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社会人1日目、朝を迎える。

「社会人になりたくない。」

大学時代、友人や先輩、後輩などが就活や将来のことを話している時によく聞いた言葉だ。

そして、今僕は社会人1日目の朝を迎え、新幹線の指定席に座っている。これから入社式と研修を控えている。

今、ひとまず座ってみて、

「社会人になりたくない。」

なんて思ってはない。

僕の中にあるのは、ただ、ただ、"不安"だ。

今日の今日まで、なんなら2日前まで優雅な春休みを満喫していた。
みんなが社会人になることに対して不平不満を垂れているのが理解に苦しむほどに楽しく過ごしていた。
これは大学という人生の夏休みが終わったことへの焦燥でもない。

1日前の夜に「不安」は急に訪れた。

朝、起きれるだろうか。一人暮らしには慣れるだろうか。明日のゴミ出しは。忘れ物はないか。家計管理。自炊。洗濯。掃除。

大学時代から自炊や家事、洗濯など、慣れていることもあった。

しかし、僕の不安は特に、時間やお金に関する管理だった。つい最近までは親の仕送りと少しのバイト代があれば毎日ラーメンを食べても大丈夫だった。社会人になれば収入も増えるし、むしろより美味しいものを食べられると一瞬でも思うだろうが、お金を使うことが怖くなってしまった。それは全てこれから自分のお金になるから。自分が使ったお金の責任は自分に来るから。今までも節約は大事だと言われ、節約生活をすることもあった。しかし、今回はさらに自分の命を意識した。

僕は倹約家でもなければ浪費癖の酷いヤツでもない、と信じたい。

しかし、どちらかといえば浪費が多い人間だ。
「家計管理をうやむやにして、困ったときは親に言えばいいだろう」という楽観的、責任逃れな自分が起こす未来を想像したら急に怖くなった。生活破綻。家計破綻。怖くなった。

もちろん、親にも、社会人になっても、お金が厳しくなったら借金や消費者金融に頼るのではなく、親に連絡しなさいとは言われたし、そうなったら親に連絡するつもりだ。

しかし、これから親孝行の意味でも、親に迷惑はかけたくない、そういう思いが起こり家計管理をつけることから始めた。

それでも「不安」はなくならなかった。

実を言うと、今まで学生として小学校から大学まで教育機関で過ごした時も、どの時期でも
「今日は学校に行きたくない。」
と思うことがあった。

大学でもたまに思うことがあったが、それを止めてくる教授や友達はいなかった。
高校までだと、学校が始まる時間なのに学校にいないと、担任の教師から電話が来る。
そして、僕はベッドで寝たふりをしたり、布団を剥がされても微動だにせず、親からの返答も応じなかった。
応じなかったのか、できなかったのかは分からない。

その感覚に近かった。
「あ、無理かも。動けない。」

朝起きた直後に、不安と焦りが訪れる感覚。

学校に行ってた時もそんな感じだった。前日まで楽しく学校に行っていたのに、急に「行きたくない」という感覚。

でも社会人1日目の朝は、無事に動くことができた。それは、遅刻やドタキャン、飛んだりしたら自分の生活、社会的地位が危うくなるからかもしれない。

この突然訪れる拒否反応は何だろうかと考えてみると、それは「変わることへの恐怖」なのかもしれないと思う。環境の変化。人間関係の変化など。

僕は社会人になって友達作りに悩んでいるわけでもないし、生活はなんなら引っ越しもしなかったし同居人の兄が出ていっただけだ。でも無意識の僕は変わることに対して怯えていたのだろう。それが意識へ急に変わり、「突然の拒絶」が生まれるのだと思う。

僕は完璧な仕事人間でもないし、むしろ人より忘れ物が多かったり、注意が欠けていたりする。前日の夜から家を出発する朝までも、自分が何をしなければいけないのか一つ一つこなすのが難しかった。

とにかく、僕は、社会人として、朝を迎え、今までと違う生活に慣れるため、前に踏み出せた。「朝起きた。」という事実だけでも少しの変化だと思いたいんだ。

こんな自分が社会人としてやっていけるだろうか。そんな不安を抱きながらも、それを当たり前にしたいと切に願いつつ、僕は生きていきたい。

1日1日、一つ一つ、慎重に。成長したい。

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