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子ども主体。について思うこと。

お疲れ様です!大変ご無沙汰をしております。オーストラリア在住6年目、保育士で臨月妊婦のぴぃでございます。肩書き‪がどんどん増えていきますね。ちなみにオーストラリアの方々に向けて日本語教師、日本の方々に向けてオンライン英語講師をしつつYouTubeやアプリでの配信なんかもしています。

妊娠も臨月に入り今月から産休に入り出産へ向けて準備中…と言いたいところですがお腹の張りに苦しみ、なかなか物事を思うように進められずにいる今日この頃です汗

今回のテーマは

子ども主体の保育


お腹の張りに苦しみながらできることと言ったらそう多くはなく、SNSのチェックくらいなもの。

そこで少しこの「子ども主体」という言葉の使われ方や、保育園は子どものためのもの!という意見が気になり始めたのです。

ここで唐突に私ぴぃの保育履歴をご紹介。
私が保育を始めたのは大学一年生の冬。大学の近所の無認可保育室で保育の保の字も知らない状態で無資格でアルバイトを始めました。

その園は無認可と侮ることなかれ、毎日アート、リトミック、英語などのレッスンがあり、その他にもイベント制作、クッキングなどたえずに行っており、それだけでも保育士として様々な技術を学ぶことが出来ました。ぱっと聞くとレッスンでがんじがらめなのでは?と思われるかもしれないのですが、無理強いはしない方針で子ども達ものびのびと楽しんでいて、私にとっては保育士としての大きな基盤を作ってくれた大事な場所です。

しかしながら生活を支える職場としてはお給料は安く、主婦の方々はなかなか続けることが難しく…

初めてのアルバイトでお給料の低さにいまいち気づいておらず、お金が足りない時は短期のアルバイトなどを更にするという学生だからこそ出来る裏の手をもっていた私はあれよあれよという間にぶっちぎりの最年少なのにだいぶ先輩。という立場になってしまい、保育は未経験でも他の人生経験がある人を積極採用していたその園で、年上の後輩達を育てる。というなかなか出来ない経験もさせて頂いた4年間でした。

大学卒業後はいつか自分は保育に戻るのだろうと思いながらも大学で学んだ映像制作の仕事に就き、そこからまた4年。ひょんなことから海外の教育に興味を持ち、保育に戻る、しかしながら普通の日本の保育園ではなく当時勢いのあったインターナショナルな保育園で働くことを目標にお金を貯めつつ保育士資格を取得し、その2年後にオーストラリアへ来るその直前…

自分が働いていた保育室がかなり個性的な園であった自覚があったため、普通の日本の保育園も経験しようと、2ヶ月だけ短期で派遣の保育士を経験しました。派遣先は院内保育園だったのでいわゆる一般の保育園とは違ったのかもしれませんが、保護者の仕事のない日は子どもを預かれない。9時から3時がコアの時間で遅い子でも6時頃にはお迎えだった前園とは違いほとんどの子が長時間を過ごすその園ではレッスンのようなものはほとんどない。など、私の知らなかった常識に驚かされました。
また、私は美大に通っていたため前園ではいつの間にやらアートを教えるまでになっており、そこでは子ども達の個性を活かした制作が当たり前でそれしか知らなかったため、その派遣先の園で制作をまとめて掲示する際に個性を活かす工夫をうっかりしたところ、みんな同じにしなかったことでものすごく怒られ、結局子ども達は私のせいで作り直しになってしまったことにも衝撃を受けました。(反省はしてますよ。)

そしてオーストラリアに来てからはまた違う角度からの衝撃。自由保育。という一斉保育しか知らなかった私にとってこれは教育なのか?一日中自由遊びなのと何が違うんだ?という所から新たなる学びのステージに突入をしてからはや5年。

と、ここまでが私の保育の経歴です。いつもの事ながら最初にお伝えしたテーマを冒頭で離れるのがぴぃ流でございます。でも、これからお伝えすることをご理解いただくために私の辿ってきた道筋をご説明しておきたかったのです。

あ、ちなみに一斉保育と自由保育については以前3回に渡り長々とYouTubeで語っております。長いので結論編のみリンクを貼らせていただきます。

とまぁここでやっと今回のテーマである

子ども主体、そして保育園って子どもの為のもの?

という所に戻ってきたいと思います。

簡単に言うと一斉保育=大人主体、自由保育=子ども主体という図式で理解されている方が多いのかなというのがSNSを通して受ける印象です。

どちらも色々なやり方を経験してきた中で厳密に言うと必ずしもそうでは無く、一斉保育で子ども主体に近づけることも可能ですし、自由保育が必ずしも理想的な子ども主体になるかと言ったらそうでも無いのですが、今回はざっくりと。まずは上の理解に倣いお話を進めていくこととします。

日本では現在大人主導である一斉保育から子ども主体である自由保育に少しずつ移行していくのはどうか?という流れがあるように感じるのですがいかがでしょうか?

保育、教育の多様性に目が向けられているという意味ではこれは良い事なのかな。と思います。

しかしながらYouTubeでも述べていますが、どちらも経験した私個人の意見では必ずしも自由保育、一斉保育どちらかに振り切ることがベストだとは考えておりません。

まず、私の理解では自由保育とはただ自由に園内(もしくは教室内)にあるおもちゃを子ども達に選ばせて遊ばせることを言うことではありません。
おもちゃや自由お絵描きセットも含めある程度保育者が意図的な環境設定をした上で保育者主導も含めたアクティビティをいくつか設定し、その中から子ども達にやりたいものをやりたいタイミングで行わせ、さらにその上で
個人個人の子ども達の様子、行動を逐一観察し、そこから個人個人の子どもの興味、技能レベル、個性を分析し、それをまた個人個人の子ども達の成長へと繋げるための環境設定、アクティビティに落とし込んでいく。

これの無限リピーーートゥ!!!!!

で、ございます。なんて子ども主体で個性を育てる理想的な教育法なのでせう…

はい。これを、一斉保育と同じ保育士の人数で行わなければなりません。ということは…

保育士さん一人一人が超絶スキル(指導力、観察眼、分析力そしてそれらの力をアクティビティや次の指導に落とし込む引き出しの豊富さ)を持った上で保育士さん同士のコミュニケーションをしっかりととることも出来ていないとなかなか全ての子どもにとって子ども主体で個々の成長を促してあげられる理想的な環境を作るのが難しいのです。

実際オーストラリアではただの一日中自由遊びになってしまい、全ての子どもが好きなことをしている中で保育士の指導も散漫になってしまい、おかたづけなど生活の基本すら教えられず、子ども達も興味をイマイチ発展させられずに飽きてしまい次へ移るため出来たはずの成長もなかなか出来ずに一年過ごしてしまったり、

子ども達を観察しているようでもこの子はピンクが好き、だから興味を発展させるためにピンクディをしましょう!と、保育士も他の子ども達もピンクの服を着て、塗り絵をピンク1色で塗らせる日を作ったりと、そこから子ども達は何を学ぶんだ?というような指導になっていたりという様子を見てきました。

そうなるくらいなら一斉保育を提供しつつもそこで子ども達が主体的に何かを見つけて教えたことと違うことをしだしても、当初のねらいにとらわれずそれを個々で発展させるお手伝いをしてあげるくらいの方がよっぽど効果的な子ども主体だな。と思います。

また、自由保育では子ども達がやりたいことを選ぶため、例えば制作をしたくない子には基本的にさせないので日本で長らく持たれてきたみんな同じことをすべき。という価値観を保育士のみならず保護者さん達にも捨ててもらうことが必要になってきます。壁にうちの子の絵だけ貼ってない…という保護者さんの言葉に、お子さんは今絵本を読むのにすごく熱中しているので彼のために毎週違う絵本を入れ替えて提供しているんです!この年齢で1時間以上集中出来るのって凄いことなので伸ばしてあげたいんです!
と、笑顔で返し、ご納得、ご理解頂く必要があります。(私それやりますけどね笑)

これと同じく子ども達が個々に興味のあるアクティビティを選ぶ中で全くやったことがない技術、経験も出てきてしまいがちなのも自由保育。

5歳でハサミを使えない子を何人見てきたことでしょう… 私が最初に働いていた園ではアートの一環でなんの疑問もなく2歳くらいからハサミを持たせていたため初めは衝撃でした。

子ども主体を優先しハサミを使えないまま、椅子に一定の時間座って集中する経験もないまま小学校に送り込むのと、完全なる子ども主体では無いかもしれないけれど最低限必要な技術とマナーを持たせてあげるのとどちらを選ぶか?となってくると

やはり日本のマインドを捨てきれていない私としては、これらをしっかり踏まえた上で子ども主体と大人主導、上手く混ぜるべきなのかな?というのが結論です。(詳しくはYouTubeをご覧下さい笑)ちなみにいうと決して自由保育を否定している訳ではなく、上手くやれば自由保育はとてつもなく効果的なので、またそれは次の機会にお話しますね!


そしてここから少し話題をかえ、保育園は子どもの達の為のもの?という点なのですが、その疑問はSNSで、

-保護者が休みの日に子どもを預けるなんて言語道断。自宅勤務の日も子どもは家で見るべき

-発表会や卒園式、大人の為のものになってないか?保護者のために見た目の良さが重視され、子どもの主体性、学びが失われていないか?

という意見をしばしば目にするようになり湧いてきました。

結論から言うと、私は保育園は、子どもだけの為ではなく、保護者さんのためのものでもあるべきだと思っています。

まず前者の仕事がない日はこどもを預けるべきでは無い論については、各保育園のルールもあるかとは思いますし、保護者に仕事がない日は確かに「保育に欠ける」状態では無いのかもしれません。

でも、仕事が休みの日に病院に行ったり、家事を一気に終わらせたり、友人と出かけて息抜きしたりする権利って、子どもを産んだらなくなってしまうのでしょうか?

私はそもそもが無認可で保育を始めたからか、日本にいた頃から今日お仕事ないならどうぞお子さんを預けて羽を伸ばして来てください!派でした。お子さんを1日だけ預けてデートに行かれるご夫婦なんてとっても素敵だとすら思います。当然頻度があまりにも多いのは良くないと思いますが、経済面が許すのであれば月に一度くらいそんな日があってもいいのではないかと思います。
そうやって上手く息抜きすることでお子さんともよりいい関係で向き合えると思いますし、保育のプロのプライドをもってそのリフレッシュの間お子さんを楽しませる準備もこちらにはあります。
一時預かりもしていた園なので仕事はないんですけど子どもが行きたいって言うので今日お願いできますか?と朝連絡を下さる親御さんすらいました。それってめちゃくちゃ嬉しくないですか?

こんな小さな子を預けて可哀想。と平気で発言する保育士を日本でもこちらでも見たことがありますが、自分の保育に自信が無いのかな?と思ってしまいます。

また、現在まだ第一子がお腹の中の私ですが、保育園で大勢の子どもを見るより、家で1人の自分の子どもを見る方がきっと大変だと言う想像は容易に出来ます。前述の映像制作の仕事をかなり時代を先どって10年以上前に自宅からリモートで行っていた私。

あれを子ども見ながらなんてね、無理っす。

そもそも親御さんがお仕事ピリピリモードの中で静かに!と言われながら過ごすくらないなら保育園に来た方がお子さんにとっても有意義で楽しい時間が過ごせるはずです。

ちなみにオーストラリアでは保育園が足りない状況では無いため預ける日数は基本的に保護者さんのチョイスです。

ボロボロの格好でやって来て、忙しくて限界…今日はもう一日寝るつもり。
と言う親御さんには、「大変そうだね汗ゆっくり休んでね!」と声をかけますし、
いつもとは違う華やかな格好で来た親御さんには「今日すごい綺麗!お出かけなの?楽しんできてね!」と声をかけておしまいです。

また、発表会、卒園式が大人のためになっていないか論なのですが…これに関してはシンプルに

大人のためで何が悪いの?

というのが私の意見です。そもそも子ども達の主体性、学びの手助けは普段の保育で行うべきもの。年に数回のイベントを、普段お仕事でお子さんの成長を近くでずーっと見ることの出来ない保護者さん達のために、より可愛く、より素敵に飾る事がなぜ悪いのでしょうか?

当然嫌がるお子さんに無理強いしたり、綺麗にまとめるために上手く出来ないからと言って異常に注意したりはよくないです。子ども達を楽しませながら自然な形で上手いことよく見せるのが保育者の力の見せどころだと思います。
その過程で「活動のねらい」だとか「子ども達の成長」を優先させる必要は私は正直ないと思っています。何度も言いますがそれは普段の保育で充分行っている。という自負があるからです。

それにね、その発表をみた保護者さんたちの嬉しそうな顔、それが何より自己肯定感、頑張ることへのポジティブなイメージの構築など数え切れない成長に必要な要素を子ども達に与えてくれるものだと私は思っています。

発表や式の後に嬉しそうな保護者さんたちに抱きしめられた子ども達の満足気な表情を見れば分かります。

と、いつにも増して長くなりましたがこちらが子ども主体、保育園は子どものためのもの?というトピックへのご意見に対して私ぴぃが思った事です。

子ども主体を考えることはとても素晴らしいですし、保育士という職業を選んだからには子どもを第一に考えたいものです。しかしながら時には柔軟に、色々な視点から保育を見てみるのも大事だなと思う今日この頃です!


文責:ぴぃ

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