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時代も、常識も、人々の価値観も、関係ない


先日から毎日自分の「回想録」を書いている。
0歳から3歳
4歳から6歳
7歳から12歳
13歳から15歳

まで、ほぼ書けてきた。
もちろんまだまだ先は長い。
年をとるということは、回想することが増えるということだ。

若い時に回想録を書いたら、あっという間に終わる。
と同時に、それだけ経験したことは少ない、ということだ。

回想録を書き始めた当初から、「楽しい」「意味がある」「今の私に必要なことだ」という実感は、変わることなくますます強くなる一方だ。

皆さんにもあるタイミングで、回想録を書くことをおすすめしたい。
うまくなくてもいいし、思い出せなくてもいいのだけど、この回想録を書く時間は間違いなく自分と向き合う時間だ。
例えそれが過去の自分であっても、実は今の自分とつながっているのだ。

嫌な自分を見つけたら、おそらくそれが原因で今、その時の自分とは真逆の自分になっている可能性がある。

好きな自分を見つけたら、おそらくそれは今の自分と同じまたは似ているだろう。

私は、回想録を書いていて今の時点で気づいたことがある。

1つ目は、「運命を感じた」ことだ。
何気なく選んだ習い事も、たまたま偶然担任となってくださった先生も、友達となった人たちも、実は私を導き、何かを知らせるための使者の役割を果たしていたのだ、ということがわかる。
偶然ではなく、必然だという証明だ。

例えば、小学校1年生の時の担任の先生は、私が1時間づつの授業の切り替えがうまくできない、(2時間目の授業になっても、1時間目の授業の教科書を見ていること)ことに気づき、責めるのではなく、「集中力は素晴らしい」と言われ、一方で「集団生活では苦労するかもしれないから、切り替えができるようにしていきたい」と母に言っている。
これは、私が持って生まれた資質を先生が見抜き、どうしたらいいのかを的確に伝えてくれ、実際にその集中力で英語を身につけ、不合格の場合は解雇されるほ過酷な客室乗務員の訓練を、なんとか乗り越え、100倍の難関である客室乗務員試験に合格させていく仕事で、一定の成果を出せたのだと思う。
(自慢になってしまったら、申し訳ない)

まだ24歳くらいの、新人の先生なのに、たまたま入学した小学校でたまたま担任となった先生が、私に大事なことを教えてくれるメッセンジャーだったのだ。
だからこそ、私はこれを自分の特徴として、資質として忘れずにむしろ生かすべきなのだと改めて思った。

父の転勤で、遠く離れた中学に入学し、わずか1学期しかいなかった中学で出会った中年の男性の英語の先生の発音が素晴らしく、且つ教育熱心な先生(多分この先生自身が英語が大好きだったのだと思う)が、毎朝NHKのラジオ講座である「基礎英語」を録音したものを、授業開始の30分前に体育館に自主的にテキストを持ってきた生徒たちに(学年も、クラスも問わない)聞かせ、一緒に学ぶ、ということを、ボランテイアでしてくださっていて、そのおかげで私はその中学から転校していった後もラジオ講座を聴き続け、高校でのアメリカ留学につなげ、その力も活かして客室乗務員になり、今の仕事につながっているのだ。

もちろんそれは私が以前からちゃんと記憶していたことではあるが、回想録に時系列で書いていくことによって、ますますその「意味」がわかってきたのだ。
まさに「運命」だ。

もう一つは、「愛を感じている」のだ。
両親の惜しみない愛情
家族の愛
先生や友達の愛

多くの愛に囲まれて生きてきたことだ。

愛は目に見えないが、だからこそ気づきにくい。
ただ、感じることはできるが、ずっと覚えていることが出来にくい、少なくとも私には。
そしていつの間にか、それを当たり前だと思ってしまう。

同じだけの愛情を周りの人に返せているのか、というと、まだまだのような気もしているので、やっぱり「愛」をベースにして生きていこうと思っている。

オプラ ウインフリーの対談に俳優のウイル スミスが出ている回があるのだが、その中ですごく印象的な一言がある。
それは
「人は、愛か恐怖心で動く」

というものだ。

コロナの時の報道(私はテレビがないので、見ていないがネットニュースでも感じた)や、日常のワイドショーなどは、不安を煽るものが多い、と聞く。
それは、「不安を煽ることで人が動くことを知っているから」だろう。

愛によっても動くのだから、愛に溢れた報道にすることもできるはずなのに、おそらく不安感の方が即効性があるのだろう。(知らんけど)

確かに、不安になると人は何かをせざるを得ない気持ちになる。
私も最近そんな経験をしたが、それよりも自分の感情としっかり向き合うこと、目の前では何もまだ起きていないことをしっかり認識する方が大事だと知ってから、(これさえもネットの情報なのだけど)今後不安で動くことは減るだろうと思っている。

そして私は「愛あふれる人たちとだけ関わって生きていこう」と思った。
それ以外の人とは、一切関わらない。
まだまだここに書いていない最近のことが、この回想録を書いていて感じていることとドンピシャで繋がっていて、「全てに意味がある」と日々思っている。

私にとっては、回想録を書くことが今のベストタイミングだったのだ、と強く思う。
「そんなに長い時間かけて、回想録なんて書けない」

という人もいると思うが、
「時間をかけて書く」🟰それだけ自分を大事にしている

と言えるし、自分の人生を大事にしていると思っている。

大事なことに時間を使いたい。
反対に私がどうでもいいと思うことには、1秒だって時間を使いたくない。
私には回想録を書くことが、今一番大事なことなのだ。

かなり長文になってしまったが、今日のタイトル

「時代も、常識も、人々の価値観も、関係ない」

とは、
「周りは一切関係なく、自分の目の前に起きていること、出会った人と一つひとつ丁寧に向き合っていけば、自分で答えは出せるし、時代や常識や人の価値観は一切自分の人生に関係ないのだ」
という意味だ。

時代に反する生き方をした人は、今までもたくさんいるし、大勢の価値観とはかけ離れた生き方をしている人もいる。
それは、ただただ「自分を信じたから」
本人はそれで幸せなはず。

誰でも一人残らず、自分の前には「自分だけの人生」が用意されている。
それに気づいてそれを信じて進むのか、
それに気づかず、それを信じずに生きるのか、
ただそれだけの違いなのだと思う。

回想録を書くことで、自分を信じられる。
自分の運命も信じられる。
変えたいと思う運命も変えられる。
変えたいと思った自分を信じられるから。

私にもこれでよかったんだ、と思うことはたくさんあるし、違う方向にいってしまった時も自分でわかるし、その理由を突き止めれば、もう2度と違う方向に行かずに、自分の人生を全うできる。

そんな確信に近い感覚を味わいながら、毎日3時間、と自分で決めたノルマを果たしながら、自分の過去と向き合い、現在地を知り、未来につなげていくプロセスの途中に、今いるようだ。


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