
・お仕事の会議の日時
・旅行の日程調整
・仕事の出張の予定
・自分との約束(ここにあそこ行こうとか)
・子供の学校関連のイベントごと
などなどでしょうか。探せばもっとあるけど。
仕事の予定とプライベートの予定を混ぜて語るのは少し無理があるので、まず仕事寄りな話をすると
これらの「予定」はただ「手帳に書いた」というだけなことが多くて、予定が変更になれば修正テープで別の日に書き換えたり、変動しやすい予定な場合は付箋にメモしたものを動かすだけだし、「管理」なのか…?という疑問が常にある。
そもそも「スケジュール管理」というと、「きちんと把握して、無駄を省いて、いつまでに終わらせるのかも決めて…」みたいな
「自分で時間をコントロールしてる感」のあることな気がする。仕事や育児やプロジェクト的なことだと、複数人が関わるので「スケジュール管理」というのは必要だろうね。
その場合の「管理」って、まぁただ手帳に書き込んだ予定を見たり書きなおしたりするだけな気もするけど。
時間にコントロールされるのではなく、時間をコントロールしよう!みたいなこともたまに耳にする。(その度に、あぁうるさいなぁと思う自分がいるのは内緒)(今この瞬間内緒じゃなくなった)(時間をコントロールしてる人やしようと努力している人を否定する気はなすびです)(素敵です)
でも、コントロールしようとしたとして、今日の自分とそのスケジュールを実行する日の自分の気分は違うし、コンディションも違うし、なんか修正がたくさん発生して、できなかった自分に凹みそう。
結局今日もできなかった…と思うためにスケジュールを入れ込みたくない。。。
一方プライベートの予定であれば、手帳に予定を書き込んだらその日までわくわくしたら良いし、なんかそのためにやるべきこととかも少なそうだし、旅行などであれば計画を楽しめば良いのかな。
ただ、それが何を管理しているのかはちょっとよくわからないけども。
「書いた」ことによって「自分と約束したから、忘れないでね!」という意思表明をしたということだとは思う。書かないと忘れちゃう、というのはある。
たぶん私は、「管理」という言葉に求めるレベルが高いのかもしれない。
「管理する」という言葉から、きちんと自分の思った通りに調整したり、増減させたり、操るようなイメージが湧く。
でも、その操るような行為(?)にあまりワクワクを感じないから、「スケジュール管理」と聞くと、なんか眉間にシワを寄せたくなるのだと思う。(あん?の顔)
じゃあ聞くけど、あなたはどんなすごい方法で予定を管理されてるのかしら?まさか予定を手帳に書くことを管理と言ってる訳じゃないわよね?言ってごらんなさいよ!さぁ!みたいな。(面倒くさい)(突然のマダム語)
私の中のヤンキー心が、バイクのエンジンをかけてしまって暴れたくなることも、ある。(マダムになったりヤンキーになったり忙しいな)(ヤンキーに対するイメージが平成初期)(令和にヤンキーっておる?死語?)
何かトラウマ的過去がある訳でもないのに、なぜこんなにも「管理」という言葉を忌み嫌っているのだろうかね。面白いね。
楽しければ良いじゃん!という気持ちが強すぎて、逆に、楽しくない物にはメーン!(吉本新喜劇、茂三の「つまらない物にはメーン!」より)(古)と、ゴルフのスイングで投げ飛ばしてしまいがち。
なのだろうな。という分析でした。
…え、何の話?笑
結局「スケジュール管理」が何なのかという結論を出したかった訳じゃなくて、スケジュール管理という言葉に対するお気持ち表明したいだけだったという。。。
なんか、お騒がせしました。。。
そんなことを思った日でした。
読んでくれた人、ありがとう!!!
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