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対話


 私は生徒たちとの対話を大切にしている。

 こんばんは〜

 こんばんは。よろしくお願いします。

気持ちのよい挨拶から始まると、集中力も増して仕事も勉強も捗るような気がするのは、きっと私だけではないだろう。

 教室では、自学を推奨しているため、何を勉強するかは原則本人が決めている。

 今日は何から勉強する?

いつもそう声がけし、やらねばならぬ事を一旦整理してもらう。最初はスムーズに答えられず、何を勉強して良いのか、わからずに右往左往する。

 答えられない時、困っている時は、

 じゃあ、〇〇の教科は今何やっていたかな?

と声がけしてみる。

 教室に来始めの頃は上手く答えられない。単元名も答えられない。つまり、授業で今何をやっているのか意識できていない、受け身の授業なのだ。当然これでは授業内容も覚えていないことになる。

 このような状態から、

今日は○○の教科の△△の復習をしたいのですが、テキストは終わってしまいました。□□のところがまだ自信ないので、補習プリントください。

といった具合に、自分で計画して勉強できるようになるまで個人差はかなりあるが、いずれこのように勉強できるようになる。
 ここまでくれば、あとは間違った方向に行こうとしたり、やり方を間違えている時にさりげなく声掛けして見守っていくだけだ。


 が、生徒の表情が思わしくない場合にはこの限りではない。

今日は何かあったの?

時に息せき切ったようにお喋りが止まらない事がある。しかしそれをむやみに止めたりはしないで、ひとしきり落ち着くまで話しを聞く。すると勉強や学校生活、友達関係、親子関係の悩み事に関する悩み、愚痴、不安な思いを切々と訴えてくる。話の内容も、些細なことから時に虐めなどの深刻な問題まで様々である。

 以前は勉強時間をほとんど悩み相談に費やすこともあった。初期メンバーは、共に過ごした時間が長く、一つの問題に対し、私だけでなく、仲間でアドバイスしあい、解決策を考えられるような、素晴らしいメンバーだった。

 学校の友達には言えない悩みや、家族には言えない悩み等、それぞれの子ども達には様々な事情、感情がある。それを溜め込まずに吐き出し、気持ちを整理する場が必要だ。
 しかし昨今人間関係が希薄になっている中で、そういう場は少なくなっていると感じる。
 家族以外の異なる思考を持つ同年代、異年代とのコミュニケーションを取ることによって、後々社会に出た時に多様な人間社会の中で生活していく上でのアビリティーとなりうる。
 そうした場は本来、学校という小さな社会で培っていたであろうはずなのだが、なんらかの原因で学校生活になじめない生徒もいる。
そうした生徒たちにとってこの場所が、心を落ち着けて学びに集中できる場所の一つであって欲しいと思っていた。

 COVID-19の襲来は、そうした密な対面指導の良さを奪ってしまった。
 今、対面指導からオンライン指導化して、学びの場をなくさないようにしているが、オンライン指導ではこうした心のケアまですることは難しい。

画面越しから見える姿と実際に見た姿には相違があるのだ

 以前のように、また狭い教室の中で、みんな和気あいあいとお喋りしながら、

 ちょっともう少し静かにして勉強してね❗

と言い合える時がくるのだろうか?

 一刻も早い収束を願いながら、今日もまたソーシャルディスタンスに気をつけながら、今日も指導準備に向かいたい。

※昨年度の様子


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