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世界一周の旅で出会った人たち#3「ニューヨーク2」


二泊三日のニューヨーク旅で出会った人で思い出すのは、ホテルのフロントスタッフと、MoMAのエレベーター内で出会った女性だ。
ホテルのフロントスタッフについては、あまり良い話ではないので省くが、
MoMAで同じエレベーターに乗り合わせた女性は、「すてきー」と言う言葉と共に私の記憶に刻まれている。

半日の観光バスに乗った私は、本当は二階席で青空の下、ニューヨークの街を眺めたかったのだが、この日は土砂降りの雨。当然ルーフトップには誰も行けず、一階のドライバーの席近くに座った。観光客は、ヨーロッパからの観光客が最も多く、少数のアジア系、インド系の観光客で日本語は一切聞こえてこなかった。
バスドライバーは陽気な黒人中年男性で、イヤホンから本来聞こえてくるはずのガイド案内が機械の故障で聞こえない。ドライバーにその旨を告げたアジア人からの指摘により、ドライバー自らがマイクで案内をしながらバスは出発した。


車窓からの景色


雨だからなのか、いつものことなのかニューヨークの街は車で大混雑していて、ドライバーはしょっちゅうブレーキを踏む。ブレーキを踏むたびに私の目の前にある2階席への螺旋階段から、ドバーッと大量の雨水が落ちてくる。かろうじて水浸しになるのは避けられる位置にいたが、車内の観光客は、水滴で見えない車窓からの風景より、その光景にオーッというため息とも叫びとも思える声をあげる。

私もなんとか雨のニューヨークを窓から見ようと、顔を近づけてみるが、雨の水滴がそれを阻む。ほぼ何も見えない中、バスは次々にニューヨークの名所に停車する。その度に、新たな観光客が乗ってくるが、一階席しか座れないのによく全員が座れたな、と今でも思う。


雨じゃなきゃ、行って見たかったお店

そうこうしているうちに、ドライバーの案内がなくなった。やがて、ドライバーが混雑する車たちに悪態をつき始めた。最初のあの陽気さは完全にどこかに消え、今や少しでも定刻に到着できるように苦心しているだけの人になっていた。

「This is America」

そんな言葉が浮かんでくる。日本とは違う国にくると、日本だったら気になることが気にならなくなる。だって、日本とは違うから。
旅行中だからこちらは別に急いでいるわけでも、多くを期待しているわけでもない。
途中下車したいグランドゼロや、セントラルパークなども雨のため全て諦めた。傘は持っていたが、役に立たないほどの雨だったからだ。そして私はたったひとつ、すでにチケットを購入していたMoMA に的を絞った。ドライバーが他の車両に向かって悪態を吐く様を見ながら、とにかく無事にMoMA に到着して、と祈っていた。

15:30頃。
かなり遅れてMoMAに到着した。
ドライバーにお礼を言うが、彼からの挨拶はないのは想像通り。
降り続く雨の中、歩いて数分の美術館に滑り込んだ。長蛇の列ができているが、すでにWEBチケットを手にしている私はアプリを見せるだけでスッと入館できた。大量の観光客に少数の地元客が混じっている気がしたのは、その言葉の豊富さ。おそらくだが、スペイン語、ロシア語、イタリア語、中国語、韓国語、それ以外にもあっただろうが私にはわからない。残念ながらここでも日本語は聞こえてこなかった。円安のせいなのだろうか。


MoMA到着

MoMA は、近代美術館だけあってその展示物は絵画だけではない。ヘリコプターをぶら下げていたり、彫刻もある。


さすが、MoMA
ハッとする作品が多い


有名なジャコメッテイの彫刻


ハッとさせられるような「こんな描き方があるのか」「こんなふうに描くのか」と斬新な美術品が集められている。これらを展示することを決める、キュレーターの人たちはどんな審美眼を持っているのだろうか、と思いながら写真撮り放題の美術館で人混みの中次々に見ていく。

芸術というものは、ただ本人が好きで描いたり、書いたり、作ったりするのだろう。ただそれが誰かに発見され、認められるかどうかだけだ。もちろん認められた方がいいに決まっているのだろうが、認められなくてもおそらく作品を作り続けるのではないだろうか。小説を書きたいと思っている私にとっては、その「書きたい」という気持ちはおそらくなくならないだろうな、という予感はしているので、なんとなくわかる気がした。


なかなかない発想の絵だと思った



そんなことを考えながら、最上階まで行くとそこには「ショップ」があり、お土産をいくつか買うことにした。
自分用にも、家族用にも。
ショップバッグは有料だが、かっこいいので買って帰る。


ショップバッグも可愛い
デザイン性の高いペン
エコバッグ


その帰りのエレベーターは、まあまあの混雑だった。ある階で止まり、4人の若い白人女性が乗ってきた。言葉はおそらくロシア語ではないか、と思っていた。その様子から、なんだか慌てている。
でも言葉がわからないので、何もできない、と思っていた時、エレベーターのボタン付近に立っていた、シルバーヘア混じりの背の高い中年女性が、突然その女の子たちに話し始めた。おそらくそれはロシア語で、彼女たちにも通じていて、彼女たちも最初は驚いていたが、なんの支障もなくコミュニケーションをとり始めた。私を含め、エレベーター庫内の人全員は、何がなんだかわからないが、このスムーズなコミュニケーションを観客の一人として見せてもらっていた。
すると女の子の一人が、笑顔になり、すごく感激している様子で「スパシーバ」と言った。
ここでロシア語だったのだ、と確信した。

今やこのエレベーター内のヒロインとなった中年女性は、軽装で、バッグひとつで、どう見てもこの近辺の住人だろうと思った。上品で、服もバッグも靴も、このニューヨークにふさわしいカジュアルだが上質のものを身につけていた。この人は一体何か国語話せるんだろう。やっぱりニューヨークってすごい人たちが住んでいるんだろうな、と、そのかっこよさが眩しかった。


雨はすっかり上がっていた


歩いてホテルまで帰った

土砂降りの雨と、少し意地悪なフロントスタッフによって、ニューヨークへの印象がダダ下がりだったのだが、彼女によってニューヨークへの印象が一変した。
美術館を出ると、雨は止んでいて、太陽ものぞき始めていた。そこには、高価そうな犬の散歩をしている、ブランド物のジャージ上下の40代くらいのブロンド女性を見たり、紛れもなくこの街の住人だろうと思われる人たちが観光客に混じっていた。

日本で言えば、銀座かな。

そんな印象を最後に、ホテルまで傘をささずに歩いて帰った。

#4に続く


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