Talk-Night表紙_03-5

#03 饗庭伸×田中元子×水野祐⑤街づくりの思想をいかに鍛えるか

書籍 『アナザーユートピア』(NTT出版)を起点として、これからの街づくりのヒントを探るトークイベント「Talk Night オープンスペースから街の未来を考える」。2019年12月3日に開催した第三回目では、「広場と空き家から考える街のあり方」をテーマとし、首都大学東京教授の饗庭伸氏、株式会社グランドレベル代表取締役の田中元子氏、弁護士の水野祐氏をお招きしてお話を伺いました。(全5回)
▶① 人口が減ると都市はどうなるのか 饗庭伸
▶② 1階をひらいて、街に賑わいをつくる 田中元子
▶③ 法が街づくりを加速する 水野祐
▶④ 街のオープンスペースはどこにあるのか

都市計画はこれからも必要なのか

田中:さっき、水野さんが都市計画の話をされていましたが、饗庭さん、都市計画は今後も必要ですか?

私は、都市計画と呼ばれるものの内容が変わらなければ必要なくなる、というか、そもそも計画する都市がないと思うのです。今ある都市をどう使うか、どうたたんでいくかという時代に、新たにつくり、増やすことを構想してきた都市計画は、当然形を変えていくはずです。建築物もそうですが、計画するときのスタンスを変えていく必要があると思います。

高層ビルをつくって、植栽には管理しやすい常緑樹を選び、それをグリッド状に植えるというようなやり方では、人々の等身大の暮らしに合いません。これから人が減っていき、都市と人の距離感が変わるわけですから、計画するときの解像度も変更を迫られるのではないかと思います。

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饗庭:おっしゃる通りで、都市計画とはそもそも、あるべき都市のイメージ、「都市像」に向かって収斂させていくやり方です。ですが、人口が減っていく社会においては、放っておいても都市の密度は下がっていくので、たとえば今まで欲しくてしょうがなかった公園が、むしろザクザク手に入るような状態になります。ただ、私の立場は措いといて、都市計画の専門家としては、やっぱり都市像が欲しいのが一般的です。

それで、最近はコンパクトシティが提唱されています。コンパクトシティ自体は、イギリスで考え出されたわりと理屈っぽいビジョンで、広がった都市をぎゅっとまとめるという都市像です。それを完全に日本語訳をして、日本でやろうということになっている。少なくとも、今の都市計画の法律の組み立てにおいて、都市像は捨てていません。

田中:私はよく「タクティカル・アーバニスト」だと言われるのですが、この言葉に対しては疑問を持っていて、いつも違うと言っています。できれば「フィロソフィカル・アーバニスト」と言われたい、と。

コンパクトシティの話も、コンパクトに暮らさなければならない理由については合理性も経済性もあるけれど、そもそも人がどう暮らしていくかという哲学がほとんど掲げられていません。「緑いっぱいのまちづくり」といったマスタープランがよくありますが、大木を植えて木陰をつくるのか、ハーブを植えて人を集めるのか、どう暮らすかという哲学によって選ぶ植栽すら変わるはずです。

ですから、都市像の哲学が不足していることに、とてもモヤっとしています。

水野:僕は、タクティカル・アーバニスムにはまったく違和感ないのですが、それは法律家だからかもしれません。おそらく、街に哲学がないわけではなくて、この50年なのか100年で、あまりにも同じ都市像に慣れきってしまったので、自分に欲望があることすらわからなくなってしまったのではないでしょうか。でも、ちゃんと探っていけば人それぞれに欲望はあるわけですから、それを実現するためのタクティカル・アーバニスムはあってもいいと思います。そのさらに前で、フィロソフィカル・アーバニスムが必要になるのかもしれませんが。

都市計画になぜ哲学がないのか

饗庭:多分、田中さんが話されている哲学は、人が生きる意味はなにかというような話ですよね。つまり、目標として哲学があり、その実現手段として都市像がある。その都市像がコンパクトシティなわけですが、都市計画では、都市像の先は問わないんです。哲学を問わない。だから、哲学はみんなの心の中にあればいい、都市計画がそこまで哲学をする必要はないという態度です。

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水野:あえて踏み込まない方がいい、ということですか?

饗庭:少なくとも、都市計画法という法律の前文に書いてあることは、まったく哲学ではありません。健全な発展のために土地利用をちゃんと分けましょう、くらいにしか書いていないし、その健全さや豊かさの定義もされていない。でも、それは法律で定義することなのかという話です。そんなことを定義されたら、田中さん、絶対暴れますよね(笑)。

法律や技術でカバーできる部分と、そういうものが立ち入れない部分があるわけです。でも、立ち入れない部分を明晰に語れる人も、自分の家や街とつなげて考えられる人も少ない。リテラシーの問題かもしれませんが、そこをつなぐ議論が足りないので、タクティカル・アーバニスムの華やかさに惹かれてしまった人たちには哲学がない、と言いたくなるのだと思います。

タクティカルとは、「戦術」ですよね。都市に対してポリシーはおろか、中長期の戦略すら立てられない時代、がんじがらめになって何も動かないから、とりあえず戦術的にやろうと出てきたものだと思います。おそらく、彼らはタクティカルと言いつつ、ストラテジー(戦略)やポリシー(政策)を忘れるなと思っているはずです。

田中:そこが重要だと思います。よく、ポートランドっぽくしたまちづくりがありますが、なにをポートランドっぽくしたのかが大事です。ポートランドは、グリッドの間隔を小さくして、たくさん街角をつくっているのが特徴的ですが、チェーン店だけでなく、ごく普通の人が1階で、街の人の目の前で商売を始められる環境が整っています。そういう環境が生まれたのは、70年代のモータリゼーション・シティを変えていくプロセスの中で、哲学と戦術が結集された結果です。

同じような例で、パークレットの社会実験なんかも見かけますよね。悪く言いたいわけではないですが、それは本当にあなたがしたい暮らしなのか、本当にわれわれから湧き出たものなのか、ということはすごく慎重に見ています。

オープンスペースをつくるときに、より新しい、より奇抜なことがブレイクスルーになると思われがちですが、どんなに月並みなことでも、人々が心底欲しがったことにしか真実はないと思っています。人口が減ってどうしようかとアイディアが求められる中で、大喜利のようになっている状況には危機感を感じています。

水野:実際、私はそういうところに加担しているような気もします。ただ、今の日本にはできないことが多すぎる現状があるので、そうした試みが突破口になりうるとは思います。

一方で、盆栽などが道に競り出ている谷中のような風景は、そうした外来のものではなく、ルールはあるけどやっちゃってる系ですよね。そうしたものこそが面白いとも思うけれど、それだけだとサステナブルではなかったり、他に転用できなかったりする。そういう面では、バランスの問題もあるのかなと。

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都市計画の余白を活かして

饗庭:先ほど水野さんが触れた規制緩和に話を戻すと、我が国の都市計画の、2000年代以降の規制緩和には2つの種類があります。

一つは、どこに建物を建てても必ず緩和する、一律的な規制緩和。たとえば、集合住宅を建てるときの容積率が緩和され、その結果、田中さんの近所にやたらとマンションが建った。一律的な緩和の場合、緩和を受けた側の市場は、まったく工夫しなくなります。日本の都市計画は、バブルの後の経済が悪すぎたのでそれをやってしまった。

もう一つは、都市再生特区や再開発地区計画のようなタイプの緩和です。ある特定の場所でディベロッパーがまちづくりを頑張る、それに対して容積率を定める、というような対話を組み込んだ緩和で、一律緩和よりは良いと思います。

そこで緩和される「規制」とは、都市計画法のことですが、東京は、1964年に非常にざっくりと容積率が決められました。もちろん適当に決めたわけではなく、都庁の職員が自転車で都内をしらみつぶしに走って見極めていったという話を聞いたことがあります。そういうある種の誠実さをもって、「ここは400%くらいかな?」と雑な数字を積んでいった。そのときに、東京はここまで成長していいよ、これ以上はダメだよという「呪い」がかけられたんです。この呪いの力が残っていたからこそ、2000年代に対話型の規制緩和ができた。

ですから、この先、規制全部を取り払って都市計画をゼロにするよりも、理不尽な呪いを残しておいた方がいいと思います。そして、田中さんのような人に解いてもらい、水野さんのような人が手伝う。そこにクリエイティブなものが発生するのではないか。法としての都市計画の役割は、そういうことなのかなと思います。

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田中:ルールがあることで、この中でなにをしようかと思わせるという意味では、極端な否定派ではないのですが、緩和するにしても新たにルールをつくるにしても、人間や街に対する観察を集めることが必要だと思います。ルールがあるから何もできないのではなく、ルールの中で、これは最高だと思える仕事をしているかどうかが、クリエイティビティなのだと思います。

水野:僕は、時代遅れなルールはどんどんアップデートしていくべきだと思います。自分の言葉で言えば、「ルールハッキング」と「ルールメイキング」を循環させていくということです。都市計画法や建築基準法をまったくなくすことは、思考実験としてはありえるかもしれませんが、既存のルールがすでに張り巡らされている今、現実的ではないですよね。

日本建築学会が出している『建築雑誌』6月号の法律特集で、「ストック社会における法の役割」という論考を書いたのですが、そこで都市計画法と建築基準法の間をいかにつなぐかという問題提起をしました。

個の建築と、全体のまちづくりやマスタープランがつながりにくい現状がある中で、建築協定や建築計画を柔軟化し、民間と行政、民間同士の契約などをもっと活用していくべきではないか、という提言です。場所に応じて、規律の「密度」と「強度」を柔軟に適合させていくことが、これからの街づくりテーマになるのではないかと思っています。

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日時場所
2019年12月3日(木)@シェアグリーン南青山
主催
NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室
撮影
高橋宗正
グラフィックレコーディング
藤田ハルノ+津布久遊 (テクストの庭)