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死にたがっていた自分を思い出すことがだんだんと難しくなりつつある私

前回のnoteを書いてみて、『死』に向き合うことはラクではないのだなぁとつくづく感じた。
本当に疲れた。寿命を磨り減らした気がする。

メンタルに問題を抱えている人には、『死』について深く考えることをオススメしたくない。
そういう私も双極性障害(躁うつ病)を抱えているから、メンタル面は気をつけなくちゃいけない人間なのだけど。

そんな私が、前回に引き続き『死にたがっていた自分』のことを書こうとしている。
いやはや、とんだ自殺行為。

過去、「死にたい」という強烈な発作に私はたびたび襲われて苦しんだ。
(その正体がなんだったのか、今でもよくわからない)

本気で死にたがっていた頃は、「ときどき本気で死にたくなる」ことをどうしても人に相談できなかった。
自分がときどき本当に死にたくなる、ということを人に知られるのがとても怖かった。


今は平穏な日常を手に入れて、発作に怯えることもなくなった。

「死にたがっていた私」は過去の私。

「死にたがっていた苦しみ」は過去の苦しみ。

平穏な日常を過ごしていると、不思議なほどに『死』を意識することが減る。
この平穏な日常が永遠に続くことを願ってしまう。
(なんてワガママなんだろうと自分であきれる)

苦しんでいた私が、なんだか遠い。

その苦しみを思い出すことに、今はエネルギーが要る。

目の前に見える穏やかな風景。それが今の私にとっては当たり前になりつつある。
自分の意識はだいたいいつも平穏な場所を見ている。

その意識に一旦蓋をしなくてはならない。
自分の意識を、違う世界へとシフトチェンジしなくてはならない。
これが今の私にとってはなかなか難しい。

『苦しんでいた自分』が少しずつ遠ざかっていくから、
敢えて追いかけて、その少し遠い自分に入り込まないと
そのときの痛みを思い出せない。
(たぶんそれは今の私が幸せである証拠)

過去の自分に意識を集中して憑依しないと、苦しみを思い出せない。

なんてややこしいことをやっているんだろう?
なんのためにわざわざそんなことをやっているんだろう?

なんのために、そんな痛みを再体験しているのだろう?

たぶん、必要もないし意味もないことをやっている。

これから先、順調に穏やかな日々が続いていくとしたら、
苦しんでいたその記憶はだんだんと薄れていく。

リアルに痛みを思い出せなくなる。

なにかの形で苦しんでいた自分を少し残すなら、『今』しかないなぁと思う。

時間が先へ進めば進むほど、思い出せなくなるし、当然書けなくなる。

私はこれから先、「本気で死にたがっていた自分」のことを忘れてしまうのだろうか?
そんな過去は都合よく自分の記憶から抹殺されてしまうのだろうか?

「死にたくなったことなんてありませんよ。私はいつでもフツーですよ。」なんてヌケヌケと誰かに言うのだろうか?

「死にたくなる」というのは、異常なことだろうか?
「死にたくなる」気持ちは隠したり蓋をしたりするべきものなのだろうか?

「死にたい気持ち」は忌み嫌うべきものなのだろうか?

「死にたくなる」なんて知られたら、きっと頭のおかしい人だと思われるハズ。
私はそんな恐怖に取り憑かれていたような気がする。

「私は過去、何度も本気で死のうとしました」ということを、note以外でも最近あちこちで書いている。

たぶん、私のことを知っている多くの人が、そのことを知らないはず。
たぶん、かなり驚いているはず。

どう思われているか、全く気にならないわけではない。
でも、どう思われるかを気にしない練習だと思うようにしている。

現在の私、体調のままならないことも多く、日常生活がひじょうに滞っている。
人と同じように「フツーに」とか「元気に」は動けない。

一日中休んでいることも多い。
そんなダメダメな日でも、それは私にとっての貴重な一日。

「しっかりなにかをできた」から貴重な一日で
「なにもできなかった」からダメな一日。
そんなことはないハズ。

なにもできずに休んでいた一日は、休む必要のあった一日。
私にとっての大事な一日。

「死にたがっていた私」はダメな私で
「死にたくなくなった私」はいい私。
そんなことはないハズ。

「死にたがっていた私」に蓋をして隠したり、亡き者にする必要はなく、
私は「死にたがっていた私」を堂々と抱えて生きていていいはず。

これから先、もしかしたらまた何かの大きなストレスがかかれば
私はまたひどい鬱に落ちて死にたくなるかもしれない。
できればそんなことにはなって欲しくないなぁと思ってしまう。

「死にたい」というのがどれほど苦しいことか、イヤと言うほど知っているから。
できればもう経験せずにいられるといいなぁと思う。

もし「死にたい」と本気で思い詰める人が目の前に現れたとき、
私にはやっぱりうまいアドバイスなどできない。

ただ、
「死にたいと思うことは恥ずかしいことでもなんでもないし、隠さなくていい。
死にたいという気持ちを堂々と吐き出していいんだよ」ということは伝えたいと思う。

「『死にたい』と思い詰めているあなたの苦しみは、今はあなたのすぐそばにあるけど
少し時間が経ってみたら、その苦しみはあなたから少し離れているかもしれないよ」と
伝えられたらいいなと思う。

もし目の前に『死にたい』と思い詰めている人が現れたとき、
私は自分が死にたがっていた過去をすぐに思い出せるようにしておきたいなぁと思う。

だから、意図的にときどき思い出すようにしよう。
自分が苦しんでいた過去を。

誰かの悲しい死によって、何かを思い出すのは悲しい。
誰かの悲しい死によって、『生きる』とは何かを考え直すのは悲しい。

私は自分で自分の記憶に潜り込もう。そして思い出そう。

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