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読書と学力は関係する?

教育相談で小、中学生の生徒や保護者の皆さんと面談しておりますと

国語の成績があがらないんです。


とよく言われます。
それで、

じゃあ、毎日どれくらい勉強していますか?
と尋ねると、多い人は1〜2時間と答えます。でも、
じゃあ、国語には?
と訪ねると、大抵の人は黙ってしまいますが、皆様はどうでしょう?

そして、

国語の成績を伸ばすには、読書させた方が良いですか?

という質問になります。

これについて、
私個人的には

とりあえず学力が上がるか下がるかの云々はさて置き、

文字を読み、思考する習慣をつけるための読書をして欲しいなと思っています。

いったいどういうことなのか?
これからお話ししていきたいと思います。

インプットからアウトプットへ

私は私立高校の国語講師を務めたあと、長年家庭教師として様々なご家庭に伺ってまいりました。そこで気がついたことがあります。それは、勉強習慣が元々ある生徒のご家庭には必ず何らかの書籍がリビングのどこかにあるのですが、ないご家庭には辞書も漫画本も、雑誌すら見当たらないということです。

ちなみに学力と散らかっている、いないはあまり関係がないように思います

スタートはまずここ(環境)です。

つまり、すぐ手を伸ばした先にすぐ読みたい本があるような環境下にいるかどうか?ということからです。

我々日本人の母語は日本語ですが、一般的な家庭環境の下で生まれた日本人であれば、日本語を話す人たちに囲まれ、その日本語の会話を耳で聞き、そして絵本の読み聞かせやテレビやCDで音声としての日本語を聞き、充分な語彙がインプットがされて初めてアウトプットできるようになっていくと思われます。

しかし、幼児期のアウトプットは、書く力はまだまだ弱いので、話すこと、おしゃべりがメインになります。
この話すというアウトプットを促すためにも、私は読書が最適ではないかと思っています。 

え?おしゃべりと読書とどう結びつくの?

そのことについて以下お話ししていきます。

まず、幼児教育における読み聞かせは、言葉のシャワー、即ちインプットまでの過程でしかありません。しかし小学2~3年にもなれば書く力もついてきますので、読書感想カードやノートなどを作っていくのも良い方法だと思います。が、低学年のうちは、とにかく文章を読む習慣をつけることが何よりも大切だと思います。

しかし、中学年においては、出題文も難しくなっていきますので、読解力、理解力を身に付けていかなければなりません。それには文章を読み解き、要旨をまとめ、感想を言語化できるようにトレーニングが必要です。
それには、やはり読書感想文を書いてみることをお勧めします。
うまく書けないのであれば、あらすじとメインテーマの感想だけ、200字から400字程度の読書カード作りから始めてみても良いと思っています。

と申しますのも、

このお話し、どんなお話しだった?


と聞いても答えられない生徒のほうが多いからです。粗筋をまとめていくだけでも文章のストーリーを追随していく機会となりますし、高学年になれば、ビブリオバトルのように、お友達と本を紹介しあうのも良いでしょう。
読書感想文をあまり難しく捉えず、気楽に自分の感想を話せるようになって欲しいと思っています。

さて、前半部分のまとめです

読書をし、その内容を振り返り、誰かにそれを伝えることにより、私たちは心理学でいうところの記憶において

記銘(インプット)→保存→想起(アウトプット)

の過程を経ることができます。それは知識や思考を深めていく過程でもあります。
ですから、先程申しました、伸ばした手の先にすぐ読みたい本があり、そこでおもいついた事をすぐに調べられる、読む環境にあるということは、非常に大事な事だと思います。

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教科書を読み尽くす

でも先生、ほんとに読書は苦手なんだ。
いや、もう高学年に差し掛かってきて、充分な読書量なんてないんだけれど?もう手遅れ?

というご意見もあると思います。

こういう場合には、読書を勉強に置き換えて考えてみましょう。

私はこれまでなんどかTwitterやnote 
FBの中で、教科書を読むことの重要性を訴えてまいりました。というのも、本当に教科書を読まない生徒が増えたからです。
何故教科書を読まないのか?いろいろ理由はあるでしょうが、やはり幼少期にいかに文字を読む機会に接してきたかどうかの差が出てくると感じざるを得ません。文字を読むのが苦手なら、そりゃあ本は読みたくありませんよね?

しかし、勉強につながる教科書であれば、一石二鳥ではないでしょうか?
特に国語の教科書に採用されている作品や、社会の教科書はどれも読み応え充分な内容です。

教科書の読み方としては、私が学生だった時は、
予習の段階で教科書はどこに何が書いてあるか思い出せるくらい何度も読みました。また丁度昨日のタイムラインではまとめノートの是非が問われていたようですが、私は社会など自分なりに年表や文化ごとに要点をまとめましたし、今指導している生徒たちにも時折そういう時間を作っています。
このまとめノートを作るようになり、社会の勉強を横断的、体系的に捉えられるようになり、成績が向上した生徒も何人もおります。

国語については毎回音読して読めない語句の読み方や、意味のわからない語句は意味調べをしました。

仮に教科書内容についてしっかり覚えないまま問題に取り組み始めると、社会などの問題は、いちいち教科書を開いて内容を確認しながらそれらしい内容の用語を書き写すというような勉強スタイルが身についてしまいがちです。
すると、一問一答スタイルの問いには答えられても、資料やグラフから時代背景、原因理由を問われるような発展問題、つまり、今教育界で問われている『思考力』のことですが、これが養われなくなります。
ですから、ワークなどをやるタイミングは、何度も教科書を読んで、おおよその内容が頭に入ったと思う段階で取り組んで欲しいと思います。

それ読んだよ、知ってるよ、やったことあるよ!

では、覚えた、記憶したということにはならないのです。


さて、ここまで長々とお話ししてきましたが、結局何を言いたいかと言えば、意識的な読書(教科書も可)をして欲しいということです。

意識的な読書とは、読書の目標、たとえば今日は分からない語句を調べる、あらすじをつかむ、明日は主人公の気持ちを考える等の具体的な目標を立てて、本の内容について読み流さずにしっかり読み解いていくということ


です。
ですから最初は易しめの内容から少しずつ難しい内容のものに移していけるように、まずは自分の興味の持てるものから読み始めて欲しいと思います。
本の選択の際には、必ず本人の興味の持てるもの、親が選ばないこと、当該学年の推薦図書より2学年下くらいから始めてみましょう。

仮に細かな文字を読むのが苦手であれば、絵本や図鑑でも良いと思います。
そこで興味のもてた物のことを百科事典で調べてみたり、同じテーマについて何か文学作品はないか探してみたりと、ひとつのテーマを様々な方面へ発展させることができると思います。

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読書は学力に関係するのか?

さて、いよいよ本題です。
これについて
これまで様々な機関で調査、研究なされてきたわけです。

例えば平成21年度の文科省による調査や、

百マス計算の産みの親の岸本裕史さんの『学ぶ力と伸びる力 学力の上台は幼児期に』による調査、

2018年、2019年、2021年にそれぞれ行われたベネッセによる調査、

あるいは2014年に発表されたテキサス大学オースティン校のレイ・リンデン准教授による研究など、

様々な国で様々な視点から相関関係やら因果関係の有無を研究してきたわけです。

それらについては、ググれはお分かりになるように、因果関係があると(おそらく)結論づけています。

え、結論言ったらもう言うことないんじゃ?


というわけで、以下は地方進学校で落ちこぼれた私の話ですので、参考にもならないかもしれませんが、
私がどういう読書歴だったのか?それがどう人生を変えたのか?
そんなことをお話ししていきたいと思います。

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私の読書歴


とりあえず私は小学校のうちに、学校の図書館や、町の図書館のめぼしい書はほとんど読んでしまっていました。内容はほぼ入っているものから、すっかり忘れているものまで様々、むしろ忘れているほうが多いですが、それでも一通りは目を通していました。
その中でいくつかは後の私の生き方に影響を与えてくれた本にも出会いました。
例えば『赤毛のアン』など、モンゴメリーの児童書シリーズ、十五少年漂流記、ガリバー旅行記、トムソーヤの冒険などの冒険シリーズを好んで読みました。
特に小学2年の頃、ピアノの先生のご自宅の書籍棚の本の中で、読み漁っていた中でハマったのが『十五少年漂流記』でした。
小学高学年から中学1年くらいまでの年齢の子たちが、
ちょっとしたいたずらから無人島に漂流してしまう物語。
でも、彼らは、失敗を繰り返しながらも、たくましく生き抜いていきます。

それを読んで感動した私は、友人数人に呼びかけて、無人島サバイバルごっこをしようと提案しました。
確か秋も近くの連休日に、私達は小学校の裏の森の崖、通称K公園(地元某名家のプライベート庭園)に、ビニールシートや小枝を集めて、秘密基地作りを始めたのでした。
私は公園内に沢山あった杉の間伐の枝を組み立て、縄文時代の建物のような円錐型の小屋を作り、出来上がった中には畑に使っていた肥料のビニール袋を敷いて、そこで、リボンオレンジジュースを飲んで1人悦に入っていた、ナスDさながらの超危ない野生児の小学生でした。

今同じことやったら、通報されますね(笑)

でも、そのお陰でしょうか?私は今までの人生を振り返ってみましても、どこに行っても生きていけるような生活力と好奇心と根性はついたんじゃないかと思います。

今やっている、発明クラブの指導にも役だっているかもしれません。

こんな体験は、今の子にはもうなかなかさせてあげられないですね。

中学からは部活動が忙しく、読書量は一気に減りました。そうです、文化部一忙しい吹奏楽部でした。しかし、同じ部活動の先輩達はインテリ集団で、非常に頭の良い先輩ばかりでした。いろんな新刊書や映画、音楽の事について話をしていました。私はそういう文化教養の無い家庭で育ちましたので、知的な会話ができる先輩方が眩しく見えたものです。
唯一中学でやっていたのは、毎朝新聞を読むことでしょうか?
当時から政治や経済、地方文化について興味がありました。
(じつは第一志望は社会系だったのです)
その習慣は今なおTwitterでの情報収集に取って代わっているわけですし、世の中に対して常に疑問を持ちつづけながらも自分らしい生き方ができているように思います。

高校受験期、つまり今の時期には、平日3~4時間、休日は6~10時間勉強していました。
私の場合、元々計算能力や作業スピードはそれほど高くなく、ごく一般的な能力です。集中力も散漫なので、地域トップ進学校進学者より時間を割いてもこなせる量は半分くらいだったでしょうが、それくらいはしていました。

そしてなぜか入ってしまった私の地域トップ進学者の最上位層は、本当に幼少期から学習習慣や読書習慣が自然と(無意識のうちに)身についており、そしてあらゆることに興味を持ち、分からないことは放置せずに解決するまで調べてみようとする人たちばかりでした。
教室内で飛び交う知的会話に私はただただ戸惑うばかりでした。
私が本を借りに町の図書館に行くと、後に医学部に進学していた5つ上の先輩が、分厚い問題集を10冊くらいつみ重ねて朝から夕方まで普通に勉強しに来ていました。私などは、図書館で勉強をするという生活様式を想像すら出来なかった家庭でしたので、その光景は衝撃的でした。
今ならスタバなどのカフェで勉強する姿も見慣れましたが、当時は本当に、図書館という公的施設の存在すら知らない有様でした。

トップ進学校は、そういった意識高い集団で構成されています。皆、切磋琢磨して勉強し、小学校、中学校とかわらないペースの得点をあげていき、東大、京大、旧帝国大学、早慶と言った名だたる難関大学に合格していきます。

なんとなく受かって足を踏み入れた世界は、とんでもないトップの世界を目指す精鋭ばかりで、田舎からぽっと出てきた私は、なんと生きるとは厳しいものだな、と、つくづく思ったものでした

このような私でしたし、見事に落ちこぼれていきましたが、そんな私を支えてくれたのは、幼少期における圧倒的読書量から得た知識と経験でした。

ですから、これを聞いてくださった子育て世代の親御さんには、お子さんにぜひ読書習慣を身につけさせてあげたいものです。

でも!
うちの子どうしても本は読んでくれないんです。どうしたらいいですか?

はい、そんなお子さんもいらっしゃいますね。
実はうちの息子も幼少期はあまり本を読んでくれませんでした。

図鑑もあまり興味を示さずに、困っておりました。
発語も遅い子でしたので、かなり心配はしていました。

しかし、小学校高学年の頃、ある日突然本をよみはじめました。

P社の歴史伝記漫画です。
このシリーズはとても作画がカッコいいんですね。たまたまクラスで流行っていたらしく、息子もどハマりし、それから渡した小遣いはライトノベルや萌系漫画に代わり、いつの間にかベッドの下を埋め尽くすような本の山になっていました。

人生を変えた1冊、それは私は『十五少年漂流記』、息子は歴史伝記漫画でした。

漫画でも、人の感情の機敏にはふれられますので、読書のジャンルは拘らず、息子もそれでよかったんじゃないかな?って思います。

息子の話しはさておき、

私はこれまで識字障害の傾向のせいか、読書になかなか向かないケースも沢山見てきています。
そのような場合には、意識して言葉の意味をインプットしたものを活用できるように考え、アウトプットする機会を作ってあげなければなりません。

それにはまず、一緒に教科書を音読してみましょう。最初はなかなか間違って読んだりしますが、半年もすると、読み方がスムーズになっていくケースも多いです。


また、私は生徒との雑談を大切にしています。

勉強とは関係のない日常会話から、今日は何があったのか、いろいろお話ししています。

国語の勉強とは、読書すれば良いという単純なものではなく、知らない言葉について、どういった意味なのか、どういうものか、どういう状態を表しているのか、ということを、1つ1つ深く考えていく力を身につけることですから、
何も読書に拘らなくても良いと思います。日々の会話、コミュニケーションを養っていけるよう、たくさん話しかけ、たくさん聴いてあげて欲しいと思います。

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最後に

昨晩、同業の先生が端を発し、私が

近年、名詞を知らない生徒が増えた

とツイートしたのに対し、結構反響が寄せられました。
その中で相互フォローさせていただいている先生の

お散歩で草や花の名前を言って歩くのは、教養あふれるぜいたくなお出かけになってしまった気がします。

というリプライがとても胸に刺さり(強い共感)ました。

それを受け、私は真っ先に息子の恩師の言葉を再び思い出しました。最後に、以前noteに投稿した内容を一部ご紹介します。

息子が学ぶ歌の師は、レッスンにはなるべく徒歩で来なさいと最初におっしゃっていた。
なるほど道草から学ぶ知識は、歌に良い影響を与えるに違いない。
何故なら道草から地名、地形、天気、雑踏の音、小鳥の囀り、自然の移り変わり、、、それら全てを肌で感じることが出来るからである。
レッスン時間が遅い関係や、様々な要因で送迎せざるを得ないことが多いので、致し方ないことは確かではあるが、、

それでもやはり、なるべく公共交通機関を使う機会は作ってあげたいと思う。
道草は「生きる力」を学ぶ機会であるし、寄り道回り道、そこからこれまで見えていなかった新たな発見ができるかもしれないのだから。


この下りで再び思ったことは、
読書で得た知識を実際の世界と結びつけて考えられるかどうか、
そうした力が思考力であり、生きる力なのだ
と思いました。

読書を通じて、あるいは
お子さんとの対話を通じて、
より広い世界観を持てるように子どもの心の成長を促していけるような親であり、指導者でありたいと改めて思います。

今日は長い時間、ご静聴ありがとうございました。

ゆきんこげんき

※このnoteはR3.6.16に、Twitterスペースでお話しした内容をまとめたものです。




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