肩の力を抜く
昔から「肩の力を抜く」と言うことがわからなかった。
苦手、と言うより、自分が肩に力が入っているかどうかさえよくわかっていなかった。
以前、ある人に言われた。
「もっと肩の力を抜いたほうがいい」と。
そのとき初めて自分は肩に力が入っているように見えるんだ、と知った。
その頃は、現在のスクールを立ち上げた直後で、とにかくやることがいっぱいで、でも果たしてこれで良いのかどうなのかもわからず、闇雲に突き進んでいたときだったから、当たり前と言えば当たり前かも知れない。
その時に私が返した言葉は、「肩の力を入れているつもりもないので、肩の力の抜き方なんてわかりません」だった。
「肩の力を抜く」と言うのは、どこか全力投球していない気がしたし、手を抜いている気もしていた。だから決して「肩の力を抜くことが良いこと」とは思っていなかったのだ。
その方は、「それならそれでいいと思いますよ」と言われ結局そのままとなった。いや、そのままにしていた。
あれから25年の月日が経った。
そして最近この言葉を思い出した。
それも、
「私、肩の力抜けてる」と自分で思ったのだ。
25年間ひたすら走り続けてきたから、この言葉をすっかり忘れていたのだが、
ふとそう思ったのだ。
なぜかはわからない。
仕事はもちろんしっかりとやっている。
ただ今年の目標が
「頑張らない、我慢しない、無理しない」
だから、その瞬間は自然と一生懸命になってしまっているが、決して無理はしていないし、手抜きは元々できないから今までの自分でいい。そのままでいい、と自分で自分を認められたことは大きな理由かも知れない。
自分自身でどこにも力が入っていない、と思えたのだろう。
さらに以前のように力が入っている状態と今の力が入っていない状態では、仕事の出来具合や結果は何も変わっていないことを実感していることも理由の一つだろう。
「肩に力が入っている」と言うのは、当然ながら褒め言葉ではない。
でもあの時は、どうしたら肩の力を抜けるのかが全くわからなかったし、肩の力を抜きたいとも思わなかった。あの時には、無理だったのだろうと思う。
自然と今の自分を、いや、今までの自分を全て受け入れ容認した時に、初めて「肩の力が抜けている自分」に気づいたのだ。
自己肯定よりも、自己容認が大事だと私は思っている。
全て丸ごと自分を受け入れ、認めるというのが自己容認。
一方で自己肯定は「無理やり自分を肯定している感じ」がするので、自分のダメな部分もひっくるめてこれが自分だ、と認めることのほうが大事だ去年気づいて、こんな投稿をしている。
「自己肯定感と言うより、自己容認か開き直り?」
https://note.com/uenohiromi03/n/nb3fc307f2758
あれから7ヶ月少しが経過して、自分で自分を認めたことの結果を自分で感じられるようになったのだと思う。
自分が嫌いになり、自分を変えたいと思い、いろんなことを試し続けて一年ほどが経過した。
この1年で、25年も前からの自分を変えることができたのであれば、すごい効果だと思うが、私にとってはこれだけの月日が必要だったのだろうと思う。
まとめ
・人は変わりたいと思ったら、必ず変われる。
・変わるためには、自己容認が大事。自分の全てを受け入れ、認めること。
自分でダメだと思う部分も、全てを認める。それがあるから自分なのだと認める。
そして私は私のままでいい。
その瞬間瞬間に感じたことを、感じた通りにやっていればいい。
ただそれだけでいい。
まさに肩に力は一切入っていない。
年月はかかったけど、こんな自分に出会えたことが、すごく嬉しい。
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