見出し画像

エスカレーターの歴史についての話 ~エスカレーター誕生秘話~

はじめに

私たちの日常には、便利なものが溢れています。
家電、乗り物、ショッピング方法など、物から技術まで日々進化しています。

弊社が取り扱うエスカレーターも、私たちの生活にとって、なくてはならないもののひとつなのではないでしょうか。
駅構内・商業施設などはもちろんのこと、学校の校舎内や様々な場所に設置され、特に人々の往来の激しい都市部においてはあちこちにエスカレーターを見かけることができます。

そんな日常において当たり前の存在であるエスカレーターですが、いつ・どこで・誰が開発したかのか、その歴史を語れる人は少ないのではないでしょうか。
かく言う筆者も、弊社に入社前はエスカレーターを意識して生活していませんでした。(笑)

そこで、今回は皆さんと一緒に、エスカレーターの誕生について深堀していこうという記事です。



エスカレーターっていつ開発されたの?

さて、エスカレーターの特許を最初に出願したのは、1859年のアメリカ、マサチューセッツ州のネイサン・エイムズという人です。

「Revolving Stairs(回転階段)」と名付けられた発明でしたが、三角形の辺に沿って回転する階段に飛び乗り、飛び降りるといった危険なもので、さらにその動力源は人力や水力を想定していたこともあったことから、製作はされませんでした。アスレチックのような移動手段だなんて、中々ワイルドですよね。

ネイサンが特許出願したエスカレーターの図面、Wikipediaより引用

また、1892年、ジェシー・W・リノが 「Endless Conveyor or Elevator(無限コンベヤまたはエレベーター)」と題した特許を取得しました。

その後、リノは世界初の実動するエスカレーター(「傾斜エレベーター」と呼んでいた)を制作し、リノ社を設立しました。

そしてこちらの写真は、1896年にリノがコニーアイランドのオールド・アイアン・ピアという建物に設置した際の実際の様子です。短いエスカレーターにたくさんの人が乗っていますね。

6spft Corporation WEBより引用

1900年には、改良型をニューヨークのマンハッタン高架鉄道に設置しました。そのエスカレーターは2006年に撤去されるまで、ボストン地下鉄で実際に使われていたそうです。

さらに、リノが特許取得した数か月後、1892年にジョージ・A・ホイーラーがエスカレーターに関するアイデアの特許を取得しました。その後、この特許を買い取ったのが発明家のチャールズ・シーバーガーでありました。シーバーガーは研究を続け、1895年にオーチス・エレベータ社と手を組み、1899年に現在のエスカレーターの原型である「踏段式自動階段」を開発しました。
(その時開発されたエスカレーターはニューヨーク市の高架駅に設置され、その駅が撤去される1955年まで稼働していたそうです。)

そして、シーバーガーは1900年のパリ万国博覧会に「Escalator」の名で出展し、1等賞を受賞しました。ちなみにパリ万博にはリノの傾斜エレベーターも出展されました。

下の写真が実際展示されたエスカレーターになります。

wilwheaton.tumblr.com WEB より引用

さらに1910年にはオーチス・エレベーター社が「Escalator」を商標登録し、1950年に放棄するまで、他社はその名称を使用することができなかったのです!

「エスカレーター」と名乗れなかった時期には、世界規模で「移動式階段」など別の名前を表記していたとは今では驚きですよね。

その他の地域では、イギリスのPiat社は1898年にエスカレーターをロンドンのハロッズに設置しました。このハロッズの「動く階段」には連続した皮革製ベルトが取り付けられ、当時イングランド初のエスカレーターだったようで、大変話題になったそうです。

ちなみに、今や世界のエスカレーター市場ナンバー1のスイスのシンドラー社ですが、エスカレーター市場に参入したのは、オーチス社がエスカレーターの営業を開始してから数年遅れて、1936年のことでした。

日本にはいつ導入されたの?

ところ変わって、日本ではいつエスカレーターが初めて公開されたのでしょうか?

1914年の東京、3月から7月まで開催された東京大正博覧会において、初めて設置されたそうです。当時様々な博覧会が行われていましたが、なんとこの博覧会の来場者数は約750万人だったことから驚きです。

こちらがその会場でお披露目された、日本初のエスカレーターの写真です。

東京都立図書館WEBより引用

当時上野の山に設けられた博覧会第一会場の正門から第二会場の池之端までの全長240mの連絡路の中の一部として設置されました。赤い矢印の部分になります。エスカレーター自体の高さは10mほどあったと推定されています。

東京都立図書館WEBより引用

上野東照宮の桜並木や不忍池を見下せるほどの高さがあったことから、乗るのを怖がる人もいたそうですが、1人10銭と有料だったのもかかわらずかなりの盛況だったようです。第一会場と第二会場を結ぶエスカレーターは、「秒速1尺(約30㎝)」の速度で動き、最大輸送力は毎分80人だったそうです。

上記のエスカレーターの写真とは別の角度の写真を見ると、大勢の人が乗っている様子がうかがえます。

東京都立図書館WEBより引用

博覧会の開会に伴い、1914年3月8日に試運転が行われたため、3月8日は後に「エスカレーターの日」とされました。

また同年9月15日には、三越日本橋店の新館に日本初の常設のエスカレーターが完成しました。下の写真が三越に設置されていたエスカレーターの真です。今とほんの少し仕様が異なりますよね。

ジャパンアーカイブスWEBより引用

当時は真新しい技術に対する注目が大きかったことから、大変話題を呼んだそうですが、残念なことに1923年の関東大震災により焼失してしまいました。同時に、日本初の電動式エレベーターが設置されていた「凌雲閣(浅草に建設)」も崩壊し、日本における歴史的な昇降機たちは今は写真でしか見ることができなくなってしまいました。

また日本の百貨店へのエスカレーター普及期にあっては、エスカレーターの脇にエスカレーターガールという女性が立って乗り込みの案内をしていたそうです。筆者はエレベーターガールは見たことがありましたが、エスカレーターの乗り口にも案内する女性がいたことは意外でした。

エスカレーターという言葉

ちなみに、エスカレーター(Escalator)という言葉の由来ですが、ラテン語の階段という意味の「スカラ(Scala)」という言葉と「エレベーター(Elavotor)」という言葉から作られた造語でした。シーバーガー が、パリ万博への出展に合わせて、1900年に商標登録する際に考案したそうです。
(一般社団法人日本エレベーター協会WEBより引用)

また動詞の 「Escalate」 は1922年に登場した新語で、「エスカレーターを使って上に登ったり移動したりする」という意味でした。そこから「徐々に増大または発展・拡大するする、悪化する」こと、さらには「局地戦から大規模な戦争に発展すること」を意味するようになりました。
(Weblio英和辞典WEBより引用

そして、「段階的に拡大する」といった意味でこの語がよく使われるようになったのは、1960年代後半から1970年代前半ごろだそうです。ちょうどその時期は冷戦真っ只中で、アメリカとソ連が競って核爆弾を開発していた時期に重なるのは皮肉だなと、筆者は感じました。

また、「Escalate」 はエスカレーターとともに日本にも導入されていき、「エスカレートする」という言葉は日本語のカタカナ言葉として徐々に一般化していきました。

終わりに

いかがでしたでしょうか。

実は「エスカレーター」がこの地球上に誕生してから、まだ120年ほどしか経っておりません。

現代の私たちの日常にエスカレーターがないなんて想像できませんが、実は20世紀初頭に開発された技術だったのです。

調べれば調べるほど奥の深い、エスカレーター。

今後も、エスカレーターの面白い情報などを発見した際はコラムでご紹介させていただきます。最後までお読みいただき、ありがとうございました。


参考文献

  • 『情報と社会』第25号、2015年、江戸川大学、「エスカレーター片側空けという異文化と日本人のアイデンティティ」斗鬼正一著より参照

  • 一般社団法人 日本エレベーター協会、「エスカレーターの歴史」 より参照

  • Wikipedia、「エスカレーター」の項目より参照

  • Wikipedia、「東京大正博覧会」の項目より参照

  • デイリー新潮「東京のエスカレーター事故は年間1400件、「歩かず2列で」の“名古屋ルール”に学ぶべし 」より参照

  • 東京大正博覧会での日本初のエスカレーター運転 (PDF) 一般社団法人日本電気協会関東支部より参照

  • 日本オーチス・エレベーター株式会社より参照


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?