誰もが自由に生きるために、必要な才能を持っている
人生は、決断の連続である、という言葉を聞いたことがある人も多いと思う。
物心ついた時から、食べ物、遊び、人付き合いなど多岐にわたることを、誰もが選択している。
子供の頃は、本能の赴くままに選択しているので、何も考えず好き嫌いで選択している。
やがて大人になると、選択するものが大きくなり、難易度が上がる。
その理由は「生き方」と言う大きな問題であることと、もう一つは「好き嫌いで判断しなくなるから」かもしれない。
物心ついた時から、私たちは自分とは違う人の考え方を聞くようになる。
それは、良いものもあるが、一種の刷り込みの場合もある。繰り返し、繰り返し聞かされていると、自分は本当は望んでいないのに、それが真実のように思えてくる。
私が経験したこの種の刷り込みは、「女の子は背が高すぎると、お嫁にいけない」と言うものだった。まず「お嫁に行く」という言葉自体が、すでに古く、今は私は生まれた時から私であり、結婚しようがしなかろうが、それは死ぬまで変わらないと思っているが、昭和の小中学生の頃に周囲から言われ続けたこの言葉は、私を猫背にした。
しかし、高校でアメリカに10ヶ月間の留学に行くと、周囲には私よりも背が高い女性がたくさんいて、アメリカには「お嫁に行く」という言葉はなく、早くに結婚していく同級生もいたが、それは好きな人と結婚するというだけのことだった。実際に私よりも背が高い女性を多くみることで、価値観の転換が起き、帰国後私の猫背はすっかり治って、今や「姿勢がいいですね」と周囲から言われる。
この経験で人が言うことよりも、事実を見ることのほうが大事だと思ったし、今生きている世界が全てではない、と学んだ。「自分の目で確かめ、世界を広げる」ことの大事さを知った時だった。
自由に生きるコツ、のようなものだ。
今は、身長が高いことを周囲から羨ましがられることさえあり、誰も「お嫁にいけない」などとは言わなくなった。つまり、時代によって変化するほどの軽い常識とやらを、押し付けられて自信を失って生きるところだったのだ、と思うと、ゾッとする。「勝手なものだ」と思う。そんなものに振り回されていた自分が可哀想になるし、2度とそんな時代と共にあっという間に変化していく馬鹿げたものには、振り回されないぞ、と思う。
しかし、他にもこんな種類の押し付けや刷り込みは、いつの時代にも存在する。
人間誰でも、「自分らしく生きたい」と願う。生まれ持ったものを最大限活かし、好きなように生きていきたいと。
反論ができないほど幼い頃に、周囲から何度も言われ続けると自分の選択が間違っているのだろうか、と思ってしまう。(身長は自分で選択できない、生まれつきの遺伝子によるものなのだけど)でも、子供の時と同じように、どんなに難しい選択でも、自分の好き嫌いで選んでいいのだ。もし、その選択が間違っていた、と気づいたら修正すればいい。
それは何歳になってもできると思っている。
今年の2月に私は27年間続けてきたスクールをクローズした。最後は「好き嫌い」で決めた。
「損得」ではなかった。損得で決めていたら、続ける選択をしただろう。そして、この選択がもし間違っていたらいつでも戻れるとわかっている。しかし、今のところ「大正解だった」としか思えず、運命だったとも思っていて、やっぱり子供の頃から「好き嫌いで決める」という才能を私たちはちゃんと与えられているのだと再確認できた。
子供の頃神童と呼ばれ、大人になると凡人になる、という言葉がある。
あれは、もしかしたら好き嫌いや直感という、元々与えられたものだけで生きていた人が、周囲からの刷り込みによってどんどん自分が持って生まれたものよりも、世間一般の常識とやらを身につけてしまうゆえに起きることなのかもしれない。
つまり、与えられた直感で生きていたら、人とは違う感覚を発揮できるから神童と呼ばれ、やがてその直感よりも周囲がいうことをあたかも自分の考えのように入れ替えてしまうことが、凡人になってしまう理由なのではないか、と思うのだ。
だから、子供の頃のままに自由に生きている人に、人は憧れ、羨ましく思う。でも実際には子供の頃から自分の好き嫌いで選択してきているのだから、実は誰にでもできることなのだ。
もし、自分らしく生きたい、自由に生きたい、と思ったら、幼い頃を思い出してみるといいと思う。お菓子、友達、食事、など小さなことさえ、自分の好き嫌いで、そして直感で選んでいた時期が必ずあるのだから、それを思い出し、取り戻せばいい。
その直感は、生まれながらに全員が与えられた大事な才能であり、自分らしく自由に生きる「魔法の杖」なのだから。
魔法の杖は、使ってこそ意味がある。もし、魔法の杖をどこかに忘れていたり、古くなってボロボロになっていたら、取り戻して磨いてみるといい。
それはきっとあなたをあなたらしく、自由に生きさせてくれるはずだから。